第四章 九話 小道具づくり
翌週、叢雲高校では本格的な文化祭の準備が始まった。叢雲高校で作成した舞台の骨組みを少しずつ早乙女女子学園へ運搬を初めている、教室という教室では模造紙や絵の具が所狭しと広がっている。廊下を歩けば、あちこちから金槌の音や切り紙の音、そして生徒たちの活気ある声が響いてくる。校舎全体が文化祭一色に染まり、普段の授業風景とはまったく違った雰囲気に包まれていた。
「じゃあ、小道具班はこっちの空き教室を使ってね。作業台と道具類は既に運び込んであるから、すぐに作業に取りかかれるはずよ」
演劇部の女子が手際よく指示を飛ばしながら、教室の隅に積まれた段ボールの山を指さした。その横には、木材やペンキ缶、筆や釘などが整然と並べられている。
「……なんで僕が班をまとめる羽目になってるんだ」
ノコギリを手にした京介が、心底困惑したような表情でぼやく。元々こういったまとめ役は苦手な方なのに、気がつくと周りから自然とリーダー扱いされてしまっている。
「京ちゃん、ほら危ないから手元に集中して」
劉がにこにこと穏やかに笑いながら、京介が使う釘箱をしっかりと押さえてやる。
「まさか自分が劇の裏方に回るなんて思ってもみなかったわ」
草薙の顔見知りということで京介と劉は早乙女女子学園との橋渡し役に抜擢されたのだ
小道具班のリーダーを任された早乙女三年の若葉莉子が、眼鏡を押し上げながら苦笑する。手には紙粘土で丁寧に作られたボールの型を持っており、その出来栄えはなかなかのものだった。
「でも男子の方がまとめてくださると本当に助かります。もともと小道具担当は人数が少ない上に、力仕事も多いですから」
若葉の言葉には心からの感謝が込められている。確かに、木材を切ったり、重い道具を運んだりするのは、男子の力があると心強い。
「……まあ、仕方ないか」
京介は不承不承といった様子だったが、すぐに袖をまくり上げて作業を再開した。
若葉は眼鏡を何度も押さえながら、小声で丁寧に作業指示を出すのだが、声が小さすぎて時折聞き返されてしまう。内気な性格がよく表れていた。
「えっと……こ、この木のフレームは背景用の大道具として使うので……お、お願いします」
「はい、俺がやりますよ。どのくらいの高さが必要でしょうか?」
劉が柔らかな口調で受け止める。その優しい態度に、若葉はほっと安堵の表情を浮かべた。
「こっちはペンキ塗りか。下地も塗った方がいいな」
窓の外からは、出店準備に励む生徒たちの呼び声や、絵の具とニスの混じった独特の匂いが流れ込んでくる。文化祭特有の活気に満ちた雰囲気が、校舎全体を包んでいる。
廊下では壁画班が床一面に大きな布を広げて、色鮮やかな絵を描いており、その中には月夜の姿もあった。いつものように冷静沈着な表情で、筆を持ち丁寧に色を重ねている。
「月夜さん、壁画の進捗はどう?」
京介が作業の手を止めて廊下に声をかけると、月夜が筆を持ったまま振り返る。その動作一つとっても、どこか品があり洗練されている。
「順調に進んでおりますわ。ただ、このペースだと青系のペンキが少し足りなくなりそうですの。後ほど備品の在庫を確認しておいてくださいませ」
月夜の報告は簡潔でありながら、必要な情報がすべて含まれている。さすが優等生といったところだ。
「はいはい、了解。こっちも木材がもう一束くらい必要になりそうだから、一緒に確認しておくよ」
京介が気軽に返すと、月夜は「承知いたしました」と短く品よく頷き、再び壁画に向き直った。その集中ぶりは見事なものだった。
「相変わらずクールだね、月夜さんは」
「草薙と正反対の性格だから、余計にそう見えるんだろうな」
京介が肩をすくめると、劉は「でも案外頼りになるよね」とのんびりした調子で笑った。確かに、月夜の冷静な判断力と行動力は、こういった集団作業では非常に重宝する。
その時――教室の扉が勢いよく開き、軽やかで明るい声が響いた。
「お疲れさまー!小道具班の進み具合はどんな感じ?」
演劇班でヒロイン役を任されている美香が、稽古の合間を縫って様子を見に来たらしい。手には台本を大事そうに抱えており、頬は軽い運動で上気している。持ち前の人懐っこさで、教室の雰囲気を一気に明るくしてくれる存在だ。
「草薙、そっちの稽古の方はどうなんだ?」
京介が作業の手を止めて顔を上げる。
「順調よ!セリフ合わせも大体形になってきたし、演技の方も皆上手になってきてるの。ただね、舞台の背景と小道具が実際に揃わないと、本番のイメージがどうしてもつかみにくいのよね。特に照明効果との兼ね合いが分からないから」
「はぁ...こっちの責任重大だな」
京介が重々しく肩をすくめる。主演の要望に応えられるよう、より一層気を引き締めなければと感じた。
「……あの、その、草薙さん」
若葉が遠慮がちに、しかし意を決したように声をかける。普段は人前で発言するのが苦手な彼女にとって、これは相当な勇気を振り絞った行動だった。
「大道具班の背景と合わせれば、照明効果によって金のボールがキラキラと美しく光って見えるはずなんです。材質も光を反射しやすいものを選んでいますし……よろしければ、リハーサルの時にぜひ試してみてください」
「ほんとう?それは素晴らしいアイデアね!ありがとう、若葉さん!」
美香の屈託のない笑顔と心からの感謝の言葉に、若葉は耳の先まで真っ赤になってしまった。こんなに可愛らしい女子から感謝されるなど、滅多にない経験だ。
「……あいつがこれだけしっかりしてると、こっちも手抜きはできないな」
京介がぼそりとつぶやく。責任感が強い彼らしい発言だった。
「ふふ、そういうことだね。皆で良い文化祭にしようよ」
劉が穏やかに相槌を打つ。その優しい笑顔に、教室にいる全員が自然と微笑み返した。
廊下の向こうからは、月夜が壁画班を的確に指導している声が聞こえてくる。
「こちらの青系のペンキが予定よりも消費が早いようですわね。在庫の確認をお願いします」「承知いたしました」「それから、こちらの部分はもう少し濃い色で塗り直しましょう」
リーダーシップを発揮する月夜の冷静な声に、普段教師に反抗的な生徒たちも「はーい」「分かった」と素直に応じている。
彼女の的確な指示により、壁画も順調に仕上がっているようだった。
文化祭本番に向けた熱気と期待感が校舎全体を包み込む中、小道具班の作業もまた着実に、そして確実に進んでいった。
生徒たちの顔には充実感と達成感が浮かんでおり、きっと素晴らしい文化祭になるに違いないという予感が、皆の心を躍らせていた。




