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第三章 四話 学校の七不思議 2

「はい! その通り──今日は、うちの学校の旧校舎に忍び込みます!」


美香の宣言が響いた瞬間、部室の空気が凍りついた。エアコンのモーターが唸る音だけが妙に大きく聞こえ、壁の時計の秒針がやけに響く。まるで時間そのものが止まったような、重い沈黙が流れた。


隣に座っていた劉が、ゆっくりとこちらに顔を向けた。普段は穏やかな彼の表情も、今は困惑と驚きに包まれている。その冷静な瞳が「聞き間違いではないですよね?」と明確に物語っていた。ふと視線をずらせば、中学生コンビの静と大和も、口をぽかんと開けて同じように困惑した表情でこちらを見つめている。


大和は眉をひそめ、静は小さく首をかしげながら、まるで「お兄ちゃんたちは何を話しているの?」と言いたげな顔をしていた。

(……僕を見ても答えは出ないっての)

京介は心の中で深くぼやきながら、こめかみを指で押さえた。頭痛がしてきそうだった。

「……なんでお前の学校に忍び込む必要があるんだよ。しかも『忍び込む』って、お前……」

美香はくるりと京介の方へ向き直ると、まるで子どものようにきらきらと目を輝かせた。

その表情には迷いも躊躇も見当たらない。



「お盆の期間に、鏡のおばけが出るんだって! これはヒーロークラブとして調査すべき案件よ!」

「……おばけって、また随分と抽象的だな」

京介は眉間にしわを寄せた。美香の話にはいつも現実離れした要素が含まれているが、今回は特に突拍子もない。



「抽象的じゃないわよ! この前の補習のとき、友達から詳しく聞いたの」

美香は机に両手をついて身を乗り出すと、興奮気味に話し始めた。その勢いに押されて、京介は思わず少し後ずさりする。


「友達って?」

「凜よ! 同じクラスの」

「凜っていうのは、私の親友なんだけどね」美香は少し落ち着いて、思い出すように語り始めた。

「いつも一緒にお昼を食べてる仲なの。その日も、いつものように机をくっつけて、私はサンドイッチ、凜はお弁当を食べてたのよ」

京介は仕方なく相づちを打ちながら聞いていた。

劉と中学生コンビも、興味深そうに耳を傾けている。



「で、窓の外ではセミが鳴いてて、廊下からは運動部の掛け声が聞こえてきてた。本当にいつもの平和な昼休みだったのに……凜が突然声を潜めて『ねえ、美香、旧校舎の話って知ってる?』って聞いてきたの」

美香の声も自然と小さくなっていく。部室の雰囲気も、だんだんと緊張感を帯びてきた。


「最初は『旧校舎?』って聞き返したのよ。そしたら凜がもっと声を小さくして、まるで誰かに聞かれることを恐れるように話してくれたの」

「どんな話だったんだ?」

京介の問いに、美香は一呼吸置いてから続けた。

「旧校舎にある大きな鏡には、おばけの影が映るって話よ。でも最初は『よくある学校の怪談でしょ?』って思ったの。どこの学校にもそういう話ってあるじゃない?」


静が小さく頷く。

大和も「確かに」という表情を見せた。

「でも凜の話は違ってた。すごく具体的で、リアルだったの」

美香の表情が真剣になった。


「凜が言うには、旧校舎の資料室には戦争前の貴重な記録とか、古い写真がたくさん残ってるんですって。普段は立ち入り禁止だから誰も近づかないんだけど……夜になると不思議なことが起こるらしいの」

「不思議なこと?」

大和が初めて口を開いた。


「廊下の奥から足音がついてきたり、誰もいないはずの窓に人影が映ったり……。それから、資料室の奥にある大きな姿見に、時々知らない人の姿が映り込むんだって」

部室の温度が急に下がったような気がした。外から聞こえていたセミの鳴き声も、いつの間にか止んでいる。

「静、大丈夫?」

大和が心配そうに声をかけた。

静は少し青ざめていたが、興味深そうに美香の話に聞き入っている。


「それでね」美香の声がさらに小さくなった。「一番すごいのがこれよ。去年の夏、肝試しで旧校舎に忍び込んだ先輩がいるの。テニス部の三年生なんだけど……」


美香は一度言葉を区切り、部室を見回した。全員が固唾を呑んで続きを待っている。

「その先輩が二階の資料室に入ったとき、奥の姿見に白い着物を着た女性の姿が映ったんですって。


最初は自分の見間違いだと思ったらしいんだけど、鏡の中の女性がゆっくりとこちらを振り向いて……」

「振り向いて?」

京介の声も、無意識に小さくなっていた。

「笑いかけてきたんですって。それも、すごく悲しそうな笑顔で」

静が小さく「ひっ」と声を漏らした。大和が慌てて彼女の手を握る。


「先輩はそのまま気を失って、翌日から三日間も高熱で寝込んだらしいの。お医者さんに診てもらっても原因不明で、ただ『悪いものに憑かれたんじゃないか』って周りの人たちは噂してるんですって」

部室に重い沈黙が落ちた。

エアコンの音が再び大きく響いている。


「その話を聞いたとき思ったの」美香の瞳には確かな好奇心と、何か使命感のようなものが宿っていた。「これは絶対に調べる価値があるって。もしかしたら、本当に困っている霊がいるのかもしれない」

「困っている霊って……」


「そうよ! もし成仏できずに彷徨っている魂がいるとしたら、私たちヒーロークラブが助けてあげなきゃ!」

京介は深いため息をついた。美香の熱意は理解できるが、現実的な問題が山積みだった。


「美香、気持ちは分からないでもないが……結局のところ完全に不法侵入じゃないか。学校の敷地に許可なく入るなんて」

「違うわよ!」美香は両手を振って反論した。

「これは正義のための潜入調査! 困っている人を助けるための行動よ!」

「言い換えただけだろ、それ。やってることは同じだ」

美香は少しバツが悪そうに頬を掻いたが、すぐに気を取り直して机に学校の見取り図を広げた。


丁寧に描かれた図面には、校舎の配置や部屋の名前まで細かく記されている。

「ほら、これが正門で、こっちが旧校舎よ。昼間は管理人さんがいるから鍵がかかってて入れないんだけど、お盆の期間は人が少なくなるの。特に夜は……」

美香の説明が一瞬止まった。

「夜は?」

京介が促すと、美香は苦笑いを浮かべた。


「まあ、多少の見回りはあるけど、タイミングを合わせれば何とかなると思うの」

「『多少』って何だよ。さっき『ほぼノーチェック』って言ってたじゃないか」

「あー、えーっと……ちょっと大げさに言っちゃったかも」

美香は視線を泳がせた。その様子を見て、劉がくすっと小さく笑う。


「つまり、普通に警備はあるってことですね」

「うん……でも大丈夫よ! 時間を選べば絶対に入れるから!」

「ふほう……なに?」

静が首をかしげると、大和が慌てて耳打ちする。

「やっちゃいけないことだよ、静」

「やっちゃいけないこと?」

「そう。学校に勝手に入るのは、ルール違反なんだ」

京介は大和の説明を聞いて、改めて現実を突きつけ

た。


「ほら見ろ。子どもでも分かる話だ。これは明らかに悪影響だぞ」

「大丈夫よ!」美香は慌てて手をひらひらと振った。「ちゃんと安全に、誰にも迷惑をかけないように行うから!」

美香は新しいノートを取り出すと、ペンでさらさらと役割分担の図を描き始めた。几帳面な性格が表れた、きれいな図表だった。


「まず、私と八田君は資料室の調査を担当。霊の正体や、なぜ学校に留まっているのかを調べるの。

杉原君、大和君、静ちゃんには外で見張りをお願いするわ。もし警備の人が来たら、すぐに知らせてもらうの」

劉、大和、静が頷く。

京介は眉間に深いしわを寄せた。

「これ、どう考えても完全に肝試しコースだな……しかも中学生まで巻き込んで」


「でもね」今度は劉が口を開いた。

「草薙さんの話が本当なら、放っておくわけにはいかないよね。もし本当に成仏できない魂がいるとしたら……」

「劉まで美香の味方か……」

京介は頭を抱えた。


しかし、考えてみれば美香の熱意を止める明確な理由は見つからなかった。確かに不法侵入になってしまうが、誰かを傷つけるわけでもない。


それに、もし本当に霊が存在するなら、放置するのも良くないだろう。

窓の外では再びセミが鳴き始め、夏の午後の熱気が部室に流れ込んできた。京介は長い間考え込んでいたが、やがて観念したように大きくため息をついた。


「分かった……やってやるよ。でも、条件がある」

「やった!」美香が椅子から飛び跳ねた。「条件って何?」

「まず、絶対に無茶はするな。何か危険を感じたら、即座に撤退する。それから、もし警備に見つかったら素直に謝って帰る。変に隠れたり逃げたりしちゃダメだ」

「オッケー!」

「それから」京介は中学生コンビに向き直った。


「静と大和は入口の案内だけ。絶対に建物の中には入っちゃダメだぞ」

「はーい」

二人が元気よく返事をした。

「それじゃあ」美香が手を叩いた。

「今夜、決行よ!」


部室に再び沈黙が落ちる。今度は、これから起こることへの緊張感と期待感を含んだ、複雑な静寂だった。窓の外で鳴いているセミの声が、やけに大きく聞こえた。



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