第四章 七話 代表者会議 上
早乙女学園の特別会議室。
ざわざわと机を囲んで座る数十名ほどの生徒たち。今日は各クラスから選ばれた実行委員の顔合わせの日だった。
京介たち叢雲高校の代表組は、わざわざ昼休みの時間を潰してここまで来ている。何度か「お化け鏡」の件で訪れたことはあったが、本校舎に足を踏み入れるのは初めてだった。
廊下を歩いている間から、京介は圧倒されっぱなしだった。壁にはホコリどころか傷一つなく、磨き上げられた白い壁面が蛍光灯の光を美しく反射している。廊下に敷かれた赤い絨毯は漫画でしか見ないような鮮やかさで、毛足が長く、土足で踏むことさえためらわれるほどの高級感を醸し出していた。天井から下がるシャンデリアも、叢雲では見たこともない装飾の細かさだ。
「やっべえ、マジ別世界」
「本当にすごいね……こんなところで勉強してるなんて」
思わず小声でつぶやいたのは特進クラス1年代表の劉と匠だ。劉のおっとりした声色の奥に、普段優等生たちがあまり見せない緊張が滲んでいる。匠も普段の落ち着きを失い、きょろきょろと室内を見回している。
「校舎が違うだけで、まるで別世界だな。僕たちの学校の会議室なんて、パイプ椅子と長机だけだぞ」
京介もつぶやく。畏まった調度品に囲まれていると、自分が場違いな存在に思えて仕方ない。重厚な木製の机と椅子、壁際に並ぶ本棚、そして何より静寂に包まれた厳かな雰囲気が、普段の学校生活とは全く違う緊張感を生み出している。
「……あまり、キョロキョロするものではないですよ」
隣を歩く月夜に苦言を呈され、京介は何も言えず前を向く。彼女の方がよほど慣れているように見える。
「あっ、八田君、杉原君!」
声を掛けてきたのは美香だった。制服のリボンをきちんと整え、いつもより少し背筋が伸びて見える。普段の親しみやすい雰囲気の中にも、どこか誇らしげな表情が混じっている。
「草薙さん!」
劉が安心したように手を振る。知った顔を見つけて、ほっとしたような表情だ。
京介は美香の元に歩きながら、目の端で周囲の様子を盗み見た。高級そうなシャンデリアに、重厚な机と椅子。これじゃまるで役人の会議室、いや、むしろ高級ホテルの貴賓室のようだ。自分たちの学校の実用一点張りの設備とは雲泥の差がある。
「……草薙、なんだここは。俺たちの会議室と全然違うじゃないか」
思わずぼやく。
「なんだって、会議室よ。私たちの学校では普通のお部屋」
美香は当然のように答えるが、どこか誇らしげだ。友達に自分の家を見せている時のような、微かな優越感が表情に浮かんでいる。
そんな彼らの前に、案内役の早乙女の生徒が上品な笑顔で言った。
「皆さん、席は特に決まっておりませんので、お好きなところにおかけください。リラックスしてくださいね」
「あら、自由席なのね。よかった、みんな近くに座りましょ」
美香が明るく声をかけると、自然と叢雲組はその周辺に集まっていく。やはり知らない環境では、知った顔同士で固まりたくなるのは人の常だった。
京介は美香の隣に腰を下ろした。反対隣には劉。結果として、美香の周囲は叢雲生で固められる形になった。早乙女の生徒たちも同じように、自然と同じ学校の生徒同士で座る傾向があるようだ。
椅子に座ってみると、その座り心地の良さに驚く。クッションが適度に身体を包み込み、背もたれの角度も完璧だ。これなら長時間座っていても疲れないだろう。
「……隣、失礼します」
少し間を置いて丁寧に声を掛けてきたのは月夜だった。綺麗な黒髪に凛とした雰囲気を漂わせ、迷いのない仕草で京介の横に座る。彼女の動作には早乙女学園の品格が自然と滲み出ている。
「お、おう」
京介は少し肩をすくめながら返す。普段から人付き合いが苦手な彼にとって、この近さは妙に落ち着かない。特に月夜のような美少女が隣に座ると、どうしても意識してしまう。
「あら、あなたも叢雲の代表なのね。同じ一年生同士……よろしくお願いします」
月夜は真っ直ぐに劉の目を見る。
その眼差しにどこか圧がある。初対面の挨拶としては丁寧すぎるほど丁寧だが、それがかえって距離感を感じさせた。
「うん、よろしくね、月夜さん。一緒に頑張ろう」
劉はいつものすごくいい笑顔で返事をしている。彼の天然な人懐っこさが、月夜の警戒心を和らげることができるだろうか。
(これは、逆に煽っていると捉えられるのでは?)
京介は内心でハラハラしている。この前の商店街での初対面といい、この二人の会話は見ているだけで胃が痛くなる。劉の方は完全に善意なのだが、月夜がどう受け取るかが読めない。
「あら、八田君の癖に女の子と交流があったのね。意外だわ」
隣で美香が小声で茶化してくる。いつもの調子だが、この場では少し声が大きく感じられる。
「ただの代表ペアだ。変な勘違いするな」
京介は慌てて否定するが、顔が少し赤くなっているのを自分でも自覚している。
そのタイミングで、会議室の前方に立った女子が手をパンと打ち鳴らした。
短めの黒髪をきっちりとまとめ、背筋を伸ばした姿はすでに”リーダー”の風格を漂わせている。制服の着こなしも完璧で、話をする前から既にその場を支配する空気を醸し出していた。
「皆さん、静かにお願いします。これより文化祭実行委員、第一回合同会議を始めさせていただきます」
場のざわめきが次第に収まり、豪華な会議室は一気に緊張感に包まれた。
椅子の軋む音さえ耳に刺さるほど、空気が張りつめる。シャンデリアの光がより一層まばゆく感じられ、会議室全体が厳粛な雰囲気に包まれた。
前方に立った女子生徒が一歩前へ出ると、背筋を正したまま凛とした声で口を開いた。
「それでは、予定の時間になりましたので始めさせていただきます。
私は今回、この合同文化祭の実行委員長を務めさせていただくことになりました──早乙女学園三年、野原真澄と申します。至らぬ点もあるかと思いますが、どうぞよろしくお願いいたします」
きっぱりとした声はマイクがなくともよく響き、部屋全体を支配した。彼女の存在感は圧倒的で、自然と背筋が伸びる思いがする。生まれついてのリーダーという雰囲気が、その立ち姿からも滲み出ていた。場の空気を読む力、人を惹きつける魅力、そして何より責任感の強さが一目で伝わってくる。
拍手が起こり、場の空気が締まる。
「今日から早乙女と叢雲、両校合同で文化祭を進める実行委員会が本格始動いたします。まずは顔合わせと自己紹介から始めたいと思います。初めてお会いする方も多く、緊張されている方もいらっしゃると思いますが、どうぞお気軽にお話しください」
再び柔らかい拍手。けれど先ほどより温かみがある。真澄の話し方には、緊張をほぐす絶妙な配慮があった。
「それでは、まず役員の方々から自己紹介をお願いいたします。次は副委員長の篠原さんから──」
すっと立ち上がったのは叢雲の制服を着た男子。がっしりとした体格に人懐っこい笑顔、それでいて落ち着いた雰囲気を持っている。スポーツ系の部活をやっていそうな体つきだが、話し方は知的で丁寧だ。
「副委員長を務めさせていただきます、叢雲高校三年の篠原甲斐です。主に全体のスケジュール管理と資料作成を担当する予定です。皆さんの作業がスムーズに進むよう、できるだけサポートしていきたいと思っていますので、何かありましたら遠慮なくお声をかけてください。よろしくお願いします」
真面目で手堅い自己紹介。誠実な人柄が滲み出ている。場が少し和らいだのを感じる。
その横に座っていた金髪の派手な女子が勢いよく手を挙げた。ネイルアートも凝っていて、制服のリボンも少しアレンジされている。早乙女学園でもこういう個性的な生徒がいるのかと、京介は少し意外に思った。
「はーい!次はあーしの番だね!早乙女学園三年の石城杏奈でーす!広報とSNS担当を任されました!文化祭は”映え”が命よ〜、みんなで最高にフォトジェニックな思い出作ろうね☆ インスタもTikTokも、バズらせちゃうから期待しててね!」
満面の笑みで両手を振る杏奈に、男子数人が「派手だな……」「あの子の動画見たことある」「すげえキャラだ」とひそひそ。
だが、真澄がチラッと鋭く睨むと、即座に沈黙した。委員長の統率力を感じる瞬間だった。
続いて、叢雲の制服を着た小柄な男子が控えめに手を挙げる。眼鏡をかけた真面目そうな顔立ちだが、どこかユーモラスな雰囲気も持っている。
「えっと、叢雲高校二年の結城翔です。書記担当になりました。字を書くのが早いってだけの理由で選ばれたような気がしますが……会議の議事録作成を頑張ります。もし作業のし過ぎで手が腱鞘炎になったら、医療費は学校持ちでお願いしますね?」
会場にクスクス笑いが広がる。硬かった空気が少しずつほぐれていく。彼のような存在がいることで、会議の雰囲気も和やかになるだろう。
続いて体育会系の野太い声が響いた。立ち上がったのは、いかにも運動部出身という体格の男子だ。日焼けした顔に人懐っこい笑顔、エネルギッシュな雰囲気が会議室に活気をもたらす。
「叢雲高校二年の能川大地だ!安全管理と設営責任者を任されました!重いものを運ぶのも、警備も、危険な作業も、ぜーんぶ俺に任せておけ!絶対に事故なんて起こさせないぜ!」
あまりに大きな声に、隣に座っていた女子が「うるさいって」と笑いながら肩をすくめる。その仕草がまた微笑ましく、場にさらに笑いが生まれた。大地の豪快な人柄が会場の雰囲気をより一層明るくしていく。
京介が小声で漏らす。
「……役員、もう決まってんのか」
美香が耳元で囁く。
「事前に、どちらかの学校に偏らないように先生たちが推薦してたみたい。主に二、三年からね。バランスを考えて、各校から同じ人数ずつ選ばれてるの」
「なるほどな。まあ、それが無難だろうな」
その後も、展示担当の美術部女子、会計担当の男子、ステージ進行を務める放送部員など、役職付きの上級生が順に自己紹介をしていった。それぞれが自分の担当する分野について簡潔に説明し、徐々に文化祭の全体像が見えてくる。
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