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第二話 あの夕暮れの日のこと

――気まずい時間になるのでは、と恐れていたのとは裏腹に、京介はそこそこ充実した時間を過ごしていた。

ケーキの感想を話し合ったり、美香お嬢様のマナー講座を聞かされたり。面倒ではあったが、不思議と退屈ではなかった。


やがて二人ともケーキを食べ終え、飲み物も残り三分の一ほどになったころ。

美香はそっと両手を膝に置き、やけに真剣な顔でこちらを見据えてきた。まるで、何かを切り出すタイミングを慎重に見計らっていたかのように。

「昨日、私……あなたのこと、助けたつもりなの。でも、あなたからしたら、余計なことだったんだよね」

急だな、今までの会話の流れが急に変わり少し困惑した。

今までのマイペースで強気な雰囲気はどこへやら。思わず「誰だお前」と言いたくなるくらい、美香はしおらしくなっていた。

「そうだな」

京介は、淡々と短く返した。

それでも、美香は怯まず続けた。

「……昨日、あなたに言われたことが、ずっと頭から離れなくて。私、ずっと考えてたの」

思い出すのは、昨日の夕暮れ。

廃ビルの上で、誰にも気づかれずに終わるはずだった“最後”の瞬間

――風のように現れた乱入者

あの時、京介が美香に吐いた言葉が、彼女の胸に引っかかっていたのだろう。


「う、うわあああああ!」情けない悲鳴を上げ、謎のお姫様抱っこ状態で振り落とされそうになる身体を安定させるため必死に彼女の腕に力を入れてしがみつく。

でも、そんなことしなくても、彼女の腕はびくともしない、アトラクションの安全装置のようだ。この細腕のどこにこんな力があるんだよ。

 ビルの細い裏路地――その壁を縫うように、窓枠や配管を足場にして彼女は跳ね回っていた。

まるでヒーロー映画のスタントシーンだ。

風が顔を殴るように吹き抜け、目が開けていられないほどだった。

足場は狭く、錆びついているところも多々あり、いつ踏み外してもおかしくない。

それなのに、彼女は笑っていた。

命綱もなしに、空を駆ける。まるで、何かに取り憑かれたように。

「いつまで続くんだよ!!」

とりあえずこの訳のわからない状況を終わらせたくて、僕は叫んだ。

「んー、そうね。とりあえず、ひらけた場所まで?」

まるで散歩でもするかのような口調で彼女は言う。

そのあまりの涼しい顔に、僕は本気で目眩がした。

落ちるとか怪我するとか、そんな恐怖は――なぜか、なかった。

不思議と、彼女に抱えられているだけで、根拠のない安心感があった。

やがて、跳躍は終わり、裏路地の奥にぽっかり空いた空き地に着地した。

ドサッ。

その場に僕を下ろした少女は、「ふぅ」と額の汗をぬぐい、男前な笑みを浮かべた。

「セーフ!」

「……なにが、セーフだよ……」

生まれたばかりの小鹿のような震える脚でなんとか立ち上がりながら、

僕の胸の奥にふつふつと怒りが湧いてくる。

言葉が喉の奥から飛び出した。

「なんで助けた!僕は、死にたかったんだよ!」

その瞬間、我ながら驚くほど大きな声が出た。

「……でしょうね。あんな顔で屋上に立ち尽くしてたんだから」

彼女は、さっきまでいたビルの方をちらりと振り返ってつぶやく。

――見られていたのか。あんな辺鄙で人気のない場所で?

「分かってたなら……助けんなよ」

思わず悪態をつく。怒りと羞恥と混乱が入り混じって、何をどうしていいか分からない。

「それはできない。私の信条に反するから」

「は? 信条? ……ってか、あんた何者?」

イライラしながら、さっきの言葉を脳内で反芻する。

すると彼女は胸を張って、まるで舞台のセンターに立つ役者のように堂々と口を開いた。

「よくぞ聞いてくださいました! 私は私立早乙女女子高二年、草薙美香。

一七歳、草薙カンパニーの次女で、超能力者ヒーローを目指してます!」

夕日を背にして、まるで決めポーズでもするかのように彼女は言い切った。

「………………」

言葉が出ない。いや、出せるわけがない。情報量が多すぎる。

早乙女って、あのお嬢様学校の?

草薙カンパニーって……たしか、あの大企業の?

超能力者? ヒーロー? なんだそれ、中二病か?

頭の中でツッコミが止まらない。思考の整理が追いつかない。

「あ、ちなみに誕生日は4月7日、部活は無所属よ」

追加するな、しかもどうでもいい

沈黙が数秒――いや、もっと続いただろうか。

いたたまれなくなったように、彼女――草薙美香がぽつりと呟いた。

「……ちょっと。だんまりだと、さすがに恥ずかしいんだけど」

少しだけ頬を染めながら、彼女はそう言った。


「……あ、ごめん。いや、情報量が……いや、違う。色々、追いついてない」

 なぜか、口から出たのは謝罪だった。

 京介は額に手を当て、小さく息をついた。

「草薙……美香? 私立早乙女女子高……ってことは、マジのお嬢様かよ。

ていうか、ヒーローってなに」

「そのままの意味よ。誰かの力になるってこと。困ってる人を見過ごさないって、決めたの」

 「困ってないが」

間髪入れず答えた

 いや、厳密には今の謎すぎる状況に困っているんだが。

 僕は死んで救われたかったのだ。だからこそ、助けなんて

――ましてやヒーローなんて、求めていない。

そう思うとふつふつ怒りがあふれてくる、こんな感覚初めてだ

 「……余計なお世話だ」

 ポツリと漏らした言葉に、美香が「えっ?」と聞き返す。聞き取れなかったらしい。

「余計なお世話だって言ったんだよ! 僕は死にたかったんだ! 

自己満足のヒーローごっこに、巻き込むな!」

 言葉が止まらなかった。今まで胸の奥に溜まっていたモヤモヤが、感情ごと噴き出す。

 美香は、驚いたように目を見開いたまま、固まっていた。

 少しの沈黙の後、静かに口を開く。

 「……なんで、そんなに死にたかったの?」

 「生きてる理由がないからだよ。どうせ誰も僕を必要としてない。必要とされるような才能も、価値も、何もない」

 言い終わったとき、自分でも驚くほど冷静だった。言葉はすでに整理されていて、

感情の波は、もう去っていた。

 美香はその気迫に押され、何も言えずにいた。

 「……もう構わないでくれ」

 京介はそれだけ残し、背を向けて歩き出した。彼女の顔を、もう一度見ることはなかった。



――それが、昨日の顛末だ。


 いや、思い返してみると、昨日のあれは――かなりひどい状況だった。

 よくもまぁ、美香はそんなやり取りの翌日に、また僕に会いに来たもんだ。

 普通なら、気まずさでしばらく距離を置くか、二度と顔を出さないかのどっちかだろうに。

 「……昨日、あなたに言われたことが、ずっと頭から離れなくて。私、ずっと考えてたの」

 美香は、カップの中を見つめながら、ぽつりとこぼすように言った。

 そして、少し俯いて、声を潜める。

 「『誰も僕を必要としてない』って……。あんなふうに言えるってことが、すごく悲しかった」

 黙ったままの京介を見つめ、美香は静かに息を吸い込む。

 「だから私、あなたのこと、ちゃんと知りたいって思ったの」

 顔を上げた彼女の瞳は真剣で、まっすぐだった。

 冗談でも気まぐれでもない。お節介のフリをした自己満足でもない。

 迷いのないその言葉が、京介の胸の奥にじくりと刺さる。

 「……知って、どうするんだよ」

 掠れるような声で、京介が問う。

 「ただ、知りたいだけじゃダメ?」

 「意味がないだろ、そんなの。僕のことなんて知ったって――」

京介はまっすぐな美香の目線から目をそらす

 「意味はあるわ」

しかし、美香は逃がさない、ゆっくりと言葉を重ねた。

 「あなたがそうやって、自分を諦めそうになるたびに、誰かが止めなきゃいけないの。……私みたいな“ヒーロー”が」

 その言葉には、決意と覚悟が込められていた。

 彼女は自分のカップの縁を指でなぞりながら、静かに続けた。

 「……無理にとは言わない。でも私は、あなたに幸せに生きていてほしい。何があっても、見捨てないって決めたの」

 「……バカじゃねえの」

 思わず、そんな言葉が口をついて出た。

 けれどそこに怒りも呆れもなく、むしろ声はわずかに震えていた。

 「そんなふうに、誰かに言ってもらえたの……たぶん、生まれて初めてだ」

 京介の手の甲が、わずかに震えている。

 それに気づいた美香は、小さく頷いた。

 「じゃあ、きっと私は間違ってない」

 ふっと、少しだけ肩の力を抜くように、美香は笑みを浮かべる。

 「……それにね、今ちょっと企んでることがあるの。“放課後ヒーロークラブ”って名前、どう思う?」

 「はあ?」

気の抜けた声が漏れた。

冗談だと思いたかった。だけど、美香の瞳はまっすぐで、本気そのものだ。

 「ちゃんと説明するよ。だから……これから少しだけでいいから、私に時間ちょうだい」

 そう言って、美香はにこっと微笑みながら言った。

 「ね、八田京介くん」

「いや、待って、クラブって何。部活? 放課後にヒーローごっこでもする気?」

「ごっこじゃないよ、本気。ちゃんと活動するんだから」

「活動って……何をどうするんだよ」

「うーん、例えば、誰かの困ってる声を拾ったり。道に迷ってる子を案内したり。いじめを止めたり……とか」

「それ、ただの善人……」

「でしょ? そういうクラブ」

美香は楽しそうに微笑む。

呆れて物も言えないというか――その無邪気さに、少しだけ心が温かくなるのが悔しい。

「まあ、いまはまだ企画段階だけどね。でも、私一人じゃできないの。だから……あなたも一緒にやろ?」

京介は一拍置いて、首を小さく横に振った。

「断る。そういうの、向いてないから」

「そっか。じゃあ……また明日、説得しに行くね」

当然のように返された言葉に、京介は大きくため息をついた。

(……しつこいにも程がある)

それでも、もう前みたいに「消えてくれ」とは言わなかった。

その代わり少しぬるくなったミルクテーをずっと吸い込んだ


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