第四章 一話 転校生 上
夏休みが終わり、早乙女女子学園の校門をくぐった瞬間、じりじりとした暑さが肌を刺した。
九月に入ったというのに、陽射しはどう見ても真夏の続き。それでも紺のブレザーに白いブラウス、胸元の薄紫のリボンで身を包んだ友人たちを見ていると、「新しい季節が始まるのだ」と自然と背筋が伸びた。
校舎の廊下には新しい教科書の匂いと、かすかなワックスの香りが漂っている。窓から差し込む陽光が大理石の床に幾何学模様を作り、優雅な学び舎らしい落ち着いた空気に包まれていた。
美香はゆったりと歩きながら、久々の全校登校日の喧騒に耳を傾けていた。あちこちから響く明るい声――海や避暑地での思い出話、贈り物の交換。華やかな話題ばかりだ。
そんな中、美香が一番に気にしていたのは別のこと。
(今日から転校生が来る、って噂……夏休み明けにね)
早乙女女子学園で外部からの転入は珍しい。だからこそ、みんな好奇心でいっぱいなのだ。
教室に入ると、友人の葵が手を振っていた。
「美香、おはよう。もう聞いた?転校生の話」
「ええ。どんな子かしらね」
「楽しみよね。この学校、本当に転校生なんて滅多にいないから」
キーンコーンカーンコーン――チャイムが響き、教室のざわめきが次第に静まっていく。担任が前に立つ。
「えー、紹介するわね。今日からこのクラスに加わる布都天音さんです。どうぞ」
扉が開き、小柄な少女が一歩前へ出た。
「は、初めまして!布都天音と申します。よ、よろしくお願いします!」
緊張で声が少し震えながらも、元気いっぱいにお辞儀をする。
栗色の髪がお辞儀と共にふわりと揺れ、上げた顔には大きな瞳が緊張で潤んでいる。薄紅に染まった頬、口元にちらりと見える小さな八重歯。その愛らしさに、教室がほんの一瞬静まり返った。
「……かわいい」
クラスの誰かがぽつりとつぶやく。
たちまち空気が和らぎ、教室全体がほわっと明るくなる。
美香は思わず頬を緩めた。
(なるほど、これは人気が出そうね)
だが、その時――美香は奇妙な感覚を覚えた。
天音の視線が、一瞬だけ自分に向けられたのだ。それは単なる挨拶の視線ではない。まるで何かを探るような、不思議な興味を秘めた眼差しだった。
(……気のせい?)
席についた天音は、隣の生徒に小声で「えっと、これノートこうやって書けばいいのでしょうか?」と丁寧な口調で尋ねたり、鉛筆を落として拾ってもらって「あ、ありがとうございます」と笑顔を見せたり。
その度に美香は気づいていた。天音の視線が、時折こちらに向けられることを。
昼休みのチャイムと共に、教室がざわめき始めた。「天音さん、一緒にお弁当食べない?」「こっち座って!」複数の声が重なり、あっという間に天音の席の周りに机が寄せられていく。
だが、少し戸惑ったように辺りを見渡している天音の様子を、美香は見逃さなかった。
(……なるほど。友達はすぐできそうだけど、この子、大勢の中にいるのは慣れていないのね)
美香は机を立つ。すっと天音のほうへ歩み寄り、彼女の隣に腰を下ろした。
「布都さん、お弁当美味しそうね」
「えっ……あっ!」天音の顔がぱっと明るくなる。
「ありがとうございます!お姉様が作ってくださったんです」
「素敵ね。お姉さん、お料理がお上手なのね」
「はい!えっと……あの、美香さん、ですよね?」
天音は恥ずかしそうに頬を染める。
「クラスの皆さんから、とても素敵な方だって伺ってて……お話しするの、すごく緊張します」
「あら、そんなに緊張しないで。普通の生徒よ」
「い、いえ!そんなことないです!」
慌てて手をぶんぶん振る天音。その様子に周囲の生徒たちまで笑い、場の雰囲気が一段と明るくなる。
美香は紅茶を口にしながら、天音と自然に会話を続けた。
彼女が趣味の話をすれば頷き、好きな食べ物を聞けば軽口を返す。
その間に、美香は確かに感じていた――この子は嘘をついていない、純粋な部分は本物だと。
けれど、時折向けられる視線には、やはり何か別のものが混じっている。
「あの……美香さんは、普段どのようなことをされているのですか?」
ふいに天音が尋ねた。その声には、単なる興味以上のものが込められていた。
「普通のことよ。勉強して、本を読んで……特別なことはしていないわ」
「そう、ですか……」
天音の表情に、ほんの一瞬だけ何かが過った。まるで、もっと深い答えを期待していたかのように。
(この子……一体何を知りたがっているの?)
「布都さんは、前はどちらの学校に?」
「あ、えっと……家庭教師の先生とマンツーマンで勉強してました。だから、こんなに大勢での授業は初めてで……戸惑うことばかりです」
なるほど、それで集団生活に慣れていないのか。美香は納得した。
放課後、校舎を出るとき、天音は美香に振り返って手を振った。
「また明日も、いろいろ教えてください!」
その声は夕暮れに響き、表面上はどこまでも素直だった。
だが美香は、天音が最後に投げかけた視線を忘れることができなかった。
そこには確実に、ただの親しみ以上の何かが宿っていたのだから。
(面白い転校生ね……)
美香は小さく微笑み、とある場所に向かって歩いていった。




