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スイレンの案内で向かったのは、洞窟からさほど時間の掛からない茂みの影。
茂みなので、洞窟の側からただ視線を向けただけでは分からない。でも日は当たるらしく、生育できる最低条件は揃っていた。
ぱっと見で使えそうな薬草は四種。しかし。
「しょぼっ」
そんな言葉でぶった切られて、スイレンはセイの背後で脱力した。
「……酷いですよ、セイさん……」
セイが周辺含めて薬草採取に精を出している間、膝を抱えて拗ねているスイレン。
酷いも何も、森の中という日射状態も悪い土地で生えているものなのだからその評価も仕方ない。
背中に文句を受けて視線だけ向けるセイも、思わず口をついて出た自分の発言に少しばかり罪悪感を抱えている。
「貴女の事を言った訳じゃないのに、そんなに引きずらないでいいじゃない。葉の大きいのとか、貴女がさっき引き抜いてきたんでしょ? だったら残るのはしょぼいものばっかりになるのは当たり前だし」
「でも、……」
「あーはいはい。次からは気を付けるわ」
苦情を受けても、さらりと流すだけ。誠意ある対応とは言えないが、スイレンもまともに反論できない。
周囲を物色し終わったセイも、そのスイレンの態度が気に掛かった。
自分が好き勝手振舞っている自覚はある。でも、予想していた反応はロベリアしか返さない。
こんな自分さえも正体が分からない女の言う事を大人しく聞いて従うなんて思っていなかったところもある。普通であれば疑念が邪魔をして素直に命令を聞こうと思わないだろう。
食料や住処を用意した恩を感じているのだろうと思った。でも、そんなものを感じるのは一過性のものだと思っていた。
なのにスイレンやローレルは、セイに対して強く言わないし反論も滅多にしない。面倒事は無い方が助かる、とは分かっているのだが。
頭の中で何かが告げる。
これは、よくない。
「ねえ、スイレン」
膝を抱えるスイレンは、視線を寄こしてくる。
「なんですか」
「私と貴女達の価値観は違うわ。そこは念頭に入れておいてね、私は自分の価値観っていうものさえどんなものかも曖昧だけど、記憶を失ってさえこうなんだもの。今更何かで私が変わるなんて思ってもない」
「……」
「その上で、分かって欲しいんだけど。私は最年長者だから、一連の行動の責任全ては私が取る。貴女達に耳の痛い忠告も小言も言うけど、私の言葉全てに従う義務はないわ」
「……無い、って。もし私達が、任された仕事の全てを投げ出したりしたら怒るんでしょう」
「怒らない。でも、見捨てる」
なんとか使用できそうな薬草を手で摘み取りながら、セイがはっきりと断言した。
「だからと黙ったまま私の言う事に文句も言わず、不満を抱えたままでいるのも止めて。私がどんな反応してようが関係ない、で良いの。私は、貴女達に正直に物事を言って貰えた方が、貴女達を守れるの」
「……」
「私の今の所の本心としては、貴女達を見捨てたくない。……怪我と病気が治ったら、皆でこの森を出るために」
「森を、出る? ……出て、どこか行く場所があるんですか」
スイレンの言葉はセイの前置きありきで、これまでは素直の殻を被って誤魔化していた本音が漏れ出ていた。
まだ成人してもいない小娘だ。でもその声には年齢に見合わない諦観があった。
「多分、私達は皆一緒ですよ。この国で暮らしていく以上、……この国の人たちの頭の中に『口減らし』っていう選択がある限り。……私達は大人に逆らえないし、次は……私達が捨てる側に回るだけ」
「……」
「嫌だな、って思ってたんです。村の暮らし。私達は村長や族長の決定が絶対で、逆らうような事は口が裂けても言えない。……私は、同じことが繰り返されるなら、生きていても死んでいても」
「はっ」
苦しい胸の内を吐き出すスイレンを、あろうことかセイは鼻で笑った。
幾ら何でも大人の態度ではないが、セイは他人を理解しようという仕草が一切無い。
「今ここにいないクズの話なんて聞きたくないわ。弱い者を切り捨てるだけしか出来ない年喰った無能じゃない。貴女、そんなクズを思い出してどうするの? 顔の皺の数でも数えるの?」
「そ、んな、こと」
「出て行ってもどっか受け入れてくれる場所を探せばいいじゃない。見つからなかったら死ぬだけよ。でも、死ぬにしても死に場所は選べるわ。こんな曰くつきの森で、死んでも誰にも見つけて貰えないまま風化するなんて冗談じゃないと思わない?」
「受け入れてくれる場所なんて、そんな事言われても。私達みたいな子供を、どこが、どうやって」
「私の故郷よ」
その瞬間、表情をあまり変えない冷めた表情ばかりのセイが、頬を染めて微笑む。
手にしていた薬草も無視して、天に顔を向けて腕を広げる。芝居がかった様子は不気味で、スイレンも一瞬息を呑んだ。
「そうよ、皆私の故郷に来ればいい。あの土地は愚か者には厳しいけれど、子供だったら少しくらい寛容になるはず。だって、私の故郷なんだもの!!」
「え……せ、セイさん?」
「月さえも喜んで光を届けるような地なのよ! 『母』の恵みを受けて日々を過ごす中で、接するのは賢い同胞のみ! 煩わしい低能と関わる事が無いし、暮らしに必要なすべては揃ってる。信頼できる仲間と共に、自分の仕事をこなせてさえいれば安寧の生活が手に入るの!! ……それって最高じゃない?」
セイには記憶が無い。――その筈だ。
しかし断片的に思い出した記憶を話す時、饒舌になる事があった。
今はその時で、興奮気味におのれの故郷を賛美しては陶酔した瞳で捲し立てている。
不可思議な『セイ』という人物像が、スイレンの中でまたもや不安定になる。こんなに情熱的に物事を語るセイは、本当に。
「……思い出したんですか?」
記憶が蘇ったのなら、もう少し自分の事を話してくれていいだろうに。
『セイ』という仮の呼び名しか分からない状態で、疑念ばかり膨らませ続けるのはよくないと本人も分かっているだろうに。
僅かな生活の知恵程度で命を繋ぐのではなく、もっと画期的な方法でこの事態を打破できないのか。
複雑な感情が綯い交ぜになるスイレンに顔を向けたセイは、困ったように笑う。
「それがねえ」
それは、普段の冷たい表情よりももっと幼く見える笑顔だった。
「やっぱり、思い出せないの」
悪びれるでもなく、ただ、当然の事を。
その言葉を聞いたスイレンは、今日何度目かも分からない脱力を繰り返す。
「思い出せないのにそんなに熱弁したんですか」
「思い出せないけど、思い出せることはある。私は故郷の話をずっと、苦手だった老人達から聞かされていたの。……梅干し漬けるよう言って来た声と同じ奴等ね、それを思い出した」
「ウメボシ……」
「いわば故郷の保存食ね。……あの頃は同じ毎日の繰り返し、同じ勉強の繰り返し、同じ、……。それでも私は故郷が好きよ。忘れてしまった今も。どんな景色かは思い出せなくても、それでも。魂が帰る場所なんだから」
「たま、しい?」
「生き物が死んだ後の、心の行き着く先の話よ」
セイは胸元に手を当て、感慨深く呟いた。
記憶を無理やり思い出そうとすると、思考に靄が掛かるし頭痛もする。既に思い出した事すら、それ以上を呼び覚まさないようにするかのように不調が襲うのだ。
そんなものに心まで負けたくない。しっかり思い出さねば気持ちが悪い。
「死んだらお墓を作って、それで終わりじゃないんですか」
「そうね、人に依るわよねその辺り。でもそういう所にも教えがあるのよ、私の故郷には。これはすごい事だと思うわ、口減らしに捨てる国もあれば故人に対して敬意を払う国もある。雲泥の差ね」
「……」
幾ら自分が捨てられた側だとはいえ、自分の故郷である国自体を扱き下ろされればスイレンでも不快な感情は浮かぶ。でもスイレンはこの文句自体を口に出さない。まだ完全に信じ切った訳ではない。
この女が、この先自分達を見限って離れていく可能性が無いとは、言えない。
「そんなに褒め称える故郷なのに、死んでも許したくない人がいるんですね」
「……ああ。……そんな事、ローレルも言ってたわね」
今言える精一杯の皮肉。言った後で、思った以上に食いついてきたセイの様子に冷や汗を浮かべるスイレン。
「そうよね、故郷の国民は皆賢明だったはずだけれど……。一体どんな奴かしら、私にそこまで言わせるのって? そんな不届き者がいたなんて思いたくないけど」
「……さあ。現にセイさんはこの国にいるんですし、もしかしたら他国の人かも」
「他国? ……確かに、そう考えるのが自然だわ。……私に恨みを抱かせた、不届き者……。どんな女だったのかしら」
「え?」
「え?」
ここまで来たらスイレンも半笑いだ。分かって言っているのではないか、と思う程の発言。
今の今まで、恨む相手が『女』であると、誰も言っていないのに。
「……女? 私、女って言ったわね」
「そうですね、聞きました」
「なんで性別が限定される訳?」
「……さあ」
聞かれても、スイレンはセイの過去など知らないし、そこまで興味を惹かれてもいない。
この不審な女の語る『故郷』とやらには少しだけ思うところはあったが、実際問題としては森から脱出することもまだ出来ないのだ。
考え込むセイは暫く動けそうにないので、彼女の落とした薬草を拾いに側に向かう。拾ってみれば確かに収穫されたそれらは貧相で、『しょぼっ』と失言した気持ちも分かるのだが。
「……女。……おんな……そういえば、何か……思い出してた気もするわね? 粗暴な口調の女の声……。もしかして、アレが……?」
「もう用が済んだなら戻りませんか? 薬草に限らず、野に生えているものは乱獲したら姿を消します」
「……うーん、少し待って。なんか、こう……この辺りで、忘れたものがぐるぐるしてる気がするのよ……ほらこの辺」
「この辺、って言われても」
セイが頭頂部から少し横に逸れた辺りを指さして、指先でぐるぐる渦を描いている。
もう少ししたら思い出せそうだから、と繰り返すセイだったが、早く戻りたいというスイレンの言葉に従うしかなくなった。
セイの記憶が戻るのを待てば、先に冬が来てしまいそうだったから。