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第四章 六話 合同文化祭 

余白探偵社の事務所は、いつもののんびりとした空気とは打って変わり、重苦しい沈黙に包まれていた。

壁際のホワイトボードには地図が貼られ、赤いピンがいくつも突き立てられている。机の上には古びた書類やコピーの束が散乱し、ページの隙間にはメモ書きや付箋が差し込まれていた。


しかし、その山の中身は数週間前からほとんど変わっていない。誰が見ても、行き詰まっているのは明らかだった。


「いくら調べても、これ以上の情報は出てきませんね……」


大和がペンを置き、長いため息を吐く。彼の机の上には、石塔に関する資料が積み上がっていた。古地図、土地の登記簿、寺や神社の古文書、地元の聞き取り調査の記録……。だが、どの紙をめくっても内容は似たり寄ったりで、新たな手がかりにはつながらない。


「山の持ち主に直接、連絡を取ってみた方が早いんじゃないですか?」

静が小さな声で提案する。だが、その表情は疲れていて、目の下にはうっすらとクマができている。


「……下手に聞き込みをすれば、逆に怪しまれるかもしれません」

透は手元の資料を静かに閉じ、椅子に背を預けながら息を吐いた。


委員会の動向を探る調査も同じだ。彼らの活動は完全に水面下に潜り、表向きは何の変化もない。逆にその沈黙が、不気味さを増していた。


「動きがない方が、逆に不気味ね」

美香が腕を組み、眉間に皺を寄せる。

「嵐の前の静けさ、って感じがするわ」


「まあまあ」

劉がカリカリと手回しのミルでコーヒー豆を挽きながら、おっとりと声をかける。

「こういうときに焦って突っ込むと、こっちが潰されるよ。待つのも作戦のうちだからね」


透は全員の顔を見回し、探偵社の責任者らしい口調で告げた。

「石塔の件も委員会の件も、今は進展が期待できません。無理に動いて警戒されるよりは、皆さんしばらく学校行事に専念してください」


「学校行事……?」

京介が顔を上げ、カレンダーに視線を移す。十月も半ば。そういう時期といえば――


「文化祭のことか」


ため息交じりに呟くと、劉が「そうだよ!」と嬉しそうに声をあげた。

「しかも今年は叢雲と早乙女で合同だって聞いたよ」


「ええ」

美香が頷く。表情がさっきまでと違い、ぱっと明るくなった。

「叢雲高校と早乙女女子学園による初めての合同文化祭。市の教育委員会が推進している地域交流プロジェクトの一環で、市民も参加できる大規模なイベントになるんですって」


美香はまるでパンフレットを読み上げるかのように、すらすらと説明を続ける。

「私の学校でも先生たちが力を入れていて、『今年は特別な年になる』って校長先生も放送で演説してました。本当に気合い入ってるんだから」


「……うちの担任は三分で終わらせてたけどな」

京介がぼそりと呟く。その光景を思い出し、肩をすくめる。


「どんな説明だったんですか?」

静が興味深そうに首を傾げる。


その問いかけを合図に、京介と美香の記憶はそれぞれの学校の教室へと遡っていった。



叢雲高校・普通科1年3組


水曜日、6時間目のホームルーム。

担任の笹木は、教壇に立つなりだるそうに頭をかいた。四十代後半、薄くなった髪を無理やり整え、ワイシャツのボタンを二つ外した姿は、どう見てもやる気がなさそうだった。


「えー……今年は早乙女女子学園と合同で文化祭をやるらしい」


チョークで黒板に「合同文化祭」と大きく書く。字は妙に丸っこく、手抜き感がにじみ出ている。


「叢雲は会場準備とか力仕事中心な。舞台は向こうがやるから、まあ楽っちゃ楽だ」


「マジか、女子校と合同?」

「お嬢様学校だろ、絶対浮くだろ」

「でもチャンスじゃね?」

「いやいや、どうせ壁あるに決まってる」


男子の間で一気にざわめきが広がる。女子は女子で「めんどくさい」「準備押し付けられそう」などとひそひそ声を交わしている。後ろの方では数人が机に突っ伏し、完全に無関心を装っていた。


京介は窓際の席で、秋空に浮かぶ雲をぼんやりと眺めていた。

(どうせ僕には関係ない。こういう時こそ陽キャ達に頑張っていただこう。)


「各クラスから二人、実行委員を出すことになってる。誰かやるか?」

当然、誰も手を挙げない。


「……はい、じゃあじゃんけんな」

その瞬間、教室は一気に戦場と化した。

押し付け合い、奇声、何を出すかの心理戦――。

そして最後まで残ってしまったのは、じゃんけんが壊滅的に弱い京介と、無表情で「なんで?」と固まっている月夜だった。


「八田と布都、よろしくなー」

笹木は心底どうでもよさそうに言い放つ。


(……最悪だ)

京介は頭を抱えた。



早乙女女子学園・2年2組


同じ時間。

こちらは叢雲とは正反対に、熱気に満ちていた。


「皆さん、今年は歴史的な年です!」


教壇に立つのは国語教師であり演劇部顧問の佐藤先生。五十代ながら声量と表現力は健在で、まるで舞台に立つ女優のように身振り手振りを交え、教室全体に響き渡る声で語っていた。


「叢雲高校との合同文化祭は、ただの学校行事ではありません!地域交流、そして皆さんの成長の舞台でもあるのです!」


整然と並ぶ机。背筋を伸ばした女生徒たち。教室はまるで舞台前の観客席のように、ぴんと張り詰めていた。


「特に舞台公演は、市民の皆様もご覧になります。私たちが届けるのは――感動です!」


「さすが先生、今年も熱いわね」

「でも舞台って責任重大じゃない?」

「市民も来るって緊張するよね」


ひそひそ声が広がる中、美香は真剣なまなざしで先生を見つめていた。


「実行委員を募集します」


その言葉を待っていたかのように、美香は勢いよく手を挙げた。

「はい!私にやらせてください。絶対に成功させます!」


教室に拍手が起き、次々と手が挙がっていく。

その中で、落ち着いた雰囲気の天音もすっと手を挙げた。


「私もお手伝いさせてください。転校して間もないですが、この機会に皆さんと仲良くなれればと思います」


佐藤先生は満足げに頷いた。

「素晴らしいわ!では、草薙さんと布都さんにお願いしましょう」



場面は再び余白探偵社へ。


「特進クラスは僕と匠が委員になったよ」

劉がコーヒーを配りながら言うと、静が目を丸くする。

「お兄ちゃんが!?……ちょっと想像できない」


美香は机に身を乗り出し、嬉々として説明を始める。

「うちの演劇、今年は『カエルの王様』なの!カエルの姿のままでも愛する、あの物語よ」


「女子だけで演劇って、男役はどうするんだ?」

京介が首を傾げる。


「宝塚方式よ。女子が男役も演じるの。うちの演劇部は県大会でも入賞してる実力派なんだから!」


静と大和の目が輝いた。

「絶対見たい!」

「私も!」


「叢雲は出店だよね?京ちゃんは?」

劉が穏やかに問うと、京介はげんなりと答える。

「……焼きそば。毎年それ。準備もやる気なし、当日も投げやり。これが叢雲クオリティ」


「何それ!」

美香が机を叩いて立ち上がる。

「文化祭は青春の花形行事なのよ!全力でやらなきゃダメ!」


「僕に青春は似合わないだろ」

「似合うかどうかじゃないの。やるのよ!」


二人のやり取りを眺め、透がさらりと割って入った。

「ほら、盛り上がってるじゃないですか。今は文化祭に集中しましょう」


「事件のこと、丸投げされた気がするんだけど」

京介がぼやくが、透は涼しい顔でコーヒーを口にする。

「気のせいですよ」


美香は両手を腰に当て、ビシッと京介を指差した。

「絶対遊びに来てよ!八田君、あなたは焼きそばを全力で!」


「なんで命令……」

「心配だからに決まってるでしょ!」


劉がくすりと笑う。

「みんなで一緒の文化祭なんて特別だよ。京ちゃん、頑張ろ」


京介は肩をすくめつつも、どこか諦めきれない笑みを浮かべた。


透が最後に釘を刺す。

「ただし。異変を感じたらすぐ報告を。彼らが静かなのは、何かを準備している証拠かもしれません」


「了解」

全員が頷いた。


窓の外、秋の夕日が事務所を照らす。

久々に温かな雰囲気に包まれた部屋。

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