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第三話 隣人と幼馴染

──カフェで美香の話を聞いた次の日の朝


時刻は午前七時二十六分。

そろそろ支度しなければ遅刻してしまう。

重たい体を引きずるようにして、京介はベッドから這い出た。

支度といっても、歯を磨いて制服に着替えるだけの簡単なものだ。

それでも、毎日ネクタイを締めなければいけないは面倒くさい。

入学して2か月ちょっとだがいまだに慣れない

ようやくネクタイを締め終えたところで、玄関のチャイムが鳴った。

「……誰だよ、こんな朝っぱらから」

ぼやきながら玄関へ向かい、ドアを開けた瞬間——

「こんにちは! 今日から隣に住みます! 引っ越しの挨拶に来ました!」

満面の笑みでそう言ったのは、草薙 美香。

制服姿で、手には菓子折りらしき紙袋を提げている。

京介は一瞬で思考を停止させ、無言のまま、静かにドアを閉めた。

しかし数秒も経たないうちに、再びチャイムが鳴る。

「……うるせぇ……」

もう一度玄関を開けると、やっぱりそこには、諦める様子のない草薙美香。

「閉めないでよ!普通ここは“どうぞお入りください”でしょ!?ほら、これ。お菓子。あと、粗品!」

「……どっかのセールスマンかよ……」

ぼそっとつぶやいてから、京介はため息をついた。面倒だ。とにかく面倒だ。

「早く行かないと、私まで遅刻しちゃう。ほら、カバン持って、登校するよ」

不満げに眉をひそめて、美香が腕を組む。

まるで、こっちが原因で遅刻しそうになってるかのような口ぶりだ。

「……なんで、僕と一緒に登校するんだよ」

「あなたのこと、知りたいって言ったでしょ? 昨日も思ったけど、やっぱり調べるだけじゃなくて、ちゃんと会話することのほうが、得られる情報は多いのよ。いわゆる“デプスインタビュー”っていう手法ね」

まるで学校の授業みたいな口調で、美香は胸を張る。

「それに今日は、一緒に登校してみたかったの。ついでにね」

ついでって、なんだよ……。

今、調べるって言ったよな? 僕のプライバシー、どこ行ったんだろ。

心の中でぼやきながら、美香に何を言っても無駄だってことを、僕はすでに学びつつあった。

「……はあ」

ため息をひとつこぼして、カバンを手に取る。

部屋の鍵を閉めて、階段を下りる。

まだ朝の空気が冷たく残っていて、蝉の鳴き声が遠くで響いていた。

「……じゃ、改めまして。今日からよろしく、隣人さん♪」

「……近すぎんだよ、物理的に」

「心の距離も縮める気満々だから安心して!」

「……は?」

京介が呆れたように吐き捨てても、美香の歩幅は一切乱れない。

並んで歩くのが当然みたいな顔をしている。

「こっちは全然安心できねーけど……」

ぼそっとこぼすと、美香は笑って横目で京介を見た。

「ふふっ、お口は悪いけど、ちゃんと歩いてくれてるじゃん」

「……お前が勝手についてきてるだけだろ」

「ま、細かいことは気にしない!」

明るく返されると、それ以上何も言えなくなる。


こんなやつに、振り回される日々が始まる

――そんな気がして、京介は心の中で重いため息をついた。

この時間帯は登校する高校生もちらほら見かけるけれど、美香の制服が目立ちすぎて視線を集める。というか、完全に浮いてる。

「……お前、目立ちすぎだろ」

「ふふん。私は目立ってなんぼなの。ヒーローってそういうものでしょ?」

「……は?」

僕の反応なんてお構いなしに、美香はルンルンと歩を進める。

白いセーラーのスカートが風に揺れて、なんかアニメの中のキャラみたいだった。

「で? 今日の授業って何があるの?」

「知らん……っていうか、なんで僕の時間割まで知ろうとしてんの」

「知りたいからに決まってるでしょ。危なっかしい奴の行動は把握しておかないと。事故とか事件とか、予測して防がなきゃいけないし」

「……僕、そんなに危なっかしいのかよ」

「うん、正直ね。昨日の飛び降り事件とか」

「……」

それを言われると、何も言い返せなかった。

だけど、それを軽く口にする美香の明るさに、どこか救われる気もした。

「でも大丈夫。私が守るから、安心して」

「……お前、何者だよほんとに」

「ヒーロー志望のお嬢様。草薙美香っていいます♪」

にっこりと笑うその顔は、なんだかまぶしすぎて直視できなかった。

やがて、京介の通うボロい公立高校が見えてきた。

金網の歪んだ校門に近づくと、美香が立ち止まった。

「ここまでだね。私はこっちだから」

「……まさか、送ってきただけ?」

「そ。あなたの生活を把握するには、まずは一日のルートからよ。じゃ、放課後また会いましょ」

「……勝手に決めんな」

そう返すと、美香はウィンクひとつ残して、反対方向にくるりと踵を返した。

その背中を見送っていると、胸の奥がなぜか、ほんの少しだけ暖かくなる。

(……なんなんだよ、あいつ)

独り言のように呟いて、京介は足を校門の中へと踏み入れた。

だけど。

(……ほんの少しだけ)

足取りが、いつもより軽くなっていることに気づいたのは、その後しばらくしてからだった。


――昼休み。

教室のざわめきが遠のき、僕は裏階段の踊り場にいた。

誰にも見つからずに過ごせる、数少ない避難所。僕は日によって場所を変えている。けれど——

「……よいしょっと。あ、京ちゃん、いた」

そう言って顔をひょっこりのぞかせたのは、特進クラスに所属する京介の幼馴染、杉原劉(すぎはらりゅう)だった。

この学校では普通科と特進クラスの間に、かなりの偏差値の開きがある。校舎も別々で、特進クラスの方は新しい設備が整っている。

普通なら、特進クラスの生徒が普通科に関わることはほとんどない。そうゆう暗黙の了解があるらしいだが、劉はそんな境界線などまったく気にしないタイプだった。


「……よくわかったな。陽キャどもに絡まれないように場所変えてんのに」

「だって、ここ京ちゃんのお気に入りでしょ。静かで落ち着くし」

劉は笑いながら、僕の隣に腰を下ろした。まるでそこが自分の席かのように。

「昨日と今朝、ちょっとびっくりしたよ」

「は?」

「昨日、不良に絡まれそうになってたでしょ? 助けられてたじゃん。それに今朝は、あの美人さんと一緒に登校してたし」

肩がビクッと跳ねた。

「……お前も僕のストーカーかよ」

「違うってば。一緒に帰ろうと思って探してただけ。朝は偶然。でも京ちゃんが女の子と並んでるの、初めて見たからさ」

「……普通はしねぇよ。あいつが勝手に寄ってきただけだ」

「へぇ〜、そうなんだ。で、かわいい?」

「……うるせぇ」

劉はくすっと笑い、少しだけ声を落とした。

「でもさ、誰かが京ちゃんに関わってくれるのって、ちょっと安心する。俺だけじゃ心細いし」

「……誰が頼んだよ」

「さみしがりやの幼馴染のためだよ。やさしいでしょ?」

ほんの数年前までは、僕のほうがアイツを気遣ってたはずなのに。気がつけば、追いつかれて、追い越されて……なんか、むず痒い。

僕は答えずに、ペットボトルの水をひと口飲んだ。

「しかもあいつ、押しかけてくるし、隣に引っ越してきたし」

「え、隣? 青春じゃん」

「……そんないいもんじゃねぇよ」

にやにや笑う劉に、僕は心底呆れながらも、どこか否定しきれなかった。




――放課後。



昇降口はざわつき、帰り支度の声が飛び交う。

今日は劉の思いつきで、一緒に帰ることになった。

「おまたせー!」

駆け寄ってきた劉に、僕は無言で肩をすくめた。

「……一人で帰ってもいいんだけどな」

「どうせ、お嬢様に絡まれないよう裏道使うつもりだったんでしょ? 紹介してよ〜」

「……お前、俺の行動どこまで読んでんだよ」

「京ちゃんが読みやすいんだよ」

そんな軽口を交わしながら、駅に向かう裏道へ入る。

空は高く、淡い雲が流れていた。誰かと並んで歩くだけで、この道も少しだけ違って見える。

だが——

「おい、待てよ」

路地の角から、昨日と同じ五人組の不良が現れた。

「うわっ」

「……またお前らかよ」

「昨日は、変な女に邪魔されたが」

「今日はたっぷり遊ばせてもらうぜガキども」

(一、二歳しか違わねぇくせに、“ガキ”扱いかよ……)

「京ちゃん、下がって」

劉が僕の前に出た。その目は、普段の柔らかさを失っていた。

「……お前、無理すんなよ」

「無理しない程度にやるってば」

そう言った次の瞬間、劉は地を蹴った。まるで風が走るような速さ。

低い姿勢から一気に間合いに入り、足払いと膝蹴りの連携でひとり、ふたりと倒していく。

(……昔、あんなに気弱だったのに)

そういえば、小学一年の頃。登校中ランドセルを抱えて泣いてた劉を、僕が教室まで引っ張って行ったっけ。


けれど今、僕の目の前で戦っているのは、まるで獣のように鋭く、無駄のない動きだった。

だが、相手は五人。残りの三人が一斉に襲いかかると、さすがの劉も動きが鈍った。

肩を殴られ、背中を蹴られ、呻き声をあげる。

「劉!」

おもわず無鉄砲に駆け寄ると

一人の不良がこっちに向って拳を突き出す

僕の頬を拳がかすめた。視界が揺れる不良は間髪入れずもう一度、拳が飛んでくる。


その瞬間——

「危ないっ!」

風を裂く声。スカートの裾が、光を反射して宙を舞う。

「……え?」

柔らかく、でも確実に。不良の手首が、女の手によって外された。


草薙美香だった。

「遅れてごめん。でも絶対守るから」

彼女は静かに言い、不良たちを睨み返す。

最小限の動きで、相手の力を流し、崩す。

まるで、鍛え抜かれた武術家のようだった。

「邪魔すんじゃねぇよ、お嬢様!」

別の不良が背後から殴りかかる。だが、美香は半歩ずれてその拳を空にかわした。

「これ以上は、学校にも家庭にも影響が出るわよ」

スマホを取り出し、冷静に言う。

「もう録画は始まってる。顔も、声も、証拠はすべて残るわ。……それでも続ける?」


沈黙。


不良たちは舌打ちを残し、路地の奥へと消えていった。

「ふぅ……演技、効いたわね」

「本当に撮ってたのかと思った」

僕が呆れると、美香はスマホのホーム画面を見せてきた。

「撮ってないわ。でも、“戦う手段”ってのは、いろいろあるの」

「……えっと、草薙さん。助太刀、感謝します」

劉が丁寧に頭を下げる。

「ええ、あなたもありがとう、杉原劉君。八田君とは、幼馴染なのよね?」

(なんでそんなことまで……情報怖っ)

「さっきのは……空手? 間合いの詰め方が素晴らしかったわ」

「えへへ……ありがとうございます。草薙さんも、何かされてたんですか?」

「自己流よ。昔から“人の動きが見える”って感じるの。……そのおかげで真似しやすかったのかも」

(……“見える”?)

「それより、杉原君。足、怪我してるじゃない!」

「え、いや、大丈夫……っわ!?」

美香はお姫様抱っこで、劉を軽々と持ち上げた。

「近くに寄れる場所があるわ。手当てしてあげる」

「ちょっ、ちょっと!?」

「……お前、何者なんだよほんと……」

唖然とする僕をよそに、美香は軽やかに歩き出す。


呆れと困惑と、そしてほんの少しの——尊敬と感謝。

僕は我に返り、その背中を追いかけた。

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