二部 一話 方針会議
七月中旬。
こじんまりとした古びたソファにもたれて、八田京介は窓の外をぼんやりと見上げていた。
ここは『放課後ヒーロークラブ』の部室。
彼が飛び降りようとした、あの廃ビルの一室だ。
活動日は毎週土曜日。
活動地域は「このあたり一帯」。
制服なし、服装は「ある程度清潔感のあるもの」。
対象は「目についた困っている人」。
活動方針は、カフェで美香と劉とでざっくり決めていた。
それにしても――
この場所を「隠れ家みたいでいいわね!」と買い取り、さらにしっかり改装工事まで済ませた草薙の行動力には心底驚かされた。
今後、彼女の前でうっかり「ここ、落ち着くな」とか言ったら、何かまた買われそうで怖い。
ちなみに、その一件を知った劉には本気で怒られた。
あのときつねられた頬が、まだひりひりする。
――ガチャ。
ドアの開く音がして、
「あ、京ちゃん来てたんだ」
「なんだかんだ、やる気満々じゃない」
草薙がにやにや笑いながら言う。
「違う。ここはクーラーが効いてて快適なんだ。俺の部屋にはない」
この温暖化の時代、冷房の有無は死活問題である。
「二人で来たのか?」
京介の問いに、劉が笑って答える。
「うん、たまたま路地に入ったとこで会っただけなんだけどね」
「はい、二人とも。水分はしっかり取ってね」
草薙がそう言って、麦茶の入ったペットボトルを差し出す。
「ありがとう、草薙さん」
「……ありがと」
普段は強引なくせに、妙に気が利く。
「さて、今回はどうしようか。地域パトロールでもする?」
「どうせまた、散歩して終わりだろ。それ」
京介がぼそりと返す。先週も先々週もパトロールと称して地域を歩き回ったがしたことと言えばゴミ拾い程度でほぼ散歩だ。なにせ、ヒーローの出番がない。
「誰も困ってないのか、それとも困ってるけど黙ってるだけなのか……どっちだろうね」
独り言のように呟く劉。その隣で、草薙が腕を組んでうーんと唸る。
「うーん……どう考えても、後者じゃない? 日本人って困ってても我慢しちゃう性格でしょ?」
「そんな一般化、根拠はないが……まぁ、言いたいことはわかる」
「つまり! ヒーローが困ってる人を“探しにいく努力”をサボってちゃダメってことよ!」
草薙が拳を握りしめて力強く言う。
だが、京介はその言葉にすぐには頷けなかった。
ちらりと劉に目をやる。
特進クラスに在籍する彼は、京介にとって数少ない、気を遣わずにいられる存在だった。
「うーん……表立って困ってる人って、なかなか見えないよね。でも、そういう話って先生とか、保健室の先生のところに届いてるかもしれないよ?」
「生徒指導に話聞いて回るのは、ちょっと勇気がいるな……草薙はうちの学校にはいれねぇし」
そこで草薙が、ふと思いついたように口を開いた。
「なら、逆の発想をしてみるのはどう?」
「逆?」
「私の執事の息子さんにね、昔“探偵”を仕事にしてた人がいるの。あくまで素人だけど、ちゃんと依頼を受けて、人助けみたいなことしてたの」
「その息子さんを“表向きの探偵”にして、私たちはその助手として活動するの。そうすれば、相談という形で困ってる人の声を拾えるでしょ?」
「なるほど……“依頼”として受ければ、相手も警戒しにくいし、行動のきっかけにもなる」
「そういうこと! どう、かっこよくない? 探偵と助手のヒーロー活動!」
草薙が顎に手を当て、キリッとポーズを決める。
「草薙さん、天才だね……!」
劉が目を丸くして言う中、京介はため息をつきながら立ち上がる。
「……まぁ、いいんじゃね」
重い腰を上げた京介が、部屋の埃っぽい空気を振り払うように立ち上がる。
「それ、前向きな決意と受け取っていい?」
期待に満ちた目で尋ねる美香に、京介はそっけなく答えた。
「違う。諦めだ」
そう言って、口元をわずかに歪める。皮肉とも冗談ともつかないその笑いに、杉原劉は目を細めて見つめていた。
「……ううん、そういう時の京ちゃんはね、ちゃんとやる時だよ」
ぽつりと呟いたその声には、長年の付き合いで知る確信が滲んでいた。
「ねぇ草薙さん、京ちゃん、なんだかんだであなたの言葉に一番影響されてるから」
劉が苦笑しながらそう言うと、美香は少し目を丸くして、すぐにニヤリと笑った。
「ふふん、そうでしょそうでしょ。見る目あるわね、杉原君」
「お、おう……なんか急に上から来たね……」
「じゃあ決まりね! 今週中にうちの執事に話して、準備を始めるわ。あ、看板のデザインも考えなきゃ」
次々と頭の中で段取りを描き始める美香
京介は窓の外を一度だけ見やった。夏の空は相変わらずまぶしくて、でも、ほんの少しだけ――昨日よりマシに見えた。
「……で、その“表役の探偵”って、どんな人が来るんだ?」
「それは……来てからのお楽しみかな!」
「変な奴じゃないよな……」
そうツッコむ京介の声は外で泣き始めた蝉の声にかき消された。