二部 五話 事務所名案 求
ストーカー騒動がひと段落し
いつもの廃ビルの一室――ヒーロークラブの事務所には、美香、京介、劉、それから透の四人が顔をそろえていた。
机の上には書きかけの書類と、何冊かの参考書。テーブルを囲んで座る面々の前には、ホワイトボードが立てかけられている。
なぜか妙に真面目な空気が漂っていた。
「じゃあ、改めて確認するわね。今後の活動方針として――『真上さんを前面に出して、探偵として売り出す』ってことで、いいわね?」
ホワイトボードの前に立った美香が、手にしたペンでカツンと軽く板を叩きながら、きっぱりと仕切るように言った。
その横顔は、普段の明るさよりも少し真剣で、ほんの少しだけ緊張感が混じっているようにも見えた。
椅子に腰かけていた透は、相変わらずの無表情で腕を組んだまま、「どうぞご自由に」とでも言いたげな顔をしている。
「“売り出す”って……なんか、アイドルみたいな言い方じゃない?」
京介がぽつりとぼやくと、横から劉がくすっと笑った。
「でもさ、探偵って信頼第一でしょ? 名前を覚えてもらわないと話にならないよ、京ちゃん」
「……まあ、それはそうか」うなずくと、美香がうん、と頷きながら言葉を続ける。
「私たちが事件を解決しても、“誰が助けたか”が分からなければ意味がないわ。真上さんが表に立って、私たちはあくまで“助手”。そうしたほうが、依頼者とのやりとりもスムーズになるでしょ?」
「……それは理屈としては、正しいけどさ」
京介は頬をかきながら、少しだけ目線を横に流した。透は何も言わず、机に置かれたカップに口をつけている。
「ていうか、そもそもこの事務所の名前、まだなかったんだな?」
京介が指を差すようにしてホワイトボードに視線を向けると、そこには大きく『事務所名案』と書かれ、その下に数行の候補がずらりと並んでいた。
・放課後探偵団
・クローバー調査室
・救援事務所グレース
・有限結社・真上探偵社
「どれも……なんというか、クセがすごいな」
「さすが草薙さんのセンスだね」
劉の小声に、京介は思わず吹き出しそうになった。
「じゃあ、再確認の続きよ、事務所の“表の顔”は、草薙家の管理下にある『探偵社』という形で通す。真上さんはその探偵。そして私たちはあくまで“依頼を受ける探偵の助手”。その建前で動くの」
「……ってことは、名義上は“草薙家の事業”ってことか?」
「ええ。もちろん、本来の目的――“助けを求めづらい人たちを助ける”ことは変わらないわ。
でも、高校生が勝手に動いてるように見られたら、警戒されるもの。肩書きと体裁は必要よ」
確かに、それは正論だった。
京介たちはまだ、ただの学生だ。誰かの家の都合や、正義感だけで世の中を動かせるほど甘くはない。
でも、そんな建前があるからこそ、“助けを求められない誰か”に手を差し伸べる余地ができるのだ。
透は沈黙のまま書類を見つめていたが、ふと顔を上げて一言つぶやいた。
「……名前は、どうするんですか?」その場が、また少しざわめく。
「そこ、問題なのよねえ……。放課後探偵団って響きは可愛いけど、少し子どもっぽすぎるし。“有限結社”はインパクトはあるけど、怪しすぎるわよね」
「“グレース”って……急に洋風になるしな」候補を見ながら、それぞれが微妙な表情を浮かべる。どうやら、“正解”にはまだ遠いらしい。
***
その日の活動を終えた京介たちは、解散のあと、帰路についた。
「あら、杉原君、道こっちだったかしら」
「今日は京ちゃん家に泊まるんだ~」
劉はにこにこして美香に答える
「ああ、今日やけに荷物が多かったのはそのせいね」
美香は合点がいったようにうなずく
「にしても、荷物多くね?着替えと歯ブラシくらいだろ?」
京介の言う通り劉は大き目のリュックがパンパンになるほどなにかを詰め込んでいる
「もちろん、教科書とノート、筆記用具だよ。この前、勉強会しようって言ったでしょ?」
この前の勉強会の話は本気だったようだ。
いつもの笑顔の中に逃がさないぞという圧を感じる
「勉強会いいわね!杉原君しっかり八田君を教育してね、逃がさないように気を付けて」
「うん、任せてしっかり教え込むから、ちゃんと逃げないように柵立てとかないと」
「僕はペットか?」
その日の夜。
布団が敷かれ、散らかった教科書とノート。隣には劉が座っていた。
「……なあ劉、お前、何でうちに来るときだけそんなに勉強する気になるんだぁ?」
京介が聞くと、劉はぺらぺらと英単語帳をめくりながら答えた。
「だって、京ちゃんの部屋、誘惑が少ないから。ゲーム機もないし、お菓子もないし、雑誌もないし」「ひでぇ言い草だな……」
あんまりないいように苦言を呈す
「褒めてるんだよ、これでも」言いながら、劉はチョコレートミルクの紙パックに口をつけた。
なんとなく体に悪そうな飲み物だけど、彼にとっては集中力を保つための燃料らしい。
対して、僕の机の上には、開かれていない教科書と、筆記用具すら袋に入ったままのペンケース。
「……京ちゃん、教科書くらいは開こうよ。せめて見てるだけでも頭に入るかもしれないし」
「無理。見てるだけで頭が痛くなる」
劉が小さく苦笑する。
「でもさ、ヒーロークラブとテスト勉強、両方やろうとすると本当に大変だね。草薙さんなんて、どうやって両立してるんだろう?」
「……あいつ、そもそも学校行ってんのか?」
机の上の真っ白なカードを見ておもいだす、探偵社の名前が結局決まらず「1人1つは名前の候補を考えてきてね」っと言われて渡されたのだ。
「え、行ってないの?」「知らん」そのままふたり、顔を見合わせてしばらく沈黙したあと、なぜか同時に笑ってしまった。「草薙さんってさ、不思議な人だよね」笑いが落ち着いたあと、劉がぽつりとつぶやいた。
「お嬢様で、頭もいいはずなのに……何考えてるか全然わからないときがある。
京ちゃんは、草薙さんのこと、どう思ってるの?」 「どうって?」
「いや、普通に気にならない? ああいう子が、なんで僕らみたいな――特に京ちゃんみたいなタイプとつるんでるのかとか」
「うっせ」僕は枕を劉にぶん投げた。
劉は軽々とそれをよける。
「まあ、でも……気にはなるかもな。あいつ、何考えてんのかよくわからないけど、根っこは真面目だし。ああ見えて、たぶん、ずっと考えてるんだろうな。“人助け”のこととか、“正義”のこととか」
思わず口から出た言葉だった。でも、それはたぶん本音だった。草薙美香という人間は、なんというか、あまりにも真正面すぎて、こっちが照れる。
だから、きっと僕はうまく話せないのだ。
「……真上さんもだけど、草薙さんも、俺らよりずっと先を見てる気がするよ」
「だったら僕たちは……何してりゃいいんだろうな」
「俺は、まず明日の英語の小テストで赤点取らないことかな」
「……お前がそれ言うと、なんか現実味あるわ」
気づけば、部屋にはふたり分の笑い声が響いていた。