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四部 十七話 遂行ミステリー! 下2


「真澄先輩、扇子を展示していたケースの鍵は、常にあなたが管理していましたよね」

「ええ、そうよ。だから誰も勝手に開けることなんて——」

「そう。誰も開けられない」

美香の声が静かに響く。


「あなた以外は」


真澄の顔が白くなった。

「草薙! あなた、私が犯人だと言いたいの!?」

「あなたは二日目の展示終了後、監視カメラの電源が落とされたのを確認してからケースを開けた。そして扇子を手に取った瞬間——それが偽物だと気づいた」

「全部、推測じゃない!」

真澄の声が上ずる。


「草薙さん、根拠のない推測なら名誉毀損ですよ」

隆徳が諭すように言う。

「証拠なら、あります」

美香は揺るがない。


「ケースに残された指紋を調べればわかります。展示中、警備の方ですら触れることを許されなかったケース。そこに残っているのは、真澄先輩——あなたの指紋だけのはずです」

「それは、鍵を管理していたんだから当然でしょう!」

「開ける必要のない夜に? 監視カメラが消えた直後に?」

真澄は言葉に詰まった。


京介は息を呑んで二人を見ていた。美香の推理は鋭く、容赦がない。だが、真澄の動揺は——まるで図星を突かれたようだった。


隆徳は長い沈黙の後、ゆっくりと口を開いた。

「……分かりました。それでは、やはり警察を呼びましょう」

「おじい様!」

真澄が悲鳴のような声を上げた。

「なぜ止めるんだい、真澄」

隆徳の声は穏やかだが、揺るぎない。

「それは……」

真澄の唇が震える。


「……草薙美香の言う通り、です」

真澄はゆっくりと頷いた。

その瞬間、彼女の全身から力が抜けたように見えた。


真澄はゆっくりと机に両手をついた。

顔を上げたとき、もう威厳はなかった。

そこにあったのは、罪を認めた少女の素顔だった。


「私が……盗みました。子どもの頃から、あの扇子が大好きでした。家の誇りで、思い出で、憧れで……。でも、それがもうすぐ市のものになるって聞いて、どうしても、離れたくなくて」


隆徳の表情が変わった。

眼鏡の奥の瞳が、孫娘を見つめる。

しかし彼は何も言わなかった。


「それで盗んだんです。夜中にこっそりケースを開けて、持ち出して、自分の部屋で……。あんなに見慣れた金箔の光を、もう一度、見たくて」


真澄の声がかすれた。涙が頬を伝っている。


「だけど、開けてみたら……」


彼女は言葉を呑み込んだ。肩が小さく震えている。


「偽物だったんです」


京介は息を呑んだ。隆徳も目を見張った。


「あんなに見慣れた、物心ついた頃から知ってる扇子のはずなのに……金箔の輝きが違う。紙の質も違う。金具の位置も……全部が、少しずつ違っていて」


真澄はゆっくりと顔を上げた。その瞳には、理解の及ばない恐怖と困惑が映っていた。


「私、何をしてるんだろうって思った。守りたかったものが、そこにはなかったんです。最初から」


美香は真澄を見た。 

その視線は責めるものではなく、むしろ優しかった。


「もし真澄先輩が扇子を盗まなければ、翌日——別の生徒が『犯人』にされていたでしょう。その子は、やってもいない罪を被ることになった」


「……皮肉ね」


真澄はかすかに笑った。その笑顔は、どこか自分を失ったように見えた。


「守りたかったもののせいで……守られていたなんて」


美香が小さく首を振る。


「それでも、誰かを守ったことに変わりはありませんよ」


「だが、現実は違う」


隆徳の声が、静寂を切り裂いた。彼は机から立ち上がり、窓へ向かった。


「真澄。窃盗は窃盗だ。そして偽物を展示していたという事実は、学校の信用を大きく損なう。その責任は、誰が何と言おうと逃げられん」


「……ええ」


真澄は頷いた。


「あの、学長」


京介が思わず前に出た。


真澄が驚いたように彼を見上げる。


「確かに、展示品を勝手に持ち出したのは問題です。処分を避けることはできないでしょう。でも——野原先輩の本心は違うんです」


隆徳が京介に姿勢を向き直す。


「盗むためじゃなく、確認するためだったんだと思います。あの扇子は野原家の所蔵品で、いずれ市に正式に寄付される予定だったんですよね。野原先輩は長年、それを見てきた。だから、開けた瞬間に偽物だと気づいた。その違和感を、そのまま放置することなんてできなかったんです」


「君は、何を言っている」


隆徳の声は低くなった。


「野原先輩が意図的に『事件』という形を作ったんじゃないか、ということです。もし本当の盗難として報告されれば、マスコミにまで広がります。結果的に学校も、野原家も傷つく。でも学内で処理できる形で注意を集めれば、真実を確認する時間が稼げる」


美香が京介の意図に気づいてすぐにうなずいた。


「私も、そう思います。野原先輩の行動は軽率でしたが、動機は純粋でした。真実を確かめようとしただけです。そして、本物がないことに気づいた」


隆徳は長く黙り込んだ。机の上の書類を眺めるが、その目は何も見ていないようだった。


窓の外で風が木々を揺らす。

夕日のオレンジ色のの光が差し込み、学長室の中で時間だけが静かに流れていく。


「はぁ……そうだな」


彼の声は、疲れていた。


「真澄が未成年であり、本物の盗難に対する対抗手段として取った行動である、という記録にしよう。処分は保留とする」


「学長……」


「ただし真澄、君は反省文の提出と、学園に対する補償がある。それは承知なさい」


「……ええ。ありがとうございます、学長」


真澄の声は震えていた。


隆徳はメガネをかけ直し、京介と美香を見やった。


「君たちもだ。この件を第三者に漏らすことなく、学内で終わらせる。いいね」


二人は同時に頷いた。


しかし、扇子の『本物』はいまだ見つからない。その事実だけが、部屋の空気に重く、深く沈んでいた。


真澄は机の前に立ったまま、窓の外を見つめている。金色に染まる校庭が、彼女の瞳に映っていた。


「……本物は、どこへ行ったんだろう」


誰へともなく、その言葉が落ちた。


京介は答えることができなかった。

美香も、静かに目を閉じた。


隆徳は、深く、静かに思案していた。


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