心霊動画の編集者
暖房をガンガンに効かせた室内と、プライベートブランドの安い缶チューハイ。
これが編集作業を行う時の、自分のスタイルだ。
テレビから心霊番組が激減した昨今。主に◯チューバーなど、心霊動画の配信者からの依頼で食い繋いでいる。
その仕事内容は単純。何も聞こえないシーンにそれらしき音を入れたり、何も見えないシーンにそれらしきものを映す。逆に運良く『本物』が紛れている場合は、それを強調する。そんな地味な作業だ。
この仕事をしている内に、映像の中の『本物』は大体分かるようになったが、取り立てて霊感がある訳ではない。今作業をしているこのアパートも、実は女性が自殺したらしい事故物件だが、大きな問題もなく快適に暮らしている。強いて言うなら冬は少々寒いことくらいだが、安く浮いた家賃に比べれば、暖房代など微々たるものだ。
身体がなんとなく暖まり、9%のアルコールが程良く扁桃体を麻痺させてきたところで、今夜もパソコンへ向かう。
明るい昼ではなく、いかにもな夜に作業を行うのは、余計な雑音を遮断し第六感とやらを研ぎ澄ませる為だ。
メールの送信者は、何度も依頼を受けたことのある、『丑ろの正面チャンネル』。今人気の、心霊動画配信グループだ。
定番の心霊スポット巡りを主としているそのメンバーは、二十代後半の男性三人と女性一人。韓流アイドル風の華やかなビジュアルと、優しい口調で霊と対話するスタイルがウケている。
実際に会ったことはないが、電話やメールのやりとりも非常に丁寧で、好感が持てる若者達だ。報酬も良い為、今一番の上客と言って良いかもしれない。
さて、今回は……と開いたメールの本文に、俺は思わず首を傾げる。
『消してください』
たった一言だけ。
いつもは、ここをああしてこうしてと、もっと細かく指示をくれるのに。
これは余程のモノに違いないと、缶を一気に傾ける。レモンもどきの息を深く吐き、覚悟を決めて、その動画を開いた。
そこは心霊マニアなら、誰もが知っている廃病院。
動画配信者達からは、『撮れる』場所として好まれている、お馴染みの場所だ。
深夜の暗い廃墟内へと入っていくのは、髪色から華やかな、例の男性三人と女性一人。霊の声を聴くアプリなどを使用し、淡々とオカルト検証を行っていく。
『誰かいらっしゃいませんか? もし居たら、お返事していただけませんか?』
男性リーダーの呼び掛けに返ってくるのは、今のところアプリのノイズだけ。映像にも変化は見られない。
対象物は一体いつ現れるのかと、前のめりで覗き込んでいた。
ふうっ……
首筋に生暖かい風を感じ、一気に心拍数が跳ね上がる。映像を一時停止し振り返ってみれば、足元に女がしゃがみ、こちらをジトッと見上げていた。
腰まで伸びた長い黒髪に、腫れぼったい目。透けるような白い頬に真っ赤な唇を広げ、ケタケタと笑い出す。
「驚いた?」
細い腕をニュッと伸ばし、空き缶の横にミックスナッツの袋を置くその女は、付き合ってもう五年になる俺の彼女だ。
舞台や心霊番組の幽霊役として重宝されている彼女とは、編集仲間の紹介で知り合った。互いに不安定な仕事である為結婚願望は薄いが、こうして合鍵で家を自由に行き来する程の仲である。
「ううっ、相変わらず寒いなあ! なんかあったかいの飲もうっと」
「外より寒いなんて……」とブツブツ文句を言いながら、電気ケトルのスイッチを入れる彼女。視えはしないが結構感じるらしく、冬は特にこのアパートを嫌がっている。それでもこんな時間に来たということは……
ソファーに腰掛け、ココアの入ったカップにふうふうと息をかける彼女を横目に、俺は作業を再開する。
……さっさと終えて、あの赤い唇を味わいたい。寒がりの身体をベッドの中でどう暖めてやろうかと、楽しい想像を巡らせながら、対象物を探し続けた。
一向に異変は見つからないまま、退屈なオカルト検証は残り五分を切った。
待ちくたびれたのか、カップを手にこちらへやって来る気配に焦りを感じる。
絶対何かがあるはずだ。
必死に目を凝らしていると、突如右耳の音が消える。何事かと横を向けば、彼女の細い指先が、俺のワイヤレスイヤホンをつまんでいた。
「……何?」
その問いには答えず、彼女は画面をジトッと睨む。
「これさあ、いつ撮った動画?」
「ええと……ああ、一週間前だ」
「この女、確かその前に……ググってみな」
それだけ言うと、「あー寒い寒い」と大袈裟に腕を擦り、ベッドの中へと潜ってしまう。
おいおい、まだ寝ないでくれよと祈りながら、視線を戻した画面。そこには検証を終え、視聴者へ締めの言葉を送る四人が並んでいる。男性達の白い息が冬の闇にもわもわと溶けていく中で、共に喋っているはずの女性の口からは何も出て来ない。
ああ、そうかと理解した俺は、わざわざ検索することもせず、速やかに『削除』へと取り掛かる。
この仕事で一番難しいのは、『偽物を足す』ことではなく、『本物を消す』ことだ。何故なら、消されまいと必死に抵抗されるから。
一度握り潰した缶から、僅かに残った数滴を喉に垂らし、ミックスナッツを口一杯に頬張る。
バリ、ボリボリボリ。
平和な咀嚼音で、呻き声を掻き消す。
『生』から強引に引き剥がし、素早く削除対象を指定すると、カッと見開かれた目を絶対に見ないようにして、enterキーを押した。
全てのシーンから、完全に消し去るまで。
何度も、何度も────
生きている者だけが楽しめる、淫らな想像で扁桃体を覆いながら。
ひたすら同じ作業を繰り返していく。