四部 一五話 祭りの後
賑やかな文化祭は終わり、翌日の早乙女女子学園のメインストリートは嘘のように静まり返っていた。
昨日まで人であふれていた通りも、今は色褪せた飾りと空になった出店が並ぶばかりで、まるで廃墟の街のように寂しい。
「……これを片付けるのか」
京介が思わずつぶやくと、美香が大きく伸びをしながら答えた。
「うーん、能力使えたら楽なのにね」
すかさず劉が首を振る。
「草薙さん、絶対ダメだよ」
「はーい」
軽口を叩きたくなる気持ちもわかる。
僕らの目の前には、学園を彩った数えきれない装飾や出店の残骸が広がっていた。
代表として、これを片付けきらなければならないのだ。
「……業者さんも来るとはいえ、骨が折れそうだな」
劉が苦笑し、僕もため息をつく。
そこへ月夜と匠、文化祭役員で安全管理担当の能川大地が袋を抱えてやってきた。
「八田さん、出店のテント用の袋、いただいて来ました」
「よし。じゃあ君らにしてもらい仕事は〜」大地が説明を済ませると、別の班へ足早に向かっていった。
「じゃ、分担決めるわね!」
美香が胸を張ると、京介は思わずぼやいた。
「お前、元気すぎるだろ……」
「まぁ、このくらいの分量なら手分けしたら終わるわよ」
「……だったら今日くらいは草薙が全部やってくれ」
「なにそれ! 代表の八田君も働くの!」
そんなやり取りをしながら机を運ぼうとすると、脚がガクンと折れた。
「うわっ!」
バランスを崩した京介がよろめき、慌てて支える劉。
「ちょっ、京ちゃん!」
「わ、悪い……」
美香は大笑いしながら駆け寄った。
「二人ともドジ! しっかりしてよね!」
その声が、静まり返った通りに響き渡った――。
だが次の瞬間、別の足音が校舎の奥から駆けてきた。
「大変だ! 起舞の扇子が、ない!」
息を切らして飛び込んできたのは副委員長の篠原甲斐だった。顔は蒼白だ。
「……え?」美香が振り返り、月夜も目を見開く。
「さっき確認したんだ。保管室にあるはずの扇子が、跡形もなく消えてて……!」
ざわめきが広がる。
「盗まれたのか?」
「でも、あんな警備で……」
その場に緊張が走った。委員長と実行委員が駆けつけ、現場を確認する。
「……鍵は無理やりこじ開けられた様子はない」
その言葉に、生徒たちは息をのんだ。
すぐに調査が始まり、委員会の面々が次々と問いただす。
「最後に保管室を開けたのは誰だ?」
「鍵の所在は? 出入りの記録は?」
その時だった。
「監視カメラを確認しました!」
監視カメラの確認を任されていた書記の結城翔が声を張り上げる。注目が一点に集まった。
「映っていたのは――布都天音さんです」
場が凍りついた。ざわめきが冷たい視線に変わる。
天音は目を見開き、必死に首を振った。
「ち、違う! 私じゃない! 触ってなんかいません!」
だが、甲斐が冷ややかに告げる。
「映像は嘘をつかない。あなたがケースに触れたという証言も出ています」
「そんな……触ってなんかいません!」
天音は必死に訴えるが、周囲の目は冷たい。
月夜は心配そうに手を伸ばしかけては、結局引っ込めた。
その時、美香が一歩前に出る。
「待って! 映像だけで断定するなんて早すぎるでしょう!」
だが委員長の野原真澄は言い放った。
「文化財の盗難は重大事件。まずは最も疑わしい人物から調べるのが当然です」
孤立する天音。
「う、ぐぐ」
人混みをかき分けながらパソコンに近づいた、京介は映像を凝視し、小さくつぶやいた。
「……おかしい。動きが、不自然だ」
「……あ、確かに〜」
派手なギャル風の文化祭、広報担当の石城杏奈が声を上げた。意外な援護射撃に、その場の空気がざわつく。
「ここ! ほら、このとき天音ちゃんがケースに手ぇ伸ばした瞬間! 背景の飾り布の影、ズレてんのわかる? 一瞬ピクッて動くの。普通こんな風にならないでしょ」
委員会の数人が顔を見合わせる。
「……光の加減じゃないのか?」
「でも、影の位置が前のコマと合ってない」
京介も冷静に言葉を重ねた。
「しかも、天音がケースに触れたはずの手の角度が、一瞬で変わっている。連続映像にしては、不自然すぎる」
「つまり……映像が編集されてるってこと?」翔が思わずつぶやく。
会場の空気が一気に張りつめた。
「そんな馬鹿な……監視映像を誰が……?」
委員会の役員たちも動揺を隠せない。
「ちょっと貸して〜」
杏奈は翔からノートパソコンをひょいと奪い取ると、ネイルの指で軽快にキーボードを叩き始めた。
「……はい、ダウト〜。ほら見て。フレームごとの時間情報が抜けてる。編集ソフト通した痕跡アリアリ」
ざわめきが広がる中、杏奈は口角を上げて言い切った。
「つまり、この映像は証拠にならない。天音ちゃんを断定するなんて、マジで早計だよ」
静寂の中、ギャルらしからぬ冷静な声が響いた。
委員会の役員たちは顔を曇らせ、ざわめきが広がった。だが委員長はすぐに声を張り上げる。
「……編集の痕跡があるにせよ、映像に映っているのは事実だ。布都天音さん、あなたの行動については改めて詳しく聞かせてもらう」
「ちょっと! 今の説明、聞いてなかったんですか?」
美香が食い下がるが、委員会は取り合わない。
冷たい視線の中、天音は唇をかみしめ、月夜も言葉を失っていた。
(……誰かが、意図的に天音を狙ってる?)
張り詰めた空気のまま、その場の調査は打ち切られた。
だが京介たちの胸には、強烈な違和感だけが残った――。
「――じゃあ、うちの探偵に調べてもらいましょう!」
美香の声が、委員会室のざわめきを切り裂いた。
椅子の背もたれに預けていた僕は、思わず姿勢を正す。
……また始まった。美香のこういう強引さには慣れているつもりだったが、今回は会議の空気が重すぎて、笑えなかった。
「探偵?」
委員長が眉を寄せる。周囲からも失笑まじりの囁きが漏れる。
「そう。私たち、『余白探偵社』としても活動してるの。証拠があるっていうなら、専門家に見てもらったほうが確実でしょ?」
美香は腕を組み、堂々と言い切った。
「勝手な真似は困るわね、草薙さん」
委員長が制止しかけるが、美香は一歩も引かない。
「困るのは冤罪で処分されることです。それより、公平に調べ直したほうがいいんじゃない?」
言葉に力がこもっていた。委員会の何人かが押し黙る。
結局、委員長も完全には否定できず、渋々うなずいた。
――そして数分後。
扉がノックされ、背の高い男が入ってきた。
灰色のジャケットにシャツ、少し伸びた髪を無造作に整えただけ。いかにも“探偵然”とした雰囲気ではないが、落ち着いた視線が部屋の空気を変えた。
「真上透です。依頼を受けて来ました」
低い声でそう名乗ると、委員たちは思わず背筋を伸ばす。
「これが問題の映像ですね」
透はノートパソコンの前に座り、黙って再生を始めた。天音が最後に退出したとされる場面。
しばらく画面を凝視したのち、透が口を開いた。
「……確かにこの映像、編集されていますね」
「二秒ほどフレームが飛んでいる。映像が一瞬滑らかに見えるでしょう? 本来なら一呼吸あるはずの場面が、不自然に繋がっている」
透は巻き戻して、画面を指差す。
「ほら、ここ虫が飛んでいるのにワープしているここで映像をカットして繋げた痕跡です」
代表たちにざわめきが走った。
「つまりほんとにこの映像は改ざんされている?」
「誰かが意図的に編集したってことか……」
透は静かに頷いた。
「少なくとも、この映像を“証拠”と呼ぶのは不適切ですね」
「じゃあ天音が犯人じゃないってことか?」
誰かが口にしたその言葉に、天音が縋るように顔を上げる。
だが、委員長はきっぱりと首を振った。
「証拠にならないからといって、容疑が晴れるわけではない。 むしろ、映像を“改ざんした”のが本人だとしたら?」
「えっ……!」
天音の顔から血の気が引いた。
「実際にケースの前にいたのは天音さんだ。その事実は変わらない」
「でも、それは……」
天音が必死に言いかけるが、委員長は冷たく遮る。
「真相が判明するまで、あなたには調査に協力してもらう」
――疑いは消えない。むしろ強まっている。
「……っ」
横で見ていた美香が、ぎりっと歯を食いしばった。
「そんな言い方……不公平すぎる!」
京介は息をのむ。
周囲の空気は、天音から一歩距離を取るように冷たく変わっていった。
月夜だけが心配そうに手を伸ばすが、すぐに引っ込めてしまう。
孤立する天音。
その様子を見ていられなくなった美香が、勢いよく前に出た。
「だったら――うちの探偵に任せて!
ちゃんとした調査で、天音さんが犯人じゃないって証明してみせる!」
透は肩をすくめ、ため息をひとつ。
「……依頼されれば、調べますよ」
その言葉で、委員会の視線が透に集まった。
けれども“天音が白だ”という雰囲気は一向に生まれない。
彼女の背には、なおも冷たい疑念がまとわりついていた。




