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第四章 八話 あいさつできるかな 下


「天音さんも一緒に行きましょう」

「はい、ご一緒します!」


天音の勢いに押され、完全に逃げ場を失った京介は観念したように深い息を吐いた。


「……で、何からすればいいんだ?」


「...八田君、ちょっと不安だから、まず天音さんに改めて自己紹介してみて。さっきは会議中だったから、ちゃんとした挨拶ができなかったでしょ?」

「別にそんなこと...」

「ほら、早く」


美香に背中を軽く押され、京介は渋々立ち上がる。近くにいた生徒会役員やクラス代表たちも、興味深そうにこちらを見ていた。まだ会議室に残っている人たちの視線が集まり、京介の緊張はさらに高まる。


「えっと……」

京介は視線を泳がせつつ、しぶしぶ口を開く。

「叢雲高校1年3組の八田京介です。...よろしく」

「会議の時より短いじゃない! もう少し詳しく」

美香がすかさず突っ込む。


「ふふ、丁寧にありがとうございます。よろしくお願いします、八田さん」

天音が微笑んで返すと、京介は気恥ずかしそうに軽く会釈した。


そのとき、少し離れた場所から委員長の野原真澄が腕を組み、こちらをじっと見ていた。鋭い視線は値踏みするようで、京介は居心地の悪さを感じる。


「……八田君、だっけ?」

「え、はい」

「さっきの会議、全然発言してなかったけど大丈夫なの? ちゃんと内容理解してる?」


圧のある口調に、京介はむっとする。確かに積極的に発言はしなかったが、話は聞いていたつもりだ。


「自分から発言することが特になかったので。でも内容は把握しています」


「へぇ。まあ、余計なこと言って場を混乱させるよりはマシかもね」

真澄が肩をすくめて半ば挑発的に言うと、美香が慌てて割って入った。


「えっと、野原先輩。八田君はそう見えても、やる時はしっかりやる人なんですよ。普段は静かですけど、責任感は強いんです」


「草薙がそう言うなら信じましょう……でも、今回は合同開催だから手は抜けないわよ?」

真澄は苦笑しながら視線を外したが、最後にもう一度京介を見た。


(なんだこいつ。草薙には態度が全然違うじゃないか)

京介は心の中で舌打ちしたが、口には出さなかった。真澄の態度は明らかに美香に対してだけ柔らかい。


「委員長、少しお時間よろしいですか?」

「どうしたの?」

別の役員に呼びかけられた真澄は、すぐに声のした方へ歩いて行った。背筋をぴんと伸ばした歩き方は、いかにもお嬢様学校の生徒といった感じだ。


「早速、目をつけられちゃったね、京ちゃん」

「なにあの人、めっちゃこっわ。なんか威圧感すごくない?」

「野原先輩、早乙女女子学園の理事長のお孫さんなのよ。今回の合同文化祭の運営を任されて、かなり張り切ってるの。プレッシャーも感じてるんじゃないかしら」

「うわ、理事長の孫って……そういうの本当にあるんだな。テレビや漫画の世界だと思ってた」


会話が途切れたところで、天音が改めて姿勢を正した。背筋を伸ばし、両手を前で組んで、まるで何かの式典に参加するような丁寧さだ。


「八田さん、少し間があいてしまいましたが、改めて自己紹介をさせてください。私は布都天音と申します。今学期から早乙女女子学園に転校してきた新参者です。草薙さんには本当によくしていただいて、感謝しています。今回の文化祭、一緒に協力して素晴らしいものにしましょうね」


「あ、ああ。こちらこそよろしく」


「天音さん、僕も改めて。叢雲高校特進科1年の杉原劉です。普段は京ちゃんと一緒にいることが多いので、よく見かけると思います。よろしくお願いします」

「はい! 杉原さんも、これから一緒に頑張りましょうね」


そのとき、不意に声がかかった。


「あー、劉ちょっといいか」


振り返ると新田匠が立っていた。劉とは同じクラスだから毎日顔を合わせているが、京介や美香にとっては夏休み前以来の再会だった。


「あなたは確か静ちゃんの――」

「兄の新田匠です。静の件では本当にお世話になりました」

匠が美香に向かって軽く頭を下げる。

「どうしたの、匠?」

「いや、俺、他のクラスの代表のやつと先に学校戻ることになったから。一応報告な」

「あ、うん。挨拶が終わったらすぐ戻るね」

「おう、じゃあな」


軽く手を振って匠が立ち去ると、美香が再びみんなを見渡した。


「さ、次は演劇の役員の方にもご挨拶しましょう」


美香がくるりと振り向き、緊張気味の京介と劉を引き連れる。

天音もその後に続き、きらきらした眼差しで二人を見守っていた。その表情は本当に楽しそうで、文化祭を心から楽しみにしているのが伝わってくる。


「本日はお忙しい中、貴重なお時間をいただきありがとうございました。二年二組代表の草薙美香です。こちらは叢雲高校1年で、私のサポートをしてくれる八田君と杉原君です」


そう、京介と劉は美香と親交があるということで、叢雲高校から特別に助っ人として抜擢されたのだ。月夜からは「クラスの出店準備は人手が足りているので、一人くらいいなくても問題ありません」と事務的に言われている。


「よろしくお願いします」

劉が丁寧に頭を下げると、京介も仕方なく倣った。


「演劇は本当に大変な取り組みになると思いますが、みんなで力を合わせて文化祭を盛り上げていきましょうね」

演劇部の部長らしき生徒が優しく声をかけると、美香は満面の笑みで頷いた。


「ありがとうございます。分からないことだらけですが、頑張ります」


会議後のざわめきの中、彼らの小さな輪はにぎやかさを増していく。

京介は相変わらず居心地の悪さを覚えつつも、文化祭に向けた新たな空気を少しだけ実感していた。こうして実際に関係者と話してみると、みんな真剣に取り組もうとしているのがよく分かる。


挨拶回りもひと通り終わると、会議室にはようやく静けさが戻っていた。

豪華なシャンデリアの灯りも夕方の光と相まって、どこか温かみを帯びて見える。長く居座る理由はもうなく、外からは秋の虫の声も聞こえ始めていた。


「ふぅ……やっと終わったわね。思ったより緊張した」

美香が小さく伸びをして肩の力を抜くと、劉がにこやかに頷く。

「お疲れさま。緊張したけど、思ったより悪い人たちじゃなかったね。みんな文化祭を成功させようって気持ちは同じなんだなって思った」


「……僕はもうぐったりだ。人と話すのってこんなに疲れるものだったっけ」

京介は心底疲れたように肩を落とす。


「はいはい、文句言わないの。これからもっと大変になるんだから。でも今日は八田君もちゃんと頑張ったじゃない」

美香に軽く労われ、京介は少しだけ表情を緩めた。そう言われてみれば、最初ほど緊張はしていなかったかもしれない。


そのとき、天音が小走りで戻ってきて、ぱっと笑顔を向ける。

「草薙さん、八田さん、杉原さん、今日は本当にありがとうございました! とても勉強になりましたし、楽しかったです。また明日もよろしくお願いします!」


深々と頭を下げ、軽やかに手を振って会場を後にした。その後ろ姿は本当に嬉しそうで、スキップでもしそうな軽やかさだった。


「元気な子ね……見てるこっちまで楽しくなっちゃう」

美香が感心したように呟くと、劉がにこにこと補足する。


「月夜さんとは正反対の雰囲気だけど、どっちも個性的で面白いね。双子なのに、こんなに性格が違うものなのかな」


「あ、月夜さんって八田君とペアの代表の子よね。天音さんと雰囲気は全然違うけど……でも顔はそっくりよね。本当に双子みたい」


「ああ。苗字も同じ布都だし、双子なんだろう」


「え? でも学年が違うわよ。月夜さんは一年で、天音さんは私と同じ二年生。双子なのに学年が違うなんてことあるの?」


「そう。そこも含めて――転校のタイミングが怪しいんだよ、この二人」


「タイミング……あ、夏休み明けってこと?」


「うん。あの”お化け鏡”の一件の直後だろ。大方その時に委員会に目をつけられて、監視役として送り込まれたんだ」


劉が急に真剣な顔で推理を口にする。

京介も美香も、頭の隅では同じ予想をしていた。


――磐笛の現場を見た次の日、月夜も天音も、それぞれ妙に意味深なことを言ってきた。

「偶然」にしては、あまりにタイミングが良すぎる。


それでも、心のどこかで二人を疑いたくない自分がいる。特に天音は本当に人懐っこく、素直で、疑うのが申し訳なくなるような子だ。

(いやな予感しかしないのに……)

京介は小さく眉を寄せ、これ以上考えるのを止めた。


「まあ、今はまだ推測の域を出ないし……様子を見ましょう」

美香が複雑な表情で呟く。


そうして三人も会場を出る。


廊下の窓から夜風が吹き込み、会議室にこもった熱気をさらっていく。


会議のざわめきが遠ざかり、代わりに虫の声が耳に届く。コオロギの鳴き声が秋の訪れを告げていた。


「じゃ、高校に帰ろうか。草薙さん今日も一日お疲れさまでした」

「うん。今日の会議、思ったより疲れたね。でも充実してたかも」

「……僕は今から学校に戻るのがさらに憂鬱になった。また色々と面倒なことが増えそうだ」


「もう、八田君ったら。でもきっと楽しいこともあるわよ」

美香が呆れながらも微笑んで先を歩く。街灯の光に照らされた彼女の横顔は、どこか大人びて見えた。


「まあまあ、京ちゃん。文化祭ってこういうドタバタも含めて楽しむものでしょ。きっと終わってみれば、いい思い出になるよ」

劉が肩をすくめると、京介は「ドタバタすぎて心配だ」と小声で返した。



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