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コートを解き放った鍵

森啓太はボールを指先で一回回し、レンジと目を合わせた。

いつもの遊び心は消えていた。

(随分自信つけたじゃん、レンジ。

でも最近、ちょっと調子に乗ってるだろ。

バスケは、そう甘くねえってこと——教えてやるよ)

その瞬間、森の視線が一瞬だけ柔らかくなった。

体育館の喧騒が遠のき、昔の記憶が静かに蘇る。

――夏の、ずっと昔――

森の家の近くにある小さなスポーツショップ。

ある夏の午後、古いテレビが適当に流していたアメリカのストリートボールミックステープ。

アンクルブレイカー、ウィンドミル、背後へのパス。

小学一年生の森啓太は、画面の前で固まった。

目が離せなかった。

それから毎日、放課後になると店に通った。

店主のおじいさんは、いつもただ見ているだけの子供に同情したのか、ある日ため息をついて、

少し傷んだバスケットボールと、焼いたDVDの束を渡した。

「ほら、持ってけ。

お前、客より長くいるんだから」

森はその瞬間、世界を手に入れたような気がした。

それから毎日のように地元のストリートコートで練習した。

アイバーソンのクロスオーバー、カイリーのヘジテーション、クロフォードのシェイクアンドベイク。

六年になると、年上の兄ちゃんたちに「ハンドルキッド」と呼ばれるようになった。

駅前のオープンコートにも通うようになった。

――何年後か、そこでレンジや瞬と初めて大学生たちと戦うことになる、あのコートだ。

中学入学の日。

森は体育館に駆け込み、心臓がバクバクしていた。

何年も夢見てきた瞬間だった。

バスケ部に入って、ユニフォームを着て、本物の試合をする。

でも、部室のドアに貼られた紙には、

「女子バスケットボール部のみ」

と書いてあった。

森は立ち尽くした。

男子部なんて存在しなかった。

学校の誰も、バスケなんて興味がないみたいだった。

三年間、森はどの部活にも入らなかった。

放課後はまっすぐストリートコートへ。

ハンドルはさらに鋭くなり、プルアップも滑らかになった。

でも、いつも一人か、知らない人とだけ。

仲間を信じることを、森は一度も学ばなかった。

龍鳳高校に入学した一年生の春。

森はポニーテールを結び、体育館に足を踏み入れた。

初めての、本物の学校バスケ部だった。

当時の二年生――中村陸と工藤大知――は黙々とドリルをこなしていた。

三年生――主将の黒田義樹、赤坂文也、青山雅人――は鋭い視線で練習を見守り、

同じ一年生の葉山翔吾がコーナーで軽く三点を決めた。

森は胸が熱くなった。

これが、本物のバスケだ。

でも、すぐに昔の癖が出てしまった。

森は一人狼だった。

みんなを抜いて、全部自分で決めようとした。

パスなんて考えもしなかった。

ダブルチームが来ても、全部自分で突破しようとした。

確かに上手くいったこともあった――ハンドルはそれだけ良かったから。

でも、ハーフタイムになると息が上がって、足が重くなった。

ある日の練習後、体育館の照明が落ちかけた頃。

主将の黒田が森を呼んだ。

黒田はベンチに座り、首に巻いたヘッドバンドで汗を拭った。

「森、お前は本当にすごい。

本気で、日本でもトップクラスになれるよ」

森は照れくさそうに頭をかいた。

「ありがとうございます……」

「でもな」

黒田は静かに、でもはっきりと続けた。

「お前は自分を潰してる。

全部自分でやろうとしてるから、試合を最後まで持たせられない」

森は首をかしげた。

「俺が点を取れば、チームは勝つ。それでいいんじゃないですか?」

黒田はゆっくり首を振った。

「それも大事だ。

でもな、森。周りをよく見てみろ」

彼はコートを指さした。

中村が正確なスリーポイントを沈め、工藤がコンタクトをものともせずにフィニッシュし、赤坂がオフボールで動いて、青山がポストで仕掛け、葉山がコーナーでシュートを決める。

「ここにいるみんな、点を取れる。

お前一人で全部背負う必要はない」

森は初めて、コートをちゃんと見た。

黒田はさらに近づいてきた。

「二つのプレーを想像してみろ。

一つ目は、お前がダブルチームを抜いて自分で決める。

二つ目は、一本のパスを出して、味方が楽に決める。

どっちも二点だ。

でも、どっちが最後までお前をコートに残せる?」

森の目が少し見開いた。

黒田の声は優しくなった。

「俺たちはお前を最後まで必要としてるんだ。

前半でガス欠されたら困るよ。

味方を信じろ。

みんな、お前を輝かせる準備ができてる」

森は靴を見下ろし、それからコートを見上げた。

何かが、カチリと音を立てて開いた。

それから森は、パスを磨いた。

視野を広げた。

我慢を覚えた。

そして、コートを

「俺だけの戦場」ではなく

「みんなの居場所」として見るようになった。

――そして、今――

練習試合は続いた。

森は再びボールを受け取り、静かに構えた。

レンジと向き合うのは、これが初めてだった。

レンジは低く構え、腕を広げた。

二度と恥をかかない――そう決意していた。

森の動きは、まず小さなヘジテーション。

レンジが一瞬噛んだ。

次の瞬間、ボールが爆発するように動いた。

レッグスルー→ビハインドザバック→遅らせたヘジテーション。

リズムが完璧に噛み合っていた。

レンジはスライドしようとしたが、動きが速すぎた。

森のドリブルは、見たこともないほど洗練され、読めなかった。

一瞬のブラー。

森がレンジを抜き去る。

レンジが必死に追いかけようとしたとき、森はすでにシュートモーションに入っていた。

ふわりと綺麗な弧を描いたミドルレンジシュート。

ボールはガラスに軽く触れ、ネットを揺らした。

黄 4 – 赤 4。

レンジは一瞬、固まった。

追いつこうとした瞬間、森はもうシュートを放っていた。

森は軽く走り戻り、ポニーテールを揺らしながら、小さく肩をすくめた。

「悪い、レンジ。

つい手が出た」

レンジは息を吐き、肩を落とした。

でもすぐに顔を上げ、目を細めた。

「……次は、絶対止めてやる」

体育館の空気が、少しだけ変わった。

コートは、今までより広く、深く、熱くなった。

かつての一匹狼は、もういなかった。

そこにいるのは、仲間と共に戦うことを知った、二年生のフォワードだった。

そして、コートは、これまで以上に大きく感じられた。

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