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第四章 十話 不安の芽

日の差し込む空き教室で、机の上に散らばった段ボール片やペンキ缶の間を縫うように、京介と月夜は黙々と小道具作りに没頭していた。京介の手にはノコギリが握られ、リズミカルな音を立てて木材を切断している。その隣で月夜は筆を握り、看板に丁寧に文字を書き込んでいる。


「京ちゃん、そっちの進み具合はどう?」

「まあまあかな。でもこの背景パネル、思ったより手間がかかるな」


そんな穏やかな作業の時間に、突然教室のドアが勢いよく開かれた。廊下から差し込む光に逆光となった人影が、慌てたような足音とともに顔をのぞかせる。それは担任の笹木だった。


「小道具班の二人、お疲れ様。生徒会からの緊急連絡が入った。各クラスの代表者を至急集めたいそうだ。演技班の代表にも必ず伝えておいてくれ」

「はい、かしこまりました」


月夜が作業の手を止めて、きちんとした口調で返事をする。その真面目な対応を横目で見ながら、京介はノコギリを置いて深いため息をついた。


「なんかトラブルでもあったのか?こういう緊急招集って、だいたい面倒な話だろ」

「詳しいことは生徒会から直接聞いてくれ。

会議室行く前に演技班への連絡頼むぞー」


「八田さん、演劇班への連絡よろしくお願いします」

笹木が立ち去ったあと月夜は京介を真っ直ぐ見つめて言った。京介は眉をひそめる。


「え、僕かよ」

「はい、笹木先生は確実に八田さんを指名していました」


月夜が小さく微笑みながら、先生の意図を代弁する。京介は困ったような顔をして頭をかいた。


「ほんとかよ…まあ、仕方ないか。はぁ、二人共。僕が演技班に連絡してる間に、先に生徒会室に行っといてくれ」

「うん、わかった。京ちゃん、お疲れ様。行ってきて」


京介は渋々と手についたおが屑を払い落とし、タオルで汗を拭いながら演劇班が稽古をしている教室へと重い足取りで向かった。廊下に響く自分の足音が、なぜかやけに大きく聞こえる。


-----


叢雲高校の体育館


「……『あなたのためなら、私は……私は……!』」


教室の扉に手をかけた瞬間、中から美香の張り詰めた声が聞こえてきた。京介がそっと扉を開けると、教室の中央で台本を両手で握りしめ、懸命にセリフを繰り返している美香の姿が目に入った。彼女の表情には焦りと苛立ちが混在していて、何度も同じ箇所で言葉がつかえてしまう。


「もう……!なんでここだけうまく言えないのよ!思うように声が出ない!」


悔しさを抑えきれず、美香は台本を机に激しく叩きつけた。その音が教室に響く。


「……芝居ってのは、思ってた以上に難しいもんなんだな」


京介が後ろから、わざと軽い調子でぼそりと声をかける。美香がはっとして振り返った。


「あ、八田君。何してるの?まさか冷やかしに来たの?」

「違うよ。代表者会議に呼ばれてるって連絡に来ただけだ。……ついでに、ちょっと見物させてもらっただけ」

「見物って……人が必死に練習してるのに」


美香は少し頬を膨らませたが、すぐに表情を戻して再び台本に向かった。京介は教室の後ろの壁にもたれかかり、腕を組んで彼女の稽古を黙って眺めていた。美香は京介の視線を意識しながらも気にしないふりをして、再びセリフを口にする。しかし、やはり同じところで言葉がつまずいてしまう。


「……なあ、言葉を力んで吐き出そうとするから続かないんじゃないか?」


京介が低く落ち着いた声で口を挟む。美香が振り返る。


「相手に伝えようとして力むより、まずは自分自身に言い聞かせるように、静かに言葉を紡げばいい。……まあ、素人の勝手な意見だけどな」


「……八田君」


美香は一瞬きょとんとした表情を浮かべた後、京介の言葉を反芻するように小さくうなずいた。そして深呼吸を一つして、今度はゆっくりと、丁寧にセリフを言い直してみる。


「『あなたのためなら、私は……!』」


今度は自然に、滑らかに言葉が続いた。セリフが最後まで途切れることなく流れる。


「……あ、本当に言えた!すごい、なんで?」


ぱっと顔を輝かせる美香。その笑顔を見て、京介は慌てたように目を逸らした。


「別に大したアドバイスじゃない。たまたまだろ」

「ううん、ありがとう。やっぱり八田君って、こういう時に頼りになる人よね。意外と観察力があるのね」

「……はいはい、どうも。それより、さっさと行くぞ。代表者会議が待ってる」


京介は照れ隠しをするように素っ気なく答えて、扉に向かった。


-----


叢雲高校の臨時会議室に足を向けると、既に他のクラスの代表者たちが円形に並べられた椅子に座っていた。室内には緊張感が漂っている。京介と美香が席に着くと、生徒会長の真澄が資料を手に、いつもより真剣な表情で口を開いた。


「皆さん、お忙しい中お集まりいただき、ありがとうございます。今回の文化祭について、とても重要な発表があります」


真澄が一呼吸置いてから続ける。


「今回の文化祭では、特別に市の文化財保存会のご協力をいただき、地域の重要文化財である『起舞の扇子』を、期間限定で本校に展示していただけることになりました」


会議室がざわめきに包まれる。代表者たちがお互いに驚きの表情を交わす。


「えっ、扇子って、あの市の博物館でしか見ることができないっていう?」

「すごいじゃない!本物の文化財が学校に来るなんて!」

「でも、大丈夫なの?そんな貴重なもの」


「展示にあたっては、安全管理が最優先事項となります。扇子の管理、来場者の誘導、警備体制など、すべてが重要です。そのため、各クラスの代表の皆さんには、準備段階から当日の立ち会いまで、責任を持って協力していただくことになります」


真澄の説明を聞いて、京介は思わず頭を抱えた。


「……ただでさえ小道具作りや準備で手一杯なのに、今度は貴重な文化財の管理まで任されるのかよ。責任重すぎるだろ」


京介の隣で、美香は対照的に目を輝かせている。


「でも、いいじゃない!せっかくの文化祭なんだもの。こんな素晴らしい機会、滅多にないわよ。お芝居の発表も、文化財の展示も、全部大成功させましょう!きっと忘れられない文化祭になる」


(……ほんとに、こいつは何があっても前向きだな。そのひたむきさ、というか、諦めの悪さは一体どこから来るんだ)


京介は小さくため息をつきながらも、美香の横顔から目を逸らすことができなかった。


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