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第五話 少女の信念


 夜が明け、朝の冷たい空気がまだ残る校舎。

 京介は珍しく早起きしていた。

 いや、正確には「ほとんど眠れていなかった」が正しい。

 時計を見ると、まだ六時台。

 「……こうなったら、草薙に絡まれる前にさっさと学校行こう」

 気晴らしのつもりで早く出てきたのに、学校に着いても特にやることはない。

 運動部の生徒がちらほらいるだけで、教室はまだ静かだ。

 荷物を置いたあと、時間を潰すため校内をぶらついていると——

 「……ええええええええええ!?!?」

 突如、背後から響く大きな声。振り返ると、

 驚愕の表情で立ち尽くす劉が、信じられないものでも見たようにこちらを指さしていた。

 「き、京ちゃん!? なんでこんな時間に……!!」

 「そっちこそ。今日は空手部の朝練、なかったろ?」

 「え、ああ、うん……。もうすぐ中間テストだし、ちょっと復習しようと思ってさ」

 あまりにも“正しすぎる”理由に、京介はどこか他人ごとのような気持ちで「真面目かよ」と小さくつぶやいた。

テスト勉強?もちろん僕はしていない、する予定もない


 「そういえばさ、昨日のあと——草薙さんに聞けた?」

 「んー……まあ、聞こうとはしたんだけどな」

 京介は不満げな顔で肩をすくめる。

 「“明日、二人まとめて話す”だってよ」

 「へえ、僕にも教えてくれるんだ」

 劉はどこかうれしそうに笑った。

 そんなやりとりの最中、京介のスマホが鳴った。

 画面を見ると、非通知。

 一瞬迷ったが、なんとなく「出た方がいい」気がして、通話ボタンを押す。

 「……もしもし」

 『ちょっと! なんで私を置いて先に学校行ってるのよ!!』

 突然、耳に飛び込んできたのは美香の怒声だった。

 あまりにテンプレ的すぎる展開に、京介はスマホを耳から少し離してからため息をつく。

 「いや、なんで怒ってんだよ。別に先に来たっていいだろ」

 『よくないわよ!』

 「はあ?」

 『とにかく! 今日の放課後、カフェね。例の話、ちゃんとするから!』

 「カフェって……あの?」

 『他にどこがあるのよ。放課後、三人ね。杉原くんにも伝えておいて!』

 ぶつっ


 一方的に通話は切れた。

 京介はスマホを見つめたまま、しばらく言葉を失う。

 「草薙さん……?」

 「……放課後カフェ集合だとさ。あいつがヒーローになりたい話をするらしい」

 「へえ、なんか楽しみかも」

 そう言って笑う劉を見ながら、ふと京介はあることに気づいた。

 「……でも、お前今日7限あるだろ。特進は普通科と違って、な?」

 「あっ」

 劉が固まる。

 たしかに今日はガッツリ7限目がある。抜けるには何か理由が必要だ。

 京介は考え、ニヤリと口の端を上げた。

 「そうだな……“家庭の都合”で、ちょっと早退するしかないな」

 「家庭の……都合?」

 「例えば“妹の通院の付き添い”とか。地味にウケがいいぞ、先生に」

 「……妹いないけど」

 「妹“的存在”でもいいんだよ。近所の子でも。設定は強い」

 「なるほど……! ありがとう、京ちゃん! じゃあ、ちょっとそれで早退届出してみる!」

 さっそく手帳を取り出して作戦を練り始める劉。

 その様子に京介は少しだけ笑って、廊下の窓から朝日を見上げた。


一昨日と同じ、あのカフェ。

ドアを開けると、やはり彼女が立っていた。

「いらっしゃいませ、八田様、杉原様。美香お嬢様よりご連絡いただいております。こちらへどうぞ」

落ち着いた声の店員──たしか、千代という名だったか──に案内され、二人は前回と同じ個室に通された。

一度来ていた京介は、なんとか平静を装って席につく。

が、初めての劉はというと──

「……えっ、えっと……こ、個室? 靴は……脱がなくていいんだよね……?」

入り口であたふたしながら、小声で京介に尋ねた。

「落ち着け。焼肉屋じゃねぇんだよ」

京介が肩をすくめる一方で、室内にはすでに美香が座っていた。

手元のグラスには、これでもかというほどホイップクリームが盛られたココア。

「……甘すぎじゃねぇ?」

思わず眉をひそめて、京介がぼそりと呟く。

クリームの山にはチョコソース、カラースプレー、さらにはマシュマロまで浮かんでいる。

もはや“飲み物”というより、“お菓子の要塞”だった。

「疲れた脳には糖分が必要なのよ。ね、劉くん?」

「う、うん。たしかに……美味しそうだよ」

劉はにこやかに笑いながら、すでにテーブルに用意されていたカフェオレをそっと口に運ぶ。

まだ少し挙動不審だが、美香のペースに呑まれつつあった。

一方、京介の前にはミルクティー。

氷が小さく音を立てるたび、彼の沈んだ顔つきと妙に馴染んでいた。

(……そういや、これ、先にメールで聞かれてたっけな)

ミルクティーの好みを訊いてきた美香のメールが脳裏に浮かぶ。

ちなみに、電話番号もアドレスも一度も教えた覚えはない。

(……もう考えるだけムダか)

考え込むのをやめ、ストローをくわえながら京介は言った。

「で、あんたがヒーローになりたい理由だろ。もったいぶらずに教えろよ」

促すように目を細める。

「まったく……わかってないわね。こういうのは“雰囲気”が大事なのよ」

美香は背筋を伸ばし、まるで舞台のセンターに立つ役者のように語り始めた。


「私、小さいころ──」

ふいに口をつぐみ、美香はわずかに視線を落とした。いつも堂々としている彼女の、珍しく遠くを見つめるような目。表情にかすかな影が差す。

「助けられたの。……本当に危ない場面で。具体的には覚えてないけど、“助けられた”って感覚だけが、胸の奥にずっと残ってる」

その声は、いつもの快活な調子とは違った。言葉一つひとつを確かめるように、美香はカップに手を添えたまま話す。

「……だから今度は、私が誰かを助ける側になりたい。理由なんて、それで十分でしょ?」

静かな空気が、カフェの一角を包む。店内のBGMすら遠のいたような錯覚。


劉は小さく「……そうなんだね」と呟いた。けれど、その言葉が落ちるより早く──

「――は? なにそれ。ヒーローごっこかよ」


京介が鼻で笑った。

だがそれは、愉快さとは程遠い、冷笑だった。口元だけが意地悪く歪み、目の奥には鋭く光る拒絶の色。

「“助けたい”だの“今度は自分が”だの。そんな綺麗事で本気になれるなら、世界はもうちょっとマシになってるはずだろ」

その瞬間、美香の笑顔が消えた。驚きと、ほんの少しの傷ついた色が浮かぶ。

「八田君……?」

美香の声が震えそうになる。だが京介は、まるで逃げるように言葉を続けた。

「悪いな。……帰るわ。なんかムカついてきた」

椅子がぎし、と鳴る。立ち上がった京介に、劉が慌てて手を伸ばす。

「ま、待って、京ちゃん……!」


──その手が、なにかに阻まれた。

「……えっ?」


空気の膜が、一瞬ふわりと揺れる。目に見えぬ薄い壁のような“バリア”が、京介の背を中心に展開されていた。

「これ、京ちゃんの…」

劉が呆然とつぶやき、美香も目を見開いたまま、京介を見つめていた。

けれど京介本人は、その事実に気づかぬふりをしたまま、背を向ける。


数歩歩いた、そのときだった。

「だったら!」

美香の声が、鋭く背中を撃ち抜いた。

「だったら、私は何を信じればいいのよ!」

振り返ると、美香は膝の上で両拳をぎゅっと握りしめていた。

「あなたが何に苛立ってるのか、全部は分からない。だけどね、私は“それ”に助けられた記憶が、

私を今日まで支えてくれたの。誰かの、たった一度の優しさが、私の中では一生モノなの!」

その言葉には、誇張も飾りもなかった。ただ、ひとりの少女の強い信念があった。

「それが滑稽? ムカつく? 綺麗事?」

──間を置かず、美香は一歩前に踏み出す。

「あなたは、助けられたことがないの?」

その問いは、言葉というより“真っ直ぐな視線”で投げかけられていた。


沈黙。


劉すら言葉を失い、美香の背中をただ見守っている。

京介の視線が、かすかに揺れる。

そして──

「……助けてくれるやつなんて、いなかったよ」

ぽつりと漏らすような声。けれどその言葉には、今まで誰にも見せなかった痛みが詰まっていた。

「助けられるより前に、どうでもよくなった。大人は自分勝手に“普通”を押し付けてくるし、できなければ見限る、学校じゃ浮くだけだし……」

彼は、どこか自嘲気味に笑った。

「……だから、お前の言葉がムカついた。そう簡単に“救う”とか言えるやつが、ただ羨ましかったんだよ」

「京ちゃん……」

その声には、劉も何も言えなかった。

──たぶん、これは京介にとって“初めての告白”だったのだろう。

苦しくて、悲しくて、でももうしまっておけなかった本音。

あの日、飛び降りてすべてから解放されたかった嫌な記憶


そして──

「じゃあ、私が初めてでいい」

美香の声が、柔らかくも力強く響いた。

京介が思わず顔を上げると、美香は真っ直ぐ彼を見ていた。

「私が、あなたを助けるヒーローの一人目になる。いらないって言われても、

勝手にそうする。だから、その能力──もっと大事に使いなさいよ、細かいことは聞かないから」

その笑顔は、太陽みたいだった。

たとえ一人でも、信じてくれる人がいる。

その事実に、京介の胸は、知らぬ間に熱を帯びていた。

「……ったく、お前ってやつは……」

「とにかく!これからは三人で行動するの。『ヒーロークラブ』結成。異議なしね?」

いきなりの宣言に、劉が苦笑しながら手を挙げた。

「はい、意義なーし」

「よし、全会一致で結成!」

勝手に議事をまとめる美香に、京介は深いため息をついた。

「……どこまでも強引なやつだな」

けれどその顔は、ほんの少しだけ笑っていた。

カラン、とまだ、半分も飲んでいないミルクティーの氷が鳴る。

「……話の続きくらいは、聞いてやってもいい」

拗ねたように、でも少しだけ照れくさそうに、つぶやきながら

京介は元居た席に戻る

その言葉に、美香と劉が顔を見合わせ、ぱっと笑みをこぼした。

「ふふっ、ようやく“雰囲気”が整ってきたわね」

そう言いながら、美香は自慢げにクリームたっぷりのココアを掲げた。

京介はそんな空気に居たたまれなくなり、やや投げやりに切り出した。

「で? 具体的には何をするんだ? この前ざっくり聞いたが」

「変わらないわよ? 困ってる人の声を拾う。道に迷ってる子を案内する。

いじめを止める……そういう“小さなヒーロー活動”から始めるの」

そう言って、美香は椅子に背を預け、堂々と言い切った。

「“助けたい人を助ける”クラブ。以上!」

「……やっぱり、ざっくりしすぎじゃね?」

京介が呆れ混じりに突っ込む。

「だって、細かく決めるより、まず動いてみないと分からないこともあるでしょ?」

その言葉には、無鉄砲とも言えるほどの前向きさがあった。

なんというか──やっぱり“お嬢様”なんだと思う。

お金も、時間も、未来さえも、選べる人間の言葉。

だからこそ──それは、眩しくて、馬鹿で、そして怖い。

「まぁ……勝手にやれば」

そう吐き捨てるのに、どこか投げやりになりきれないのは、美香のあの“真っ直ぐな目”のせいだ。

それが、どこまでもまぶしかった。

「じゃあ、活動場所は“この地域”、対象は“目についた困ってる人全般”、でいいかしら」

「……ゆるいな」 

「そのくらいでいいんだよ。最初はさ」

 劉の言葉に、美香が笑い、京介は少しだけ視線を伏せる。

 その目の奥には、ほんの僅かに、今日まで見せたことのなかった光が宿っていた。

 ──たとえば、誰かを守る理由がなくなっても。

 たとえば、自分に価値がないと思っても。

 それでも、誰かが必要としてくれるなら。

 動けるかもしれない。立てるかもしれない。

 「……“助けたい人を助ける”クラブ、か」



 窓の外には、夏の気配を連れた風。

 さざめく日差しが、三人の影をそっと重ねた。

 こうして、何者でもない三人の、放課後の物語が始まった。

 世界を変えるには、ちょっと頼りない一歩。

 だけど──誰かの世界くらいなら、変えられるかもしれない。




 「……でさ、その活動って、どこまで踏み込んでいいんだ?」

 ふと、京介がつぶやいた。

 「例えば、いじめとか、家庭の問題とか──重たい話になったとき」

 「もちろん、限界はあるわよ。でも……一歩踏み出さないと、何も変わらない」

 美香は迷いなく言った。

「それが“無責任”だって言われたっていい。私たちは“やらない後悔”より“やった後悔”を選ぶクラブよ」

 その言葉はあまりに強くて、だからこそ、どこか危なっかしかった。

 「……ほんと、お前って時々怖いよな」

 京介は呆れたように言うが、もう否定の色はなかった。

 「……まあ、気が向いたらな」

 あくまで素っ気なく言いながらも、京介はグラスを手に取り、残っていたミルクティーを静かに飲み干した。

 もう氷はすっかり溶けていたけど、少しだけ甘くて、少しだけ、温かかった。



 その日、カフェを出た三人は、ちょっとだけ遠回りして帰った。

 夕暮れの空は茜色で、ゆっくりと夜に染まり始めていた。



 「ねぇ、明日から何する?」

 美香の問いに、劉が微笑む。

 「僕、学校の掲示板とかSNSで、困ってそうな投稿を探してみるよ。」

 「それ、いいじゃない! 意外と見落とされてること多いものね、…じゃあ、あたしは朝の駅前で困って る人探してみる! 自転車倒れてる人とかいそうだし!」

 「お前ら、やる気ありすぎだろ……」

 京介は肩をすくめつつも、内心では小さな期待が膨らんでいた。



 明日が、ちょっとだけ楽しみになる。

 そんな感覚を、京介は久しぶりに味わっていた。


  一部 完


第5話をもって、第一部は一区切りとさせていただきます。

ここまで読んでくださった皆さま、本当にありがとうございました。

まだまだ未熟な文章ではありますが、第二部も引き続き読んでいただけたら嬉しいです。

これからもよろしくお願いいたします。

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