Day 2
今日中の投稿が間に合いそうになかったので、「バカでもわかる流れの解説」は今日はなしです。
Day 2
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朝8時すぎ、私はいつもより早く研究所に入った。
昨日の「WZ-34」の件が頭から離れなかった。
冷凍保存していた検体と、シーケンス中のデータを確認するため、ラボの端末を起動。
MiSeqランは夜中のうちに終わっており、クラウドサーバーに出力データが届いていた。
■ シーケンス結果
類似ウイルス:SARS-CoV:61.4%、RaTG13(中国雲南省のコウモリ株):73.2%
注目ポイント:
スパイクタンパク質領域にヒトACE2受容体と結合する可能性があるモチーフを確認
既知のコロナウイルスと一致しない新規配列が複数
──これは新型ウイルスでほぼ確定だった。
問題は、それが**「ヒトに感染する能力を持つかどうか」**だ。
俺は緊張しすぎて、喉が潰れていた。
私はすぐに細胞感染性の有無を確認するための実験計画書を作成した。
Vero E6細胞(アフリカミドリザル由来)に感染性を持つウイルスは、ヒト細胞にも感染しやすい。
それが陽性なら、事態は本当に深刻になる。
午前11時、王主任から返信が来た。
「データ確認。BSL-4レベルへの格上げ申請を進める。
感染性が判明した場合、軍と国家衛生委員会への通報対象。
今後は情報管理に十分注意しろ。」
BSL4とは、バイオセーフティレベル4のことで、最も安全基準の高い実験施設のことだ。エボラウイルスやラッサウイルスなど、致死性の高い病原体を取り扱う際に用いられる。日本では、国立感染症研究所村山庁舎がBSL4施設として指定されている。
その日の午後、ラボの入口に監視カメラが新たに設置された。
何も言われなかったが、**「見られている」**という空気が一気に実体を帯びた。
私はなるべく気づかないふりをして、細胞培養室へと足を運んだ。
そこでは、Vero E6細胞に接種したウイルスの経過観察が始まっていた。
■ 感染試験:1日目観察■
時刻:午後14時30分
ウイルス接種から:およそ24時間
顕微鏡下観察:明確な細胞変性なし
CPE(細胞障害効果):認められず
pH:正常(フェノールレッド変化なし)
月俣「やはり、感染力は弱いのか……」
私はつぶやいたが、なぜか安堵しきれなかった。
その夜、気になってもう一度ラボに戻った。
24時間培養の継続観察、これは日常業務の一部だ。
ただ、今日はなぜか、特別なナニカに感じた気がする。
「认真对待它。(真剣に扱えよ。)」
中国人の同僚の、陳珍
実は旧友で、中学校の頃、一緒に研究という職の夢を追いかけ続けた。
名前の日本語読みでいじられていた。誰一人と中国語の名前で呼ばなかった。ただ、俺だけは「チェン」と呼んだのだ。
残念だが陳のほうが一枚上手で、トップの方についている。というかこの業界に乗り出したのは俺が後だったが。
そう言い残したチェンは、何かを飲み込んだように口をつぐんだ。
俺はそのまま黙って細胞観察装置の前に戻った。
何かが胸の中でざらついている。
確かに──このウイルス、初めての出会いじゃない顔をしている。
午後17時15分。観察ログの更新。
感染後24時間を超えても、CPE(細胞障害効果)は見られない。
だが、変化は別の形で現れ始めた。
細胞増殖スピードが、明らかに変わっていた。
通常なら単層で広がるVero E6細胞が、
局所的に丸みを帯びて隆起している。
しかも、培地上のpH変動が妙に大きい。
俺は即座にRNAを再抽出し、再度qRT-PCRを行った。
■ 2回目PCR結果(感染24h後)
Ct値:16.3(初期株よりさらに上昇)
→ ウイルスRNA量が増加。明確な「増殖」反応。
俺は目を見開いた。
「これ……もう適応始めてるのか……?」
冷や汗が首を伝った。
ウイルスは、一度でも生体細胞内で複製すると、その宿主に最適化される方向に進化する。
つまりこれは、サル細胞を足がかりに**“ヒト”へのジャンプ台を得た**ということだ。
──ドンッ!
背後で誰かが実験室のドアを強く叩いた。
「月俣先生!データ確認中に失礼します!」
若手研究員のリウ・ジャンだった。
彼は顔色を変えて、タブレットをこちらに突き出した。
「これ……ラット細胞系での追加感染試験のデータなんですが……変なんです」
■ 感染試験(ラット由来細胞系:NRK)
・感染24時間後:CPE軽度
・感染48時間後:CPE中程度・細胞死確認
・ウイルスRNA検出:陽性、Ct値 19.2
俺は即座に言った。
「いや、ラットにも感染……?そんなはずは……このウイルスは、特定の宿主に強く適応するはず……」
だが、それすらも超えている可能性が出てきた。
ACE2結合だけではない。
おそらく、別の細胞侵入経路を持っている。
そのとき、天井のスピーカーから低い音が鳴った。
『全研究職員に通達。感染症対策規程に基づき、
本日午後18時より、P4エリアの出入りは全面制限されます。
関係者はセクター5へ待機してください。』
「……やられたな」と、チェンが肩をすくめて言った。
「これ、もう上にバレたってことだ」
俺はすぐに、WZ-34株とそのP2株の凍結サンプルを液体窒素ボックスに移し、二重のロックをかけた。
そのまま、端末に戻り、MiSeqのシーケンス結果を確認する。
■ 新規変異(P2細胞通過株)
Spike protein RBD領域:
Q493K → K493R
Furin cleavage site近傍:
新規挿入配列(PRRA様)検出
「……まずい。これ、ヒト感染の鍵になるやつだ」
かつてSARS-CoV-2で騒がれた“PRRA挿入”に類似の配列が確認された。
それが何を意味するか、俺は知っていた。
その夜、研究所の共有ネットワークに、「閲覧制限付き」通知が送られてきた。
件名:【WZ-34関連記録の取り扱いについて】
・当該株に関するすべての実験ログは、国家安全データベースへ移行します
・個人所有の記録、データ、写し等は全て削除・廃棄してください
・当件に関する対外的発言、SNS発信は厳禁とします
「……封鎖、始まったな」
俺はファイル削除命令の入ったZIPファイルを無視し、
USBに圧縮したデータコピーをポケットに入れた。
このまま、黙って従うことが本当に正しいのか?
ウイルスはもう、止まらないものになりつつある。