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第四章 一話 転校生 下

9月の初め

京介は気だるそうにリュックを背負い、校舎へ足を運んでいた。

「はぁ……だりぃ」

小さくため息を漏らす。長い休みの後の登校ほど、気が重いものはない。

夜更かしに慣れてしまった身体は朝の早さに耐えられず、頭もまだ半分眠っている。


昇降口から教室までの廊下も、休み明け特有のざわめきに包まれていた。

「海行った?」「部活ばっかでさー」「課題、徹夜だったわ」

同級生たちの声が飛び交い、思い出話と宿題の愚痴で賑やかだ。京介はそれらを聞き流しながら教室に入った。


自分の席に座ると、机に頬を突っ伏してぼんやり外を眺める。

もう少し静かな朝を過ごしたかったが、クラスはどうやらそうさせてくれないらしい。今日は特にざわざわ感が強い。


「なぁなぁ、今日転校生が来るんだってよ」

「え、マジ?夏休み明けに?珍しくない?」

「しかも女らしいぞ」


後ろの席で男子二人がひそひそ声を上げる。

京介は片耳だけ動かしながら、「ふーん」と心の中で呟いた。


(転校生ねぇ……まぁ、僕には関係ねぇか)

どんな奴が来ようが、勝手にやってくれればいい。

自分から積極的に関わる気はさらさらなかった。

やがてチャイムが鳴り、担任が入ってきた。

「えー、みんな席につけ。今日からこのクラスに新しい仲間が加わる。布都月夜さん、入って」

教室の扉が静かに開いた。

そこに立っていたのは、一人の少女だった。

すっと背筋を伸ばし、凛とした雰囲気を漂わせている。長い黒髪は艶やかで、光を受けて滑らかに揺れた。切れ長の瞳は冷静さを湛え、視線が巡るたびに周囲の空気を引き締める。制服はきっちりと整えられ、一分の隙もない。

「布都月夜です。よろしくお願いします」

静かだがよく通る声。その一言で、ざわめいていたクラスがしんと静まった。

(……ほぉ)

京介は思わず目を細めた。

彼女の第一印象は――「美人」だった。だが、それだけじゃない。どこか大人びていて、同年代の女子とは一線を画す落ち着きを持っている。

クラスの男子の何人かは目を奪われてニヤけ、女子たちは「大人っぽい……」と小声で囁き合っていた。

担任が彼女を窓際の空席に案内し、月夜は無駄な動きをせず椅子に腰掛けた。その仕草すら自然で、品の良さを感じさせた。

(……なんか”できあがってる”感じだな)

京介は机に頬をつけながら、横目で彼女を観察する。

授業が始まると、月夜は淡々とノートを取り、教師の言葉を漏らさず書き留めていた。周囲がまだ夏休み気分を引きずって気の抜けた態度をしている中で、その真剣さは際立って見えた。

(……真面目系か? )

月夜は一見すると冷たくも見えるが、その眼差しには確固とした芯がある。

何かを探しているような、あるいは何かを守ろうとしているような――そんな印象を京介は受けた。

だが、それもただの転校生。深く考える理由はなかった。


昼休み。

男子たちがさっそく「一緒に飯食おうぜ」と声をかけにいったが、月夜はにこやかに――だがあくまで上品に――

「ごめんなさい、今日は一人でいたいのです」

断った

その口調も仕草も、まるで舞台の上の女優のように完成されている。断られた男子たちは肩をすくめ、「お高くとまってんなー」などと笑いながらも、明らかに彼女に圧倒されていた。

京介はパンの袋を開けながら、その様子を遠くから眺める。

(……まぁ、あんな雰囲気じゃ誰も軽くは近づけねぇわな)


放課後。

教室を出ていく月夜の背中を、クラス中が何気なく目で追っていた。だが彼女は誰とも群れず、まっすぐ帰路についた。

京介はリュックを背負いながら、窓越しにその姿をもう一度見た。

夕暮れに伸びる影までが、妙に絵になる。

(……とりあえず、今はいいか)

そう心の中で呟き、京介は踵を返した。


――そのとき、月夜がほんの一瞬だけ振り返った。

視線が京介の方を掠めたように感じたが、次の瞬間にはもう廊下の向こうへ消えていった。

京介は軽く首を振る。

「気のせいだろ」


そう自分に言い聞かせながらも、どこか胸の奥が落ち着かないまま、帰り道へと足を向けた。


夕暮れの駅前。

人の流れが少し落ち着いた頃、京介は待ち合わせ場所に立っていた。

自販機で買った缶コーヒーを一口飲み、ふぅと息をつく。


そこへ美香が現れる。

いつも通りどこか余裕をまとった足取りだ。

「待たせたかしら?」

「いや、ちょうど来たとこだ」

二人が並んで歩き出すと、街灯の下でスーツ姿の透が待っていた。

いつもの落ち着いた表情のまま、こちらに軽く会釈する。

「お二人とも、時間通りですね」

「それで、今日は委員会の現場を見せてくれるんでよね」

京介の言葉に、透は一瞬だけ目を伏せ、それから小さく頷いた。

「……ええ。言葉だけでは足りないでしょう。――ご自身の目で確かめていただくのが一番だと思います」

「でも、なんで今日なの?」

美香が首をかしげる。

「近日中に、と考えていましたが……予定を前倒ししましょう。委員会が近々動く気配があります。文化財の盗難事件、最近耳にしていませんか?」

「……ニュースでちょっと見たわね。古い刀だの、祭具だのが盗まれたって」

「そうです。彼らの狙いは、歴史の中に埋もれた“力”です。表向きは調査や保護のため、しかし実際には……能力に繋がりそうなものを回収している」


透の声は淡々としているが、奥に冷たい怒りがあった。

京介は眉をひそめる。

(お化け鏡のときもそうだった……。あれも、偶然じゃなく狙われてたのか?)

「では、次に狙われるであろう場所を、既に絞り込んでいます。そこで“現場”を見てもらいましょう」

「現場って……僕たちが潜入するのか?」

「正確には、隠れて観察してもらいます。危険は避けたいので。ですが、関わる以上、委員会の実態を知っておいていただきたい」

そう言って透は二人を見つめる。

眼差しはいつもより真剣で、逃げ場を与えない圧があった。


美香は顎に指を当てて笑みを浮かべる。

「いいじゃない。面白そうだわ。……ね、八田君?」

「……ああ。逃げる気はねぇよ」

透は静かに頷き、歩き出した。

「では、準備を進めましょう。ただし――一つだけ覚えておいてください」


その声が少し低くなる。

街灯の下で、眼鏡の奥の瞳が冷たく光った。

「委員会は、能力者に“優しくはない”。……そのことを肝に銘じておいてください」


京介と美香は無言で顔を見合わせる。

ほんの数時間前、彼らは転校生と笑い合っていた。

けれど、すでに裏では“別の世界”が動き出しているのだ。


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