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「……なんなの、この空気?」


 セイが住処に戻って来た時、洞窟内の重苦しい空気に眉を顰めた。

 中で直に火を燃やしている状態、換気が上手くいっていないのかと疑ったが、どうやらそうではないらしい。


「……何この臭い。熊とかとは違う獣の匂いがする」


 そこまで強い臭いではないだろうが、彼女の嗅覚では敏感に感じ取ってしまうのだろう。すん、と鼻を鳴らしたセイに向かって、ロベリアが苦虫を嚙み潰したような顔を見せる。

 これまでも似たような顔をしてくる事はあったので、何も言わないならそれ以上気にしないつもりだったのだが。


「……背中に羽の生えた、気持ち悪い男が入って来たんだよ」

「気持ち悪い男? 羽ってどういう事」

「知らねえよ!! ……なんでお前、こういう時に限って居ねえんだよ。俺達がそいつに殺されてたらどうすんだよ! ま、守るって言ってた癖に!!」

「ふうん?」


 ロベリアの八つ当たりはまともに取り合わず、セイも件の男がしていたように洞窟内を見渡す。

 荒らされた形跡もなく、子供達にも怪我はない。怯えているだけのようだ。

 特にカルミアに被害が一切無かったのは良かった。セイの帰還にも笑顔を浮かべ、いつもと変化のない様子を見せている。


「なんだか大きな羽音が聞こえた気がしたけれど、そいつが来てたって話なのね。何か言ってた?」

「おい無視するな!!」

「は、はい。なんでも……」


 憤慨するロベリアを余所に、セイはスイレンに話を振っ。


「『小女王』を探している、とか」

「……小女王……? 『少女』『王』?それとも『小』『女王』?」

「さあ」


 その単語に、セイは少し目を瞬かせ。


「なんだろ。どうしてかそれ、すっごいイラってする単語だわ」

「その探してる人、黒髪に紫の瞳の人らしいです。……そして、ものすごく強いんだと」

「……、そう」


 次はローレルが探し人の特徴を告げるために口を開いた。セイも一度は視線を向けるが、何か気まずいものを見たかのようにふいと視線を逸らしてしまう。

 こういう反応をするのは珍しいので、ローレルも違和感を感じた。しかし、それも一瞬だけ。


「……悪かったわ。私も、少し自分の作業に……集中、してたから。……羽音がした時点で、戻れば良かった……」

「本当だよ!」

「でも、あの人の羽は本物なんですか? そんな人、いるって噂は聞いていたけど……本当にいるなんて思わなかったです」

「ああ、そうね」


 スイレンの疑問にも、セイは事も無げに答える。しかし。


「この近辺じゃ見ないけど、確かにいたわよ。……いた、はず」


 特に深く考えずに口から出た言葉を、自分で驚いて再び確かめるように不確定の形で繰り返す。出所の分からない経験が口を突いて、主を無視し勝手に動き回るような感覚。

 戸惑いを隠せないセイを無視してロベリアも気にせず自分の不満をぶつけた。


「ったく、何してたんだよこんな時間まで!!」

「それは、……」


 ロベリアの怒声に、またも言葉を詰まらせるセイ。敢えて無視するように話を戻した。


「それで、他に何か言ってた? その男や探し人の名前は?」

「言って貰えませんでした。何か大きな理由があって、話せないみたいで」

「話せない……?」

「あと、これも」


 スイレンが出して来たのは、紋章入りの革袋だ。中を検めると、出て来るのは医薬品と一人分の穀物。

 中身はありがたく使わせて貰うとして、セイは紋章に目を留めた。


「……私の服の紋章と違うわね」


 セイの服には、一目見てそれと理解できる紋章があった。

 それがどんな組織を表しているのかは誰も分からなかったが、セイの幾何学模様の紋章とは違い、男の革袋は杯を模している。

 自分のものと違う、と理解しているのに、セイは暫くその紋章から目を離せなかった。

 覚えが無いのに、どこか懐かしい。


「コレ、確実にロベリアの状態見て渡して来たわよね。ほらロベリア、おいで」

「な!?」

「その破った服で作った包帯の洗い替えが出来たのよ。とっとと替えてそっち洗わせなさい」


 酒杯の紋章から視線を逸らさないまま、側にロベリアを呼びつけるセイ。逆らうのも時間の無駄なので、言いたいことがありそうな顔をしていても黙って素直にセイの側に行く。

 危険物が仕込まれている気配はない。膏薬には念の為に毒を疑い指を突っ込んでみたが、肌の異常は特に感じなかった。

 包帯交換が終わったロベリアは礼も言わない。ただ一度鼻を鳴らしただけで終わる。


「その男、また来るとか言ってなかった?」

「そういう話は、全然……。ロベリアが追い払ったみたいになってしまって、すぐ帰ってしまいました」

「俺のせいかよ!」

「ふーん」


 間に合わせの材料で行った手当よりも、ちゃんとした包帯を巻いたロベリアの姿は何倍もマシだった。心なしか、いつもより苛立ちを向ける声が更に元気だ。

 セイはセイで、今度は一人分の穀物に視線を向けた。途端に機嫌がよくなる。


「……なんですか、それ?」


 ローレルがその正体を聞いた。穀物である、というのはなんとなく分かるが、ローレル達はそれを誰も見たことがないのだ。

 白く艶めく小粒の種。子供達にはそれを植えて芽が出るのかも分からなかったが。


「これは……お米ね! ここらで食べられるのは麦だっけ? 塩があれば粥に出来るんだけど……って、塩も一緒に入ってる。なにこの準備の良さ」

「おこめ……?」

「キノコと一緒に炊いちゃいましょ、後から返せなんて言わないでしょその男も。竹でいけたわね確か」


 気分良く準備をしだすセイの背中を追いつつ、子供達が集合する。

 自分のこれまでに首を傾げつつも、彼女を追って来たと思わしき相手を深く気にすることも無い。紋章に何か感じ入っていたのに、中身の方に彼女なりの価値を感じるやもう見向きもしていない。

 収支ご機嫌なカルミアはセイの後ろを付いて歩いた。「危ないわよ」なんて言いながらも、セイはカルミアの事を邪険にしたりはしない。

 二人は揃って外に出た。この洞窟内にある篠竹では米は炊けないので、また新しい竹でも調達しに行ったのだろう。


「……どう思う」

「『小』『女王』だったらセイさんで間違いないわよね」

「聞いてんのはそこじゃねえよ?」

「セイさん……女王様……なの? でも、この国を治める事になった国に女王様っているの? そもそも、女王様がいなくなったのに、探しに来た人があんなに冷静な訳あるかな?」

「だったら、あいつを殺しに来たって奴なんだろ。今日来たのは」

「……」


 同じ国に所属しながら、違う紋章を掲げてるなど有り得ないと子供でも知っている。

 セイがこの場所にいると知られなくて良かった、と改めて子供達は胸を撫で下ろす。普段反抗してばかりのロベリアもだ。

 どちらの方が強いか、なんて分からない。でも、もし戦闘になっていたら――と、考えると、どうしてもカルミアが一番被害を受けるのだろう。


 親も家族もいない子供が、心身問わず傷を受ける。

 セイだってそれは望まない筈だ。でも、望んでもない不幸は外からやってくる。


 男の来訪にだって、セイは気付いていたかもしれない。

 でももしそれで駆けつけて、二人が争う事態になっていたら。


「……気に食わねえな」


 守られすぎている状況に、言い得ぬ苛立ちを抱いたロベリア。その苛立ちも言語化すれば、自分が無力な存在だと見下されているような劣等感……だけではない。

 これまで関わって来た大人達と違うのに守り抜こうとしてくれる、その存在を信じたくても信じられない自分の心が障っているのだ。


「もし、さっきの人がまた来た時……セイさんと会わせるべきなのか、そうじゃないのか……どっちだろう」

「そんなのっ!」


 ローレルが呟いた言葉には、ロベリアが噛み付くような勢いで声を発する。しかしその勢いは最初だけ。


「……分かるわけ、ねえだろ……」


 ロベリアの中でも、セイは恩人なのだ。

 答えが出ないものを考えても仕方ない。三人はそれきり、それぞれ言葉の無いまま自分の仕事に戻って行く。

 外では、新たにセイが竹を生やしたのか地鳴りが起き、それを見てカルミアが喜ぶ声が洞窟内にも届いていた。




 ……その日の夕飯には、乾燥茸と共に炊いた粥と肉が出た。全部を食べ終えて、使用した食器を片付けたり水を汲むのもセイの仕事。川まで持っていって汚れを洗い流すのだが、今回は何故かローレルが一緒だった。

 灯りも殆ど無い森の中。なのに、肉を焼く時に出て来る獣脂で作った室内用蝋燭を持ち出してまで付いて来た。用を足すときにも持ち出せるよう、竹を改良した筒に入れている。


「……来なくていいわよ、ローレル」

「たまにはお手伝いします。それでなくとも、今は水が冷たいでしょう?」


 少しでも、自分達に出来る事を――と思ってくれるのは確かにありがたい、のだが。

 既に季節は冬なのである。いつ雪が降りだすかも分からない時期、まともな薬も無い状態で病気になられることを恐れているセイにしては素直に喜べないのである。

 一番近くの川でも、歩いて五分ほどかかる。先に水を汲んで横に置いて、次に食器を川に浸ける。流れは緩やかな上に水質も綺麗で、こうして生活するには申し分ない環境なのだが。


「セイさん、こっちにも食器くださ……冷たっ!?」


 川に指を浸したローレルが、あまりの温度に手を引っ込めた。

 そう遠くない日に氷が張るであろう川の流れだが、セイは構わず食器を洗い始める。その口端に笑みを浮かべて。


「そんな弱音を吐くんなら、寝床で温まってた方が良かったじゃない?」

「……うぅ……、だって、セイさんが……いつもしてくれるから、こんなに水が冷たいなんて思わなくて……」

「他の人が平気だからって自分も同じようにやれるなんて思わない事ね。逆も言えるのよ、何事も自分の出来る範囲を間違えない事」

「……」

「大丈夫よ、ローレル。私は貴女達四人がよくやってるのを見てるわ。……ま、私がそんなこと言ったらどっかの誰かさんが上から目線とか言って怒る顔も予想できるんだけど」


 油汚れを落とす手段が少ない口減らしの森では、その分時間を掛けて食器を洗い流す必要がある。

 ローレルが一秒で諦めた食器洗いを次々進めていくセイの横顔を、じっと見る瞳。


「……今日のセイさん、私と目を……合わせてくれなくて」

「――……」

「正確には、帰って来てから。……私、そんなに……力になれませんか」


 ローレルが一番気にしていた事。

 あの男が来たと話してから、どうも様子がおかしいセイのこと。

 完全に信頼している筈じゃないのに、どこか突き放された気がして怖くなる。他の三人にはいつも通りの様子なのに。

 自分が何かしたのか。

 或いは何も出来ていないのか。

 聞く事自体怖かったけれど、セイはきっと、こんな質問に暴力を返したりしないだろう、という希望があった。


「……そうじゃないの」


 そしてセイは期待通りに、言葉で返してくれた。


「もしかして、私に付いて来ようって思ったのはそれが原因なの?」

「……」

「参ったわね……。……何て言えば、いいのか、……私も分からないの」


 そしてセイは、最後の一枚の皿を洗い終わった。

 水の滴る指が、居心地の悪そうに頬を掻く。


「……ねえ、ローレル。……前置きとして……私はこの短時間で何も思い出してない事を先に言っておくわ」

「はい」

「……もし、よ。……自分だけ、重大な話を知ってしまって、それを……伝える事で、大変な事になるってのが容易に想像がつく状態で。皆が知っていた方がいいんだけど、いつか……それは皆に知られてしまう。……近いうちに知られる日が来るのなら、私はまだ黙っていても良いんじゃないかって……そう、考えてしまう私は……弱いのかしらね」

「え?」


 ローレルにしては思ってもいなかった呟きだった。

 普段は最年長としてあらゆる面倒事を引き受けるセイが口にする弱音は、この人物に今まで抱いていた考えを朧気にするようなもの。

 呆気に取られ、返答すら考える猶予も与えないままセイは食器を抱えて立ち上がる。取りにくそうにしていた水入れはローレルが手に取った。


「……余計な話をしたわ。忘れて頂戴」

「でも」

「いい? ……それから、私がこんな話していたのも、誰にも秘密」


 蝋燭のか細い灯りに照らされたセイの微笑は、それまで見て来たどんな顔よりも儚くて。

 セイが歩き出す背中に付いて行くのさえ暫くできず、五歩ほど離れて洞窟に帰る。


 忘れて、と言われても、セイが打ち明けてくれた話は忘れる事は無かった。

 それが一体何を指しているのかは、少し考えたくらいでは分からなかったけど。


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