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第四話 違和感


公園のベンチに座らされて、京介は仕方なく顔の手当てを受けていた。


擦り傷ひとつに大げさな騒ぎをしているのは、美香のほうだ。

「ちょっと! これ、ちゃんと消毒しないと跡になるかもしれないんだから」

ポーチから取り出した救急セットが、プロ並みに整っているのが逆に怖い。絆創膏だけじゃない。滅菌ガーゼに包帯、消毒液まで——なんだよこれ、医療ドラマか。

「……お前、なんでそんなもん常に持ち歩いてんだよ」

「人助けするって決めてるんだから、当然でしょ?」

言い切ったその声には、妙な力がこもっていた。正論だけど、理屈だけじゃない熱みたいなものがあって、妙にひっかかる。隣で、すでに“過剰手当て済み”の劉が小さく笑った。

「草薙さんって、本当に変わってるね。なんだか、救急隊員みたいだ」

「んー、それはちょっと違うかな。あたし、ヒーローになりたいだけだから」

さらりと、美香は言った。ヒーロー。まるで幼稚園児の夢みたいな、それでいて真っ直ぐすぎる言葉。

「……お前、」なんでそこまで他人に必死になれるんだよ。

そう言いかけたところで、包帯がきゅっと巻かれる。

「よし、できた! これで完璧!」顔が包帯でおたふく風邪みたいに覆われている。

……ここまでする必要あるか? 京介はなんとか平静を装って立ち上がった。

視界の隅で、劉がぷるぷる震えているのが見えたけど、無視する。

それでも、美香の心配は本物だし、助けてもらえたのは事実だ。

それに……胸の奥で、何かが揺れていた。ほんの、わずかだけど。


「……ありがとよ」

「えっ、今なんて?」「聞こえてたろ、バカ」

「ふふっ、言ったね今。録音しとけばよかった〜」

騒がしく笑う美香の横で、劉がにこにこしながらつぶやいた。

「なんかさ、いいね。こういうの。ちょっとだけ昔の京ちゃんに戻ったみたい」

——昔の、僕? 

その言葉に、一瞬だけ胸がざらついた。忘れたはずのものが、また呼び起こされる気が

して。けど、それを振り払うように、小さく頭をかいた。

「……さっさと帰るぞ。暗くなる」

そのとき、美香がじっと京介を見た。

すると、劉に聞こえないように小さな声で

「……ねえ、さっき、何か使った?」「え?」

急な問いかけに、京介は瞬時に固まる。

「何を、って……」口ごもる京介に、美香はじっと目を細める。

「ふうん……そう。なら、わからないならいいの」あっさりと引いたように見えて、その目は探るような鋭さを含んでいた。



京介はケガをした劉を駅まで送ることにした。

草薙は「引っ越しの荷物が届くから」と言って公園で別れた。

駅までの道すがら、僕たちは他愛もない話をした。授業のこと、特進クラスの癖の強い面々の噂話、教師たちの裏話。本当にくだらなくて、笑いも起きないような会話だったけれど

——それでも、不思議と心は落ち着いていた。


けれど、ふとした瞬間に胸の奥がざわついた。

(……さっきの、あれ)僕が殴られそうになったとき。

美香に助けれられる前

ほんの一瞬だけど、妙な感覚があった。

まるで誰かが僕のすぐ目の前に手をかざしたような、見えない“何か”が飛び出したような……。

いや、もっと曖昧で、言葉にできないけれど、確かにそこに“何か”があったと思える感覚だった。



——あのとき、「劉!」

僕が駆け寄ろうとした、その瞬間。不良の拳が頬をかすめ、視界が揺れ、次の一撃が振りかぶられた。

その瞬間だった。

“パリッ”という音とともに、目の前の空間がわずかに震えた。

拳が何かにぶつかったようにわずかに遅れた。

(……え?)僕は不思議な感覚にとらわれていた。

思考を巡らす間もなく、背後から風を裂く声が響く。

「危ないっ!」スカートの裾がひるがえり、不良の拳を受け流す。

草薙美香だった。

「遅れてごめん。でも、絶対守るから」そう言って、彼女は凛とした目で不良たちを見据えた。柔らかく、でも確実に。相手の動きを封じ、地面に崩す。最小限の動きで、力を流し、受け流し、決して無駄にしない。


一方で僕は、さっきの“違和感”の正体をまだ呑み込めずにいた。触れれば何かに触れそうな気がする。

けれど誰もそれに気づいていないようだった。

殴ろうとした不良の手が、まるで見えない緩衝材のようなものに防がれた。

あの瞬間だけは、僕にしかわからなかったと思う。けれど確かに、“何か”が、僕を守った。



「……京ちゃん?」劉の声に、我に返る。

「え? あ、悪い。ちょっと考えごと」

「もしかして……また、あの時のこと?」その言葉に、無意識に拳を握っていた。

「いや、そういうんじゃない。ただ……なんか変だったんだよな。殴られる前。不思議な、懐かしい感覚がしたんだ。何かが僕を守ったような」

「不思議で、懐かしい……守る感覚?」

劉は歩みを止め、少し心配そうに僕の顔を覗き込んだ。

「……“バリア”とか、関係してない?」

「バリア!?」思わず問い返す。

“知らない”と言い切りたかった。

けれどその言葉を聞いた瞬間、なぜか納得してしまう自分がいた。

確かに、殴られると思った瞬間——僕の中から、何かが勝手に飛び出した。

「ごめん。俺もあんまり覚えてないし、あれが現実だった自信もないんだ」

劉の声は穏やかだったけれど、どこか確信を帯びていた。

まるで僕が忘れてしまった何かを、彼だけが知っているような口ぶりだった。

「でも、きっと京ちゃんを守ってくれるものだよ。その力は」

……守る。

そんな感情、僕はもう抱かないようにしていたはずだった。



「頭、いてぇ……なんで今なんだ」

この数日、あまりにもおかしなことが起こりすぎている。

見ず知らずの変なお嬢様が現れるわ、勝手に隣室に引っ越してくるわ、今度は見えないバリアが飛び出すわ——。

「たぶん、今、京ちゃんの心が大きく変わったんだよ」

劉のその一言が、妙に胸に引っかかった。自分の心なんて、とっくの昔に空っぽになったと思っていた。

でも——あの瞬間だけは。美香が、自分の身体を張って僕の前に立った、あの瞬間だけは——。

「“絶対、守るから”か……」小さく漏らした僕の呟きに、劉が振り返った。

「それ……草薙さんが?」「……ああ。アホみたいだろ」「ううん。すごく、彼女らしいと思う」

劉の目が、少しだけ羨ましそうに揺れていた。

「理解できねぇ。なんであいつ、あそこまでして……」

「……じゃあ、聞いてみる?」

「は?」

「草薙さんが、本当に“ヒーロー”になりたい理由」劉は冗談っぽく笑ったけれど、その声音には真剣さがにじんでいた。


ヒーローなんて、現実には存在しないと思っていた。

だけど——僕の前に立って、拳を受け止めようとしたあいつの背中は。

確かに、誰よりも“それらしく”見えた。……聞いてみるか。

あいつが本当に“ヒーロー”になりたい理由



——その日の夜、夜風が部屋のカーテンを揺らしていた。小さな音を立ててガラス窓を叩き、月の光が薄暗い部屋の中にぼんやり差し込んでいる。僕はベッドの端に座り込んでいた。背中を丸めて、手をだらんと膝に垂らしながら目を閉じると、劉の言った「バリア」という言葉が、何度も脳裏にこだました。

それはただの比喩や例え話じゃなかった。

あの瞬間、確かに——何かが、僕を包んだ。


(あれは……)思い出す。

それはずっと昔の記憶の中。

小学校に上がる前の、ある断片的な記憶。

——誰かに呼び止められた。知らない大人。男か女かも思い出せない。

ただ、優しい声で言われた。『このことは、誰にも話してはいけないよ。君が傷つかないためにね』

言葉も、顔も、まるで霧の中。

だけど、そのときの胸の痛みや、息苦しさは、なぜか今でもはっきりと蘇ってくる。

(……俺は、何を……隠されてたんだ目の奥がじんわり熱くなる。

頭を抱えて、膝に額をつけた。

「……結局、俺は何者なんだよ」



その時だった。どんっ!! 隣の部屋から、家具が倒れたような大きな音。

続いて「バタバタッ!」と何かが転がる音もする。

「……またかよ」さっきから何度も何かがぶつかるような物音が壁越しに伝わってきていた。苛立ちというよりも、集中が削がれて落ち着かない。

まるで誰かに考える時間を邪魔されてるような感覚。僕は溜息をひとつつき、サンダルを引っかけて立ち上がった。部屋の扉を開け、廊下に出て隣室の前に立つ。


 おもむろにチャイムを押すと、ぴんぽーんと間の抜けた音が響いた。

 ……しばらく返事はない。

 だが、部屋の中で何かが動く気配はする。

 「おーい……草薙?」

 名前を呼ぶと、ドタバタと慌ただしい足音が聞こえ——

 がちゃり。勢いよくドアが開いた。

 「っわっ、八田くん!? な、なに!? まだ心の準備が……!」

 そこには、髪を乱し、何やら紐のようなものを体に巻きつけた美香の姿。

 手には掃除機のノズル、足元には倒れた脚立、そして散らばった紙の束

 「……いや、なんの準備だよ。さっきからドンドンうるさいんだけど」

 「え!? あ、あああ……ご、ごめん! ちょっと模様替えをしてて……落ち着かなくて……」

 しどろもどろの美香は、明らかに焦っていた。

 「模様替え? 夜に?」

 「ヒーロー活動に備えて、基地の整備を……!」

 「昼にしろよ、夜にしてんじゃねえよお前」

 思わず素でツッコんでしまった。

 「で、八田くんがわざわざ来たってことは……どうしたの? 君なら耳栓でもして無視して寝そうなのに」

 不意に、美香の顔が真剣になる。

 じっとこちらを見つめてくる視線に、京介は一瞬、言葉に詰まった。

 ——まったく、何なんだこいつは。人の心でも読んでるのか。

 最初はただの騒音にイラついて来ただけ。

 けれど、どうせなら——このタイミングで、聞きたかったことをぶつけたくなった。

 「あのさ。聞きたいことがあった。……お前が、“ヒーロー”なんかになりたい理由」


 その言葉に、美香の目が一瞬、大きく見開かれる。

 そして——

 「……それは、明日でいいかしら? どうせなら二人まとめて話すわ」

 真剣な声音でそう言って、美香は静かにドアを閉めた。

 「……は?」

 急に打ち切られた京介は、ひとり取り残されて呆然とする。

 だが次の瞬間、軽くキレた。

 「いや、なんだその終わらせ方!!」

 結局、モヤモヤを抱えたまま京介は部屋に戻った。







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