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 スイレンの不安は的中する。

 暦の分からない森暮らしでは、今が何月の何日かも分からない。

 日を追うごとに寒くなる、断崖へ吹く風の様子を窺うセイは、上着を洞窟内へ脱ぎ捨てた肌着姿のまま外に出て。


「まずいわ」


 空を、見上げた。


「冬が来るわ。早足なことね」


 子供達には、それが彼女なりの温度の変化を確かめる術なのだと見えていた。




「なんだあの女」


 洞窟の中からセイの姿を珍奇なものでも見るかのような視線を送っていたのは火の番をしているロベリア。

 彼の体は折れた骨以外は軽傷で、今は起き上がって生活するには支障はない。


「さあ? ……でも、あれがあの人なりの天候の読み方なのかも?」


 この森に捨てられてからスイレンが刻んだ、日の出の回数は既に十五を超えた。少しずつだが、子供達もセイという人となりを理解しようとしている。

 言われるがままに藁の下処理を続けるスイレンとローレルは、焚火から遠い場所に草縄の山を作っていた。

 今の所、食料調達の全てはセイ任せ。こういった草や薪の補充もほぼほぼセイの仕事だ。子供達に出来る事は肉の加熱や言われた物の作成などだけで、生きるための全てを大人一人が担っている状況。夜の見張りも少し離れた水辺への水の調達も任せっきり。

 服も土埃で汚れ、風呂にも入れない状況にも関わらず、彼女自身は全く不潔な印象が無い。それどころか、近くに行くといつも甘く爽やかな花のような香りがした。実際、遠目から見る彼女の肌はいつも綺麗。髪なんていつもさらさらで、まるで絹糸のような黒髪はひとつに纏められ、いつも彼女の動きに合わせて靡いている。……普通、そんな事あるわけないのに。


「せい、おねちゃ」


 三人の子供が訝しんでいる中で、よたよたとした歩き方で洞窟から外に出ようとするのは――カルミアだ。

 薬草が功を奏したのか、それとも持ち前の免疫力が強かったのか。出した熱が下がった以降は、何も分からないなりに周囲の者の手伝いをしたがる。セイの事も気に入ったようで、頻繁に側に行きたがっていた。


「……カルミア?」


 そんなカルミアに、セイは。


「おねたん」

「んもう駄目よぉカルミア、外出たらさむいさむいだよ? これからはもっと寒くなるから、中であったかくしてなさいな。ね?」

「ミーちゃん、おてつだいすゆ」

「嬉しい!!」


 ……普段の鉄面皮がどこへ消えるのか、カルミアに対してだけはデレデレとなっている。

 年齢を考えたら守られて当然の幼児だが、セイがここまで庇護欲をそそられるのも愛らしさのなせる業。とてとて近寄って来るカルミアを抱き上げて、頭を撫でる。


「……嬉しい、けどね。カルミア。私は大丈夫よ」

「せいおねちゃ、だいじょぶの?」

「そう、大丈夫。私の方でお手伝いして貰う事は少ないけど、スイレンお姉ちゃんとローレルお姉ちゃんはそうじゃないかも。編んでもらってる縄、邪魔にならないように揃えて置いておく係が必要じゃないかな?」

「かかり!」

「縄は藁で出来てても重いかも。カルミア、揃えられる?」

「できゆよ!!」


 ふんす、と鼻息荒いカルミアを地に下ろせば、来た時と同じようによたよたとてとて洞窟へと向かった。

 それをロベリアは厄介払いと思って嫌な顔を隠さなかったが、スイレンとローレルは違う。

 子供の扱いに慣れている。小さな子供に見せる年長者としての顔が、ひたむきな想いに優しい笑みを見せていた。

 再び洞窟の中に入って来たカルミアは、目を輝かせながらスイレンの側に来た。


「ミーちゃん、おてつだいすゆ!」

「ありがと、ミーちゃん。じゃあコレお願いね」

「あい!」


 外の会話が聞こえていたスイレンは、そのまま流れるように仕事を任せた。元気よく返事したカルミアはすぐに縄を整理し始める。二人がかりで用意している縄は、これから先必要になるからとセイに言われて作っているものだ。縄と言っても、子供の親指と人差し指で輪を作っても充分楽に入る程度の太さだ。 

 だからといって細すぎる事もなく、絡まることも無いはずなのだが。


「……」


 カルミアが離れたあとのセイは、ローレルが横目で見ただけでも既に鉄面皮に戻ってしまっている。

 彼女がすべきことに、カルミアがいると困る。ローレルはこれまで生きて来た中で、子供が側に居る事による煩わしさを知っていた。子供の相手に慣れているのと、子供を全面的に肯定してその一挙一動すら好ましく思うのとでは天と地ほどの差がある。……そしてセイは恐らく、全面的には肯定しない方だ。

 しかしロベリアは、カルミアに向ける態度を含めてセイが気に入らない。舌打ちを一回して、面倒そうに呟く。


「厄介払いする言葉はお得意なんだな、あの魔女は」

「ロベリア!」


 黙るようにと声を荒げたのはスイレンだ。これがセイに聞こえていようがいまいが、恩人とも言えるような人物を侮辱するのは彼女の良心が咎めた。

 けれどロベリアも、それで黙る男ではない。


「口からポンポン出て来る偽善が気に入らねえ。綺麗事並べるのも気持ち悪いし、俺達の事を勝手に仕切りやがってよ。確かに一番年上かも知れねえが、命令される筋合いも無えってのに」

「仕切るのはあの人じゃないと無理だよ」

「ロベリア骨折してるじゃない」

「うるせえ!! 骨折してたって必要だったら俺だって――」


 その時の三人には気付いていなかった。

 会話の内容を聞かれて困る人物が、セイ以外にもいる事に。


「……ミーちゃん、……じゃまの……?」 


 『邪魔なの』。

 舌ったらずの幼児でも、その言葉の意味が分かる。

 ロベリアの口が滑らせた単語には、心を傷つける効果がある。もう二度と口の中に片付けられない悪意を受けたカルミアは、何度か瞬いた後に下を向いて涙を溢した。


 この涙は、お前のせいだ。


 スイレンも、ローレルも。

 二人ともが、視線を向けて来る。

 その視線にはそれ以上の意味がないはずなのに、ロベリアは責められた気になった。少なくとも、カルミアの涙はロベリアのせいだったから。


「ミーちゃん、ままにも、ぱぱにも………じゃま、って、ゆわれたの……。ミーちゃん、ぎゅって、してほしかったの……」


 カルミアの語る家族との断片的な記憶は、三人の唇から言葉を奪うに充分だった。

 両親に愛を求めた幼児の、その結果。

 愛を向ける相手に冷たくあしらわれた末路。

 三人が三人とも、自分の親を思い出した。そして、その居心地の悪さに首を振る。


「ままにも、ぱぱにも、あいたいよ……。ぎゅってしてほしいよ、したいよ」


 もう無理なのに。


 本人だって、今の絶望的な状況は分かっているのだろう。自分の言葉に首を振る度に、目に溜まった涙が震えて落ちる。

 もう戻れない。戻ったところで幸せになんてなれない。愛して貰える保障なんて無い。

 改めて、今ここにいる絶望を肌でも感じる。この寒さは愛されていない証拠じゃないか。と――。


「よい、しょっと!」


 そんな絶望の未来は、外から聞こえた声と地鳴りで一瞬にして掻き消えた。

 外から地を揺らす程の音、いやこれは実際に揺れている。洞窟内で音が反響するほどの低い音が四人を襲った。

 途端にカルミアの涙すら止まる。一斉に外を見ると、これまで見ていた洞窟の出入り口が一層暗くなっていた。草で出来た風除けの幕が、日の光を透かしていない。


「な、なんだ!?」


 一番に外の様子を窺いに走ったのはロベリアだった。草製の幕をがばっと開いて、見た光景は。


「なんだ、とは何よ。失礼ね」


 結んでいた髪さえ乱れ、はらりと顔に落ちて来た毛束を避けながらロベリアに言葉を返すセイの姿。

 随分暗く思えたのは、洞窟の外を見れば当たり前のこと。日光からその小さな居住区域を覆い隠すかの如く、密集するように生えた細い木の数々。その木を見たことの無いロベリアは、それがどういう名前なのかも知らなかった。


「これからすぐ冬が来る。寒い空気と日照を天秤にかけて、隙間風の方が危険だと判断したの。この植物は少ししたら枯れるけど、枯れた後でさえ利用価値もあるし……他にも必要なものは全部私が持って来る。今でさえここまで気温が下がってるんだから、この先どれくらい寒くなるか分からないもの」

「……か、勝手に決めんなよ。外に出られなかったら困るだろうが」

「困る? どうしてよ」

「便所っ、どうすんだよ!」

「……」


 言われてからセイは怪訝な顔をする。『そんなこと?』とでも言いたそうな顔だった。

 生き物である以上、衛生については必要不可欠な生活の一部なのだが――どうもセイには通じていなくてロベリアが脱力した。

 その脱力を見てから、セイは溜息交じりに「仕方ないわねえ」と呟いて。


 ――ロベリアが次に視線を上げた時。

 密集して生えていた筈の植物が、洞窟外の石壁に沿って人ひとり分の間隔を薙ぎ倒される所を見た。

 正確には、薙ぎ倒された後の景色だ。再び地が揺れるのを感じると、最初の地鳴りは生えて来た時のものだと思い至る。


「……は!?」

「丁度薪にも使えるし、防寒にも使えるでしょ。これね、篠竹って言う名前の植物よ。床だけじゃなくて壁にも敷き詰めたらもっと温かく感じるわ。……でも、そっか……お手洗いの必要性すっかり忘れてた……。だったら実はお風呂も必要だったりする……? そこまで用意するのは私じゃ無理よ……」


 ロベリアにさらりと説明した直後、セイは自分の世界に入り込むように独り言を続けている。

 人が生きていくに必要な生活様式を知らないかのような、そんな化け物じみた振る舞いだ。

 それよりも。

 この植物を――セイはどうやって調達してきたというのか。

 戦慄するロベリアはその場で固まってしまった。


「……」

「………」


 ロベリアの背中が見えるスイレンとローレルは、まだ縄を綯っている。

 外でされている二人の会話も聞こえていた。衛生に頓着しないセイの事も疑問ではあるが、それより彼女の怪物染みた振る舞いにばかり注意が向かう。

 どうして、と、どうやって、ばかりが頭に浮かんでは消える。思考と仕事の両方に疲労が出て来たスイレンは、手にしていた綯いかけの縄から手を離して天井を仰いだ。


「……私達、あの人の機嫌を損ねないようにしないとね」


 今の状態で。

 多分、今の状態でなくても。

 彼女を敵に回したら、きっと無事では済まないだろう。確信だけはある。

 スイレンの呟きに、ローレルは何も答えなかった。でも、カルミアだけは。


「おねちゃ、やさしいよ?」


 涙も途切れた無垢な表情で、ただ首を傾げるだけだった。



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