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第四章 五話 石塔 上

『現場』の京介、美香と『補佐』の劉、『探偵』の透は石塔のある山に訪れていた。

その日は午後から始まった調査だったが、現場に到着する頃には既に夕闇が迫り、山間の空気は次第に冷え込んでいた。


『記録調査』の大和と静が調べてくれたところによると、昔、村で疫病や災いがあった時に”悪しきもの”を封じたと言い伝えられているという。

しかし、その詳細は驚くほど曖昧だった。

詳細な記録は残っていない。

地域の老人が「あそこには近寄るな」と口にする程度で、村の図書館にも、郷土史にも、わずかな記述しか見つからなかった。


“悪しきものを封じた”という言葉に、京介はどこかあのお化け鏡を思い出していた。あの時の異様な感覚、結界が勝手に反応した記憶が、胸の奥でざわめいている。

「八田君、大丈夫?」

美香が心配そうに声をかけた。

「...ああ」

京介は曖昧に答えたが、不安は拭えなかった。

劉は周囲を見回しながら呟いた。

「こんな山奥にそんな石塔が本当にあるのかな?」

透は懐中電灯を手に、慎重に足元を確認しながら歩いていた。

「古い石造物ということでしたが……この辺りの地質を考えると、相当な労力をかけて運ばれたものでしょうね」

夜の山道を抜けると、木々の間からぽっかりと空間が開けた。

月明かりが差し込むそこに――石塔がそびえていた。

人の背丈ほどの高さしかないが、風雨にさらされて黒ずみ、苔とひび割れに覆われている。

ただの古い石造物に見えるはずなのに、その佇まいはどこか圧迫感のある存在感を放っている。


「……ここか」

京介が息を呑み塔に触れた瞬間、塔の表面に刻まれた線がぼんやりと光った。

「ん?」

最初は月の光の錯覚かと思われたが、その光は徐々に強くなっていく。

大地を震わせるような低い唸りが響く。

冷たい風が吹き抜け、誰もいないはずの場所から怨嗟めいた囁きが混じって聞こえてくる。


「き、聞こえる……? 塔から……声が……」

劉が震える声を漏らした。

彼の顔は青ざめ、後ずさりしようとしている。

その次の瞬間、京介は胸の奥に鋭いざわめきを感じた。まるで何かが内側から叫んでいるような、激しい動揺。月明かりに照らされた石肌が、赤黒く脈動して見える。自分の内側の何かが石塔に呼応している。

「おい、これは……」

透も異変に気づいた。

石塔の周りの空気が歪んで見える。

「……草薙、ここは何か変だ」

「八田君……っ」

美香も本能的に身を強張らせる。

彼女の身体強化能力が、危険を察知して警戒態勢に入ろうとしていた。

筋肉が緊張し、反射神経が研ぎ澄まされていく。

こめかみに痛みが走り、思わず結界を作り出す。

塔の隙間から黒い靄が漏れ出し、獣が牙を剥くように形を歪ませる。

長年押さえ込まれていた”残滓”が、彼の力を触媒に蘇ろうとしていた。


「うわあああ!」

劉が悲鳴を上げる。黒い靄は触手のように伸び、一行を取り囲もうとしていた。

「やめなさい!」

美香が咄嗟に京介と劉の腕を掴んだ。

その瞬間、彼女の身体強化能力が全開になる。

筋力、反射神経、動体視力——すべてが人間の限界を超えた。怒りと恐怖が彼女を突き動かし、無意識のうちに発動した力は、二人を石塔から引き離すのに十分だった。引き戻された京介の前で、靄は一度激しくうねり――そして塔へと吸い込まれて消えた。


「はあ……はあ……」

京介は荒い息を吐きながら、美香に支えられていた。結界の暴走が収まり、ようやく正気を取り戻す。

「八田君、しっかりして!」

美香の声に、ようやく京介は我に返った。


透は冷静に状況を分析していた。

「封印が……何らかの形で反応を示した。鏡の時のように八田さんの能力が引き金になったのでしょうか。」

「今回は念の為、撤退しましょう」



その直後、背後から声が落ちた。

「――面白いものを見せてもらったよ」

振り返れば、拝殿で部下に指示を飛ばしていた傷痕の男と、狐面の男がいた。

いつの間に現れたのか、まるで影から這い出てきたかのように。闇に潜む複数の影が、いつの間にか周囲を取り囲んでいる。少なくとも六、七人はいるだろう。


「余計なことを」

傷痕の男が冷たく吐き捨てる。その声には明確な敵意が込められていた。

連中を見た劉は自身の体で京介を隠した。

「京ちゃんあの人たちにあまり見られないで」

「劉?」


透が前に出て、一行を庇うように立った。

彼の物腰は相変わらず丁寧だったが、その目は鋭く敵を見据えている。声は低いが、どこまでも丁寧だ。

「……失礼ですが、ここで行われていることは”余計”という一言で済ませられるものではありません。封印が反応したのは事実です。むしろ、なぜあなた方がここにいるのか、そちらの方が疑問ですが」

透の冷静な対応に、狐面の男は興味深そうに首を傾げた。


「結界による共鳴……偶然にしては厄介」

狐面の男が前に出る。

その動きは流れるようで、武術の心得があることを窺わせた。


「警告しておこう。これ以上委員会に首を突っ込めば――命はない」

その言葉に、美香の身体が再び緊張した。

能力が警戒態勢に入り、視界が異常なほど鮮明になる。敵の人数、配置、武器の有無——瞬時に把握してしまう。


張り詰めた空気を、透はわずかに笑みを含ませて受け止めた。

「警告、ありがとうございます。ですが我々には、依頼を受けて調査する責務があります。命の危険をちらつかされようとも、簡単に退くわけにはまいりません」

透の毅然とした態度に、京介は密かに感嘆していた。


狐面の男の目が細められる。

面の下から覗く瞳には、冷たい光が宿っていた。

「……なるほど。ずいぶんと生真面目な探偵さん、ですね」


透は揺るがぬ声で続けた。

「ひとつ確認させていただきたい。委員会は、この石塔を管理下に置いているのですか? それとも、我々と同様に調査に来られたのですか?」


「……答える義理はない」

傷痕の男が苛立ったように吐き捨てた。

その反応自体が、答えを物語っているようだった。


透はそれ以上追及せず、静かに頭を下げる。

「承知しました。ただし――本日見たこと、聞いたことは記録に残させていただきます。これは調査の一環であり、我々の義務でもあります」


狐面の男が振り返り、冷ややかに告げる。

「今日は退きましょう。――ですが、次はありません」

その言葉には、明確な殺意が込められていた。

「待ちなさい!」

昂ぶったままの美香は追いかけそうになった。

身体強化能力が最大限に発動し、彼女の身体能力は常人を遥かに凌駕していた。

だが、京介が手首を掴んで制止する。


「草薙、ダメだ!」

その瞬間、美香は我に返った。

自分の能力が暴走寸前だったことに気づき、息を荒げる。


「……今、すごい力が湧いてきた……でも、制御できなかった。まるで身体が勝手に動こうとして……」

劉はまだ震えが止まらなかった。

「あの人たち、すごい圧だった……まるで人間じゃないみたい」


透は石塔を振り返り、険しい目で言った。

「封じられていたものが”悪しきもの”かどうかは断言できません。ですが、再び呼び起こされれば――次は抑えられないでしょう。今回は美香さんの機転で事なきを得ましたが……」


京介は自分の手を見つめていた。

「僕の結界が、勝手に反応した……まるで石塔が呼んでいるみたいに」


残されたのは、不気味な石塔と、なおも微かに響く怨嗟の囁きだけ。京介たちは誰も口を開けず、ただその場に立ち尽くしていた。石塔からは相変わらず、不気味な気配が漂い続けている。

「今日は帰ろう。ここ、すごくやだ」

劉がそう言った。

彼女の声は震えていたが、的確な判断だった。


透も頷く。

「そうですね。今日はこれ以上の調査は危険でしょう。一度引きましょう」

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