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第四章 四話 話し合い 下

土曜日の午後、メンバー全員が集合していた。

部室の空気は重苦しく、外から聞こえる蝉の声だけが現実味を帯びて響いている。

京介は机に肘をつき、透が広げた地図をぼんやりと眺めている。昨夜、磐笛を委員会に奪われた光景が頭から離れない。あの時の無力感、歯がゆさが胸の奥で燻り続けている。


「京ちゃん、顔が怖いよ」


おっとりした声に顔を上げると、劉がオレンジジュースの入ったコップを両手で大切そうに抱え、のんびりと微笑んでいた。その表情には、いつもの暢気さと、ほんの少しの心配が混じっている。


「こういうときは、温かいお茶でも飲んだらどう?心が落ち着くよ」


「……そんな簡単に割り切れたら苦労しない。それに、こんな暑い日に熱いものなんて飲みたくないよ」


京介の声には苛立ちが滲んでいた。


「でも、少しはホッとして気持ちが楽になるでしょ?僕のおばあちゃんがよく言ってたんだ。『心が乱れた時こそ、温かいものを飲みなさい』って」

劉は本当に昔から変わらない。

こちらの悩みを自然に受け止めて、優しい言葉で慰めてくれる。10年来の付き合いだが、彼のこの包容力にはいまだに驚かされる。


その横では、静と大和が恐る恐る椅子に座っていた。二人とも緊張で肩が強張っている。

「えっと……八田さん」

大和が遠慮がちに口を開く。声は小さいが、真剣さが伝わってくる。

「その笛って、本当に効果があったんでしょうか?実際に見た印象として……どうでした?」

「え?」

京介は意外な質問に戸惑った。

「確かに資料には『その音色には周囲の空気を震わせる不思議な力がある』と書かれていますが、学問的には『偶然の一致』や『暗示効果』として片づけられているケースも多くて……」


声は弱々しいが、語り始めると早口になる。大和の癖だった。

静も続けた。

「それに、そこまで有名じゃない神社なら、正式に調査を依頼してもいいような気がします。わざわざ夜中に忍び込むなんて、まるで焦ってるみたいに見えますし……何か急ぐ理由があるのでしょうか」

「調べてくれたのね、静ちゃん、大和くん」

美香がにっこりと笑って頷いた。

その表情には、後輩たちの成長を喜ぶ気持ちが表れている。


「そういう客観的な意見は本当に助かるわ。私たちは感情的になりがちだから、冷静な分析が必要よね。委員会も同じ記録を見てるかもしれないから、彼らの視点も考慮しないといけない」

「は、はい……」


大和と静は褒められた嬉しさと照れで、耳まで赤くして俯いた。


慌てて大和が付け加える。


「そ、それと……最近、ネットのオカルトサイトで『あの地域で神隠しがある』って都市伝説みたいに語られてるんです。書き込みを遡ると、3ヶ月前くらいから急に話題になり始めて……もし委員会がネット監視をしていたら、そこから情報を掴んだ可能性も考えられます」


「なるほど」


透が静かに頷く。

その眼差しには、新たな視点への感心が浮かんでいる。


「文化財の公式記録だけでなく、民間の噂や伝承、さらにはネット上の都市伝説にも目を光らせている可能性は高いですね。」

地図を指で軽く叩きながら、透は思考を整理するように続けた。

「となると、次に狙われるのは、やはりこの石塔の可能性が高い。距離的にも、歴史的価値的にも、論理的な次のターゲットはここです。そこで……皆の役割を改めて整理しましょう」

劉がオレンジジュースを一口飲んでから、首を傾げる。

「京ちゃんと草薙さんは『現場』担当で警備と実働。静ちゃんと大和くんは『記録調査』と情報分析。僕は……うーん、何をしよう?何か僕にできることある?」

「お前は補佐が天職だ。それに、人を見る目がいい」


京介が素直に答える。

「そうかも。10年くらい京ちゃんの補佐をしてるからね。気づいたら、京ちゃんが困る前に動いてるんだよね」


得意げに笑う劉を見て、京介は苦笑しつつも、心の奥で拳を握りしめた。

(もう……ただ見ているだけでは終わらせない。今度は必ず、先手を打ってやる)


-----


夕刻の商店街を、京介と劉が並んで歩いていた。西日が建物の間に長い影を作り、人通りもまばらになり始めている。


「今日はありがとう、劉。お前がいてくれて助かった」

「どういたしまして。でも京ちゃん、まだ何か引っかかってることあるでしょ」


劉の観察力は相変わらず鋭い。


「……えっと、あ」


角を曲がった先で――京介の足が止まった。


月夜が立っていた。


……いや、違う。


同じ顔立ちで、しかし髪に柔らかなカーブがかかり、表情も明るい少女が隣に立っている。


「……二人?」


思わず京介が声を漏らす。劉も「あれ?」という顔をしている。


双子のように似ているが、雰囲気は正反対だった。

冷ややかで近寄りがたい月夜と、無邪気に笑って人懐っこそうなその少女。


月夜は相変わらず涼しい視線を京介たちに向け、表情を変えることなく軽く会釈する。


「こんにちは……お出かけの帰りですの?」


声色も冷静で、感情の起伏がまるで読めない。京介は警戒心を隠さず身構えた。


だが、一歩前に出た劉だけは、にこやかな笑みを崩さずに口を開いた。


「君が……月夜さんだよね?初めまして」


月夜の目がわずかに細められる。警戒というより、興味深そうな反応だった。


「……ご存じでしたの?面白いですわね」


「うん。なんとなく、そんな気がしていたんだ」


劉は穏やかに笑った。


「京ちゃんから聞いた話の雰囲気と、君の立ち姿がぴったり重なったから。それに……」


劉は隣の少女にも視線を向ける。


「こちらの方も、きっと大切な人なんでしょう?」


京介が小声で「劉……」と制止しようとするが、劉は気にせず会話を続ける。その表情には、いつもの人懐っこさの奥に、珍しく鋭い洞察力が光っていた。


月夜は涼やかな声で返した。


「観察がお上手ですこと。でも、あまり深く詮索なさるのはお勧めしませんわ。知らない方が良いこともありますから」


「そう? 僕はただ、こうして知り合えたのが嬉しいだけなんだけどな。敵対する理由なんて、本当はないんじゃないかって思うんだ」


劉の口調は相変わらず柔らかい。けれど、その笑顔の裏には、普段は見せない鋭い眼差しがある。


しばしの沈黙が商店街に流れた。遠くから聞こえる車の音だけが、時の流れを告げている。


月夜は観念したように、ほんの少しだけ表情を緩める。


「……面白い方ですわね。あなたのような人は、案外……私たちにとって一番危険かもしれません」


「危険?」

劉は「はは」と笑って肩をすくめた。


「そんなこと言われたの、人生で初めてだな」


そのやり取りを、京介は固唾を呑んで見守っていた。二人の間には、まるで柔らかい布越しに鋭い刃を交わすような、妙な緊張感が漂っている。言葉は穏やかなのに、互いの本質を探り合っているような空気だった。


――その時、隣にいた少女が、まるで緊張をほどくように明るい声を上げた。


「ねえお姉ちゃん、そろそろ行こうよ。約束の時間になっちゃう」


少女の声は月夜とは対照的に、温かみがあって親しみやすい。


「……ええ、そうですわね」


月夜は短く答え、こちらから目を逸らさぬまま、ゆっくりと踵を返す。


少女が振り返って「にこっ」と無邪気に笑い、丁寧に頭を下げた。その笑顔には屈託がなく、まるで普通の友達に挨拶するような自然さがあった。


次の瞬間、二人の姿は夕暮れの人混みに紛れて消えた。


「うん。今の……”もう一人”いたね」

劉が呟くように言った。


「双子だったのか。」

「月夜さんの方は警戒してたけど、もう一人の子は違った。あの子、本当に人懐っこい笑顔をしてた」

劉の観察は的確だった。


「同じ顔なのに、全然違う印象を受けたよ。不思議だな」

二人は再び歩き始めたが、今度は先ほどとは違う重い空気を背負っていた。謎はますます深まるばかりだった。

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