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「……な、何の音だ?」


 怪訝な顔で洞窟の出入り口に視線を向けているロベリア。


「誰か、き、来たのかな」


 男の声が聞こえた気がして狼狽えるスイレン。


「……こんな所に?」

「うー……」


 ローレルはカルミアを呼び寄せて安心させるように抱いている。

 カルミアも不安な顔を隠さない。こんな口減らしの森で、自分達以外の誰かの気配など嫌な予感しかさせないから。

 一番に立ち上がったのはロベリアだった。


「ロベリア?」

「外、気になんだろがよ」

「でも、セイさんは中で待ってるように言ってたよ」

「あんな女の言う事なんて聞けるかよ、今は非常事態だしアイツ自体いないだろ」


 ローレルの制止も聞かずに、ロベリアはそのまま出入口付近にまで足を進める。……が、扉の代わりとなっている毛皮を捲ることがどうしても出来ないようだった。

 黙っていれば、気付かれないかもしれない。何も知らない振りをして居留守を決め込めば、何事もなく終われるかもしれない。例え相手が悪人で、こちらに危害を加える類の人物だったとしても、どうしようもなく馬鹿ならこの洞窟にだって気付かないだろう。

 そんな淡い期待は。


「誰か居るか。人を探している」


 毛皮の向こうから聞こえる、低い男の声で掻き消えた。

 確実に洞窟を認識して声を掛けている。もし扉の役割をしているのが毛皮でなく木製の板だったなら、きっと声の主は打音を聞かせていただろう。

 意を決して手を伸ばす、ロベリアの指先が震えている。しかし決意も空しく、その指先が毛皮に触れる前に外から開かれた出入口。


「マ、――……ん?」


 現れた男は、洞窟の出入り口よりも長身だった。耳が覗く程度の短い黒髪は柔らかく波打つ、掘りの深い顔の威圧感ある人物。黒色の外套を纏っていて、体の線までは見えない。

 羽音を聞かせた理由も分かった。外套を突き抜けるようにして背中から生える一対の翼は黒とも焦げ茶とも取れる色合いだ。その場にいた誰もが仮装を疑ったものの、目の前でばさりと大きく動かれてはその考えも消え失せる。


 初めて見る――獣人だった。


「失礼」

「おっ、おい!?」


 男はたった一言断りを入れると、許可さえ待たずに洞窟内に歩を進める。ロベリアの体を突き飛ばさぬように、そっと押しのけるようにして中に身を屈めながらずかずかと入って来た。

 中の作りは簡素だ。個室などある訳も無い。一瞥するだけで中の様子が見渡せる作りであるにも関わらず、男は暫く何度も見返して。


「尋ねていいか。他に誰か一緒に住んでいないか?」


 少しばかり言葉尻を強め、他の同居者について尋ねた。

 ローレルは一番に言葉を詰まらせた。先ほど冗談のようにセイが言っていた、彼女の命を狙う人物だという可能性が浮上したからだ。

 セイと別れて、この話は他の子供達にもした。だから、スイレンも返答に相応しい言葉を見つけ損ねている。

 言葉を詰まらせるのには、なにか理由がある。男はそう判断し、詳しい話が出来そうだと思ったのかスイレンに視線を向けた。


「居るんだな? それはどんな人物で――」

「居ねえよ」


 黙る二人の代わりに声を発したのはロベリアだ。

 え、と漏れそうになる声すら飲み込んでローレルとスイレンが耐え、カルミアはロベリアと男へ交互に視線を向ける。


「……居ない? 可笑しな話だな、寝床は五つある。そこの小さな子はここまで大きな寝床は使わないんじゃないのか」

「離れた寝床は見張り担当用だ。見張り自体は交代制にしてるんだよ」

「だからって、別に寝床を四つも用意するか? そもそも、どうしてこんな森の奥に子供だけで住んでるって言うんだ」

「当たり前だろ、ここは『口減らしの森』だ」

「口減らし――?」


 最初から男を信用していないロベリアの嘘を混ぜた言葉に、男が眉間に皺を寄せる。その単語自体が忌むべきものだとでも感じているように。

 対するロベリアも余裕を取り繕って首を傾げたりしているが、心臓は全力疾走した時ほどに跳ねていた。口から出ているのは半分が出任せだ。もし見破られた時、男はどんな対応をしてくるのか分からない。


「捨てられてんだよ、俺達は。だから大人が嫌いだ。そうでなくても、俺達の住んでる場所に勝手に入って来てほしくないんだ、出て行ってくれ」

「………」

「俺達だけで、やっと、ここまで生活を整えられたんだ。次来る冬に耐えようとしてんだよ。俺達を捨てた『大人』が何の用で勝手に入って来てんだ、入って来るなよ!」


 子供としての精いっぱいの抵抗と見せれば、この男は出て行ってくれるかも知れない。

 面倒事を起こさないならそれでいい。少なくともロベリアは、最初にローレルやスイレンに可笑しな目を向けなかっただけ少しは理性のある人物なのではないかという予想を立てていた。

 不法侵入先の住民達に視線を向けられた男は、暫くして。


「っ………、はぁああああぁあ……?」


 なんとも情けない溜息を吐いて、その場に座り込んだ。


「……え……?」


 スイレンもローレルも、対応しようとして出来なかったロベリアも。

 三人が、男の奇行に目を丸くしている。


「ここだって言ってたじゃねえかよ、あの坊ちゃんはよ……。こんな丁度いい洞窟がある以外にあのおっかねえ小女王様が何処行くってんだよなぁ……。なんだよこの子どもしか居ない洞穴(ほらあな)はよ……」


 男は最初に見せていた、近寄りがたい堅苦しい印象から反転するような態度だ。面倒そうに頭を掻いては愚痴を溢し、苦い顔をさせては呻いている。

 改めて子供達に向ける視線はどこか同情的で、悪意は一切感じさせない。


「悪かったなあ、嬢ちゃん達よ。お前さん達、捨てられてたって本当の話か」

「……え、……あの」

「はい……」

「そっか、そっかぁ。苦労してんだなあ……。もうちょい儂に権限あったら全員連れて帰れるんだけどよぉ……、生憎今は儂も無理なんだよなぁ……、いや……旦那に頼んで院斡旋して貰えんじゃねえかコレ……」


 悪意どころか、出処の分からない懐の深さや得体の知れない企みまで漏らし始めた。

 不審な男に警戒を深めるのはロベリアだけで、困惑するローレルと、スイレンと。そして。


「……おにーちゃ、どったのぉ?」


 警戒心が完全に消えたのは、カルミア。

 それまでローレルの側に居たのに、よたよたと男の側にまで近付く。


「……捨てられたって事ぁ、こーんなちっこい子まで……かぁ。ったく、冗談じゃねえやなあ……すまねえなぁ……」

「おにちゃ」

「おー、おにーちゃんだぞぉ。嬢ちゃんのお名前はなんて言うんだ?」

「みーよぉ」

「お、ミーちゃんかぁ。かわいい名前だなぁ!」


 言って男は座ったままカルミアを抱き上げた。笑顔満面のカルミアとは真逆で、ロベリアの顔が険しくなる。


「お前、カルミアから離れろよ!!」

「……おっと? これは失礼」


 このままでは子供達の怒りを買ってしまう、と思ったらしい男はカルミアをすぐさま下ろす。きゃっきゃと声を上げて喜んでいたカルミアも、途端に悲しそうな顔になってしまった。

 肩越しに振り返る男は、ゆっくりとロベリアに視線を寄こした。


「なかなか警戒心の薄れないようで、結構結構。ところで、怪我をしているようだがそれで他の三人を守れるのかねぇ?」

「余計な世話だ。『俺達』はこれでも、助け合ってここまで来たんだよ。心配されるような事は何も無ぇよ、この先もな!」

「威勢の良い坊主だなぁ。……その威勢の良さで、こんだけの毛皮を狩った……ってのかい?」


 洞窟内の毛皮の量を指摘されれば、ロベリアも一度言葉を詰まらせた。猪も熊も、ロベリアには狩る技量が無い。

 けれど、言葉を止めたロベリアに救いの手は他所から来る。くいくい、と男の服をカルミアが引っ張っていた。


「おにちゃ、おなまえは?」


 ロベリアとは比べるまでも無い巨躯の男だ。そんな男がそれなりに好意的に接してくれるから、カルミアも男に甘え始めた。

 途端、それまでの会話などどうでもいいという風に男が破顔する。狭苦しい洞窟内で、ばさり、と羽が震えた。


「おお、ミーちゃん! 儂の名前が聞きたいって?」

「おにちゃ、なまえききたい!!」

「そーかそーか、可愛いなぁ。……可愛いんだがなあ」


 男の大きな手は、カルミアの頭を撫でる。その手付きに二心は感じられなかった――次の瞬間までは。


「……儂なあ、ちょっとした理由で名前教えられねえんだ」

「だめの?」

「そうなんだよ。それに、俺はどうしてもって頼まれて、探し人にここまで来たんだけどな、その人の名前すら教えられん。色々と面倒くさくてな――なぁ」


 カルミアの頭上を越えて、子供達に向けられる瞳。

 口元は笑っているのに、瞳だけは笑っていなかった。声も朗らかなのに、否を言わせない威圧感がある。


「黒髪で」


 男が口にするのは、探し人の特徴。


「紫の瞳で。そこの嬢ちゃんより少しばかり身長が高くて。話してみると、かなーーーり偉そうにするんだわ、これが。黙ってれば美人なんだがこれまた強いんだ。それこそ、ここにある毛皮の獣全頭ブチ殺して肉にするなんて、あの人には楽勝だろうけどな。……なぁ?」


 カルミアの頭に乗っている手。それがもし、他の子供達の返答次第で危害を加えるのならば。

 どう答えるべきか分からない。この胡散臭い男の情報を誰も知らない。こういう時、どう対処するべきかも分からない。男が出した特徴が、すべてセイに当て嵌まっていても。

 最年少が人質に取られているような状況で、口が開けたのはスイレンだけだ。


「……し、知らない、って……言って、信じてくれるんですか?」

「……」

「カルミアから、手を、放してください。私達は、そ、そんな人、知りません。だいたい、今その人いないじゃないですか。これ以上、私達から、何かを奪おうとしないでください。……カルミアから離れてください」

「ふふ」


 必死の抵抗の言葉に、男は鼻で笑う。余裕以外の何でもない音で、カルミア以外の者が顔を歪ませる。が、男は素直に話を聞き、カルミアから手を離した。


「少し脅しが過ぎたかねぇ。別に、儂は何か問題起こそうとしてんじゃねえよ? こういう聞き方しか出来ねぇ立場なんだ、因果なモンだねぇ」

「……出て行って貰えますか」

「そう警戒すんじゃねえよ。知らないなら知らない、それでいいんだ。そもそも儂だって、あんな小女王がお前さん達みたいな小童どもにどうにかされるなんて思ってもねえしよ……っと、これはせめてもの詫びだ」


 男は外套の中に手を入れると、荷物入れと思わしき所から何かの包みを出した。何かの紋が刺繍された革で作られた袋をカルミアに渡すと、それはスイレンの許へと運ばれる。

 中身は応急処置の道具らしかった。包帯や傷薬の軟膏などが入っていて、あまり衛生的にも良くなかったロベリアの骨折の治療に使えそうだ。同じ袋の中に粥一食分になりそうな穀物も入っている。


「儂の手助けが要らんって言っても、治療道具くらいは持ってていいだろ」

「……ありがとう、ございます」

「それじゃ、儂はこれ以上お前さん達の機嫌損ねんうちに帰らせて貰――痛っ!!」


 それまでとは打って変わって、朗らかな態度を見せつつ立ち上がろうとした男。洞窟の内部の作りを忘れ、長身が立ち上がろうとして強かに頭頂を打って悶絶している。

 あまりに情けない姿だが、男の方も意地があるのだろう。身を屈めつつ、それ以上何も言わないうちに洞窟を出て行った。……後に残された子供達は、何も言えずに固まっている。

 男が出て行ってたった数秒。外では翼が羽搏く音が聞こえて、再び静寂が戻って来た。


「………」

「……」

「…………」

「う?」


 残された子供達は、セイが戻って来るまでの暫くの間、誰も口を開けない。

 先程現れた翼付きの男が、善なるものかどうかが判断つかなかったからだ。




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