第三章 五話 罰
あれからお盆はあっという間に過ぎ、世間は何事もなかったかのように通常運転へ戻った。
けれど――京介にとって、あの夜の出来事は「人生史上トップクラス」に刻まれたままだった。一生、忘れることはないだろう。
映画やアニメなら、極限の恐怖の中で仲間割れが起きたり、責任のなすり合いになったり、人間の醜さが露わになる――そんな”お約束”がある。
だが、あの夜の自分たちは違った。京介も美香も、互いに支え合って前に進んだ。それが何よりの救いだった。
お祓いも受けた。もう大丈夫だ――そう思いたい。
そして京介は心に固く誓う。不用意な行動は二度としない。
いや、もっと現実的に言うなら――
もう決して、真上さんを怒らせないようにする。
「――聞いていますか、八田様」
「はい」
部室。
京介と美香は、仁王像と化した透の前で正座させられていた。視線だけで空気が震える、まさに”怒らせてはいけない奴を怒らせた”状況だ。
「思いつきで、ずいぶん危険な真似をなさったようですね。私がいない間に」
「その……透?」
美香が恐る恐る口を開く。
「私たち、あなたが思っているよりちゃんと反省してるの。あの、せめて足を崩してもいいかしら。慣れないから、その……かなり痺れてきてて――」
「はい?」
その一言に、凄まじい圧が乗った。
空気が重く沈む。
美香は反射的に背筋を伸ばした。
「イイエナンデモナイデス……」
さすがの美香も今回ばかりは分が悪い。
元凶は自分だし、それなりに痛い目にも遭った。
とはいえ、箱入りのお嬢様に三十分以上の正座はなかなかの試練らしく、膝がぷるぷる震えている。
足をつつけないのが悔やまれる
一方の京介は、祖母直伝の”正座耐久”スキル持ちだ。半ば無心で床の木目の節を数えていた。
実は今日は午後からの活動日だった。
京介と美香は、部室に来る前に近所のスーパーへ寄って、大きな紙袋を両手に下げていたのだ。
「みんなに怖い思いをさせたお詫びに、今日はお菓子パーティにしようと思って。買い出し、手伝ってくれない?」
そう言う美香に付き合い、ポテトチップスにクッキー、ゼリーに炭酸水、なぜか昆布のおやつまで――謝罪の気持ちが高じて、会計はちょっとした宴会クラスになった。
そんなわけで少し遅れて事務所(=部室)に入ると、そこには仁王像と化した透と、その前で正座する三人の姿があった。
扉を開けた瞬間、全員の視線が「来たな……」という形でこちらに突き刺さる。ほんの一秒の沈黙のあと、透の標的がゆっくりと二人へスライドした。
「では――続きはお二人ですね」
「「……はい」」
解放された三人は、糸の切れた人形のように床へ崩れ落ち、うつ伏せのまま天を仰いだ。
大和は小声で「足が棒になった……」と呟き、静はうっすら涙目で、劉はそんな二人をソファまで連れていき介護していた。
透は静かに手帳を開いた。
そこには、几帳面な文字で**「今回の反省点」**と見出しがあり、箇条書きがずらりと並んでいる。
• 無断決行
• 単独突入の決定
• 護符・通信手段の携行不備
• 第三者への危険波及想定不足
• 帰還後のケア不足
「……以上。弁明はありますか」
「ありません」
「ありません……」
「よろしい。では二点お伝えします」
透が指を二本立てた。
「一点目。あなたたちがとっさの判断であの神社を選んだ点については評価します。適切でした。
二点目。運が良かった。それだけです。次はない」
静かな声なのに、骨の髄まで染みる。
美香が小さく息を吸った。
「……はい」
「ペナルティを伝えます」
透は淡々と続けた。
1. 反省文二千字(各自)。提出は三日以内。
2. 事務所の清掃
3. 神社への正式な御礼と、封印玉に関する調査の補助(記録整理)。
4. 当面一週間、単独行動禁止。夜の現地調査は完全停止。
「異論は?」
「ありません」
「ありません……!」
「よろしい。では座り直して――」
「真上さん!」
大和がほふく前進で机の下から腕を伸ばした。「謝罪のお菓子が、そこに……!」
透の視線が紙袋に落ちる。
ラベルの「謝罪パ」の文字と、山のようなお菓子たち。
一拍の沈黙。空気がわずかに和らいだ。
「……反省”会”に切り替えましょう」
透は小さくため息をついた。
「食べながら、事後報告書を作ります」
部室に安堵の息が広がった。
テーブルに並ぶ袋菓子が次々に開封され、紙コップの炭酸がぱちぱち弾ける。
とはいえ”会”の中心にあるのは反省と記録だ。透がホワイトボードに時系列を書き出し、京介が要点を語る。
美香はペンを持つ手を止めず、ところどころ補足を挟んだ。
劉と静、大和は外から見た旧校舎について話した。
「……以上で報告は終了。最後に確認事項です」
透は新しい護符を二枚取り出し、京介と美香へ渡した。
「これを常時携行してください。部室のドアにももう一枚貼ります。気休めではなく、実効性のある対策です」
「ありがとう、透」
京介が頭を下げる。美香も続いた。
「礼は不要です。次回は”事前”に相談しましょう」
透はわずかに表情を緩め、テーブル端の小袋を指でつまんだ。
「……それと、昆布。誰の趣味ですか」
「わ、私……」
美香が小さく手を挙げる。「しょっぱいのもあると、みんな喜ぶかなって」
透は無言で一枚、ぱりりと齧った。
「……悪くないですね」
部室に、ようやくちゃんとした笑いが戻った。
片付けのあと、透は戸締まりを確認し、ドアの内側に新しい護符を貼る。
墨の黒が、まだ湿り気を帯びて艶やかに光っていた。
窓の外では、夕立上がりの風が風鈴をひとつ鳴らし、夏の匂いがひゅうと通り過ぎた。
京介は、ジーンズのポケットをそっと撫でる。
そこに、あのひび割れたビー玉はもうない。
神社での塩の感触と、澄んだ空気だけが残っている。
「なあ、草薙」
帰り際、京介が囁いた。「ほんとに、ありがとう」
「こちらこそ」
美香は微笑む。「もう二度と、無茶しないわ。透を怒らせたくないもの」
二人の笑い声に、透が背中越しに小さく答える。
「聞こえていますよ」
部室の灯りが落ち、廊下の影が長く伸びる。
静けさの中、ドアの護符がかすかに涼しい匂いを放った。




