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諦めた僕と諦めないお嬢様の話  作者:
第四章

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第四章 八話 あいさつできるかな 上


会議が終わると、椅子のきしむ音やノートを閉じる音が一斉に響いた。重厚な木製テーブルに映り込んでいたシャンデリアの光がゆらゆらと揺れ、豪華な会議室も、つい先ほどまでの緊張感が嘘のようにざわめきに包まれる。各テーブルで代表者たちが立ち上がり、配布資料を整理したり、隣の席の人と小声で話したりと、場の空気が一気に緩んだ。


「ふぅ……思ったより長かったわね。二時間近くも座りっぱなしだったんじゃない?」

「はぁー、このあとクラスで報告しなきゃいけないのか。正直だるいな」


京介が机に突っ伏しかけると、隣の月夜が涼しい顔で立ち上がった。制服のブレザーにも皺一つなく、長時間の会議でも疲れを微塵も見せない姿は、やはりどこか人間離れしている。


「八田さん、私は一足先に戻らせていただきます。その代わり会議の内容は私の方から皆さんに伝えさせていただきますわ。代わりに、会議室の片付けをお願いします」


声のトーンも会議中と変わらず、事務的で淡々としている。


「え、いいのか? でも片付けって言っても……」


「はい。では失礼いたします」


京介が最後まで返す間もなく、月夜はスカートを翻し、音もなく部屋を後にした。歩き方まで優雅で、まるで床に足をつけずに滑るように移動していく。その後ろ姿を見送る京介の表情には、困惑と少しの安堵が混じっていた。


「あら、月夜さん行っちゃったの? お話したかったのに残念」


唖然とする京介の横で、美香が口を尖らせる。彼女も立ち上がりながら、月夜が消えたドアの方を振り返った。


「ああ。僕に片付けを任せて、自分は説明役をやるつもりらしい。……まあ、僕が説明してもどうせ伝わらないだろうし、あいつの方がよっぽど整理して話してくれるだろう」


「そこは頑張りなさいよ……」


「でも、片付けってすることあるか?」


京介が辺りを見回すと、確かにやることは見当たらない。もともとセットされていた机と椅子に座っただけだ。強いて言えばホワイトボードに書かれた予定表くらいだが、それもすでに役員の人たちが片付けていた。


「うーん、ないと思う。月夜さんも分かってて言ったんじゃないかしら」


美香が苦笑しながら答える。


「にしても、ずっと同じ姿勢だと肩が凝るわね。あ、首も痛い」


美香が軽く肩を回し、首をゆっくりと左右に傾けたそのとき、少し離れた席から小走りで近づいてくる人影があった。ツインテールが弾むように揺れて、大きな瞳を輝かせている。


「草薙さん! 演劇のお話、とても素敵でした!」


布都天音。息を弾ませながら美香に声をかける。頬には興奮で薄っすらと赤みが差し、本当に心から感動しているのが伝わってくる表情だった。

美香は一瞬きょとんとした表情を見せたが、すぐに柔らかな笑みを返した。


「ありがとう、天音さん。そんなに褒めてもらえると照れちゃう」


「でも、ひとつ不思議で……草薙さんって演劇部じゃないんですよね? どうして主演に抜擢されたんですか?」


天音の率直な疑問に、京介も思わず耳をそばだてる。確かに美香は帰宅部で、演劇の経験があるとは聞いたことがない。


「えっと……」美香は少し照れたように頬を掻く。

「本当は演劇部の三年生の子が主役をやる予定だったんだけど、夏休み前に体調を崩しちゃって。それで代役を探してたときに、国語の授業でのクラス内朗読発表を佐藤先生が覚えてて……推薦されちゃったの」


「推薦って……先生に?」京介が眉を上げる。


「そう。その朗読発表、たまたま『ロミオとジュリエット』の一部だったのよ。私、部活も入ってないし時間に余裕がありそうに見えたんでしょうね」美香は肩をすくめて笑う。

「でも、せっかく任されたからには全力でやってみようって思ったの。文化祭って、みんなで作るお祭りだし。一人で完成させるものじゃないから、みんなで協力すれば素敵なものになるはず」


「草薙さんらしいなぁ」と呟く劉に、天音はうっとりと頷く。「きっと素敵な舞台になります! 私も観に行かせていただきますね」


(……やっぱりこういうところが”お嬢様ヒーロー”なんだよな)京介は内心でぼやく。

困っている人がいれば自然と手を差し伸べ、面倒なことでも引き受けてしまう。

そんな美香の性格を知っているからこそ、今回の件も納得できる反面、心配にもなる。


そんな彼の耳元に、突然小声が飛んできた。

「京ちゃん、あの子達やっぱりなんか怪しいよ」

「ひゃうっ!」


不意に耳元で囁かれ、京介から妙な声が漏れる。驚いて振り返ると、劉が笑っていた。


「ふふ、ごめん、びっくりさせる気はなくて。」


「なにしやがる」


苛立ち紛れに京介が全力の拳を繰り出すが、劉の腹に当たった瞬間「ぽふっ」と情けない音が鳴るだけだった。


「もしかして、今のお可愛らしいお声は八田君かしら?」


振り向くと、美香が手を口にあて、貴婦人風に気取って笑っている。


一方、天音は口元を押さえて無表情を装っているが、肩がプルプル震えているのが丸わかりだった。


「帰る」


耐えられなくなった京介が立ち上がろうとする。

「わわ、ごめんって京ちゃん。もう少し代表の人達と仲を深めてから帰ろうよ〜」

劉が慌てて腕を掴む。その手はかなり力強く、京介が振りほどこうとしてもなかなか離れない。


「そこまでする必要ないだろ。挨拶は済んだんだし」

「あるある! これから文化祭で一緒に動くんだから! 特に天音さんは美香ちゃんと同じクラスでしょ? 今のうちに仲良くなっておかなきゃ」


「そうよ。せっかくの機会だもの、みんなで挨拶して回りましょう。八田君も人見知りを直すいい機会じゃない」


「ぐっ、草薙まで……」


両側から押され、京介はじりじりと席に押し戻される。美香と劉の連携プレーに、逃げ場は完全にふさがれていた。


「天音さんも一緒に行きましょう!」


「はい、ご一緒します! 皆さんと仲良くなれて嬉しいです」


天音が勢いよく頷いた瞬間、京介の逃げ場は完全に消えた。

会議後の雑然とした空気の中で、彼だけが一人、居心地の悪さに悶えていた。


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