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未来への遺産  作者: 暁海
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こんにちは、お母さん

不妊治療をテーマにした話です。

この話は現代視点、もう一本は未来視点となります。

こんにちは、お母さん


 三月も末に差し掛かり、日に日に春らしさが増している。桜の開花の報せが毎日のようにニュースで流れ、陽射しは優しい温もりをもたらす。けれども、私の心はそれを素直に受け取ることは出来ない。

(ソメイヨシノは実を結ばないのに、綺麗な花が咲く)

品種改良を繰り返して作られたソメイヨシノは、全て接ぎ木で増えている。全国どこにでもある桜だけれども、その遺伝子は全て同じ。子孫を残すことなく、ただ人々の目を楽しませている。

そのソメイヨシノが植えられた小さな公園に、私は二人の子を連れて遊びに来ていた。まるで忘れ去れたように住宅街の中にぽつんとあるこの公園は、申し訳程度にブランコと鉄棒だけが置かれた小さな公園である。近くに大きな児童公園があるせいか、ここはいつも人が少ない。それは、いまの私にはありがたかった。

ベビーカーに乗せた下の子は眠っていて、三歳になる上の子は小さな足で走り回っている。この公園のいいところは、真ん中にあるベンチに座っていれば、少々お転婆な娘がどれだけ走り回っても、目が行き届くことだろう。

私は、心ここにあらず、という言葉が相応しい様で、二人の子どもたちを交互に視界に収めながら、先日届いた書面のことを考えていた。

(凍結胚の延長か、破棄か……)

不妊治療のクリニックから送られてきた書面には、凍結中の胚盤胞の延長保管に関するお知らせが書かれていたが、同時に「廃棄」の文字も書かれている。

結婚が遅かった私は、幸運にも不妊治療の結果、二人の子を授かることが出来た。その過程で凍結胚を得たのだが、年齢的には奇跡に近い九個もの良好胚を得た。そして、ありがたいことに、いずれも最初の移植で子を授かることが出来た。つまり、まだ七個の凍結胚が残っているである。

けれども、経済的にも年齢的にも、我が家には三人以上の子を望むことは難しい。結婚した時点で高齢出産の年齢に差し掛かっていた私も、同い年の夫も働いているが、二人の子を育て上げるだけで精一杯だ。それに、年齢的な問題もある。無事に産めるかどうかも分からない。

考えるまでもなく、凍結の延長は難しい。それでも、二人の子を得て母になった私には、どうしても合理的に決断を下すことが出来ないでいた。「凍結胚」という単語で呼ばれているそれは、「生命の種」であり、既にそれは新しい生命なのだ。生命の種が芽吹き、この世に生まれてきてくれた子どもたちもまた、元々は凍結胚の一つだった。

そう考えると、液体窒素の中で氷漬けになっている胚盤胞もまた、「私の子」としか思えない。せっかくこの世界に芽生えた生命を、自分の手で終わらせる。そんな決断をすることが、非情としか思えないのだ。

もちろん、ずっと凍結を延長したところで、私の子宮に戻ることがない以上、「生命」として誕生することはなく、私の寿命と共にその延長も出来なくなる。後か、先かの違いではない。それでも、その決断をすることはあまりに重い。

(九個も良好な胚盤胞になったのは嬉しかったけれども……)

治療中は、それが信じられないほどの幸運と思えた。年齢的にもかなり厳しい戦いになると分かっていたのに、九つの生命が私の……私たちのところへやってきてくれたのだと。そして、いずれも一度でお腹に宿ってくれ、生まれてきてくれた。

(こうなると、良かったかどうかは分からないわね)

良好な胚であっても、育つかどうかは分からない。九個あっても、いくつ育つかは賭けだったのに、二回の移植で二回とも着床し、出産に至った。それは、幸運だとは思うが、その幸運が返って悩みの種となるとは思いもしなかった。

「暁美ちゃん、公園から出ては駄目よ」

公園の出口へと向かっていた娘を呼び止めれば、とてとてと駆け寄ってくる。この間歩いたばかりだと思っていたら、いまでは走り回っている。子どもの成長とは早いものだと思いながら、相変わらずベビーカーの中で眠っている息子を見る。この息子も、あと一年したら立ち上がり、更に一年したら走るようになるのだろう。

あの日、同じように受精し、胚盤胞まで育った子たち。その中から二人だけが選ばれた。この子たちが大きくなった時には治療のことも、一緒に誕生した「きょうだい」のことも包み隠さず話すつもりだ。これから下さねばならぬ結論についても。

暗澹たる気持ちのまま、近づいてくる娘を真っ直ぐ見つめた時だった。電話が鳴った。

(こんな時間に誰かな?)

時刻は午後二時過ぎ。今日は平日だから夫は仕事だし、現在育休中の私の元にかかってくる電話の心当たりはない。

訝しく思いながらもポケットからスマートフォンを取り出せば、見知らぬ番号が表示されている。

(381から始まる番号なんてあったかしら?)

固定電話も携帯も、0から始まるはずだ。

普段ならば知らない番号の電話を取ることはないが、うっかり受信のボタンを押してしまった。考え事をしていたせいだろうか。

「もしもし」

電話の向こうから聞こえてきたのは女性の声だった。張りのある声質からして、おそらくは若い女性だ。聞き覚えは全くない声だが。

「ああ、良かった。つながった。アキコ・ヤマベさんのお電話ですか?」

「え?ええ……私は、山辺 暁子ですが」

言ってから、しまった、と思った。こうして名前を呼ぶのは、詐欺電話の手口ではないか。

「私は、ミサト・ダイチです」

全く聞き覚えのない名前だ。イントネーションなどにおかしいところはないから、海外からの電話のようには思えないが、不信感しかない。

「はじめまして、お母さん」

「はい?」

思わず見つめるのは、私の足元にしゃがみ込んで咲き始めたタンポポを観察している娘。喋ることは出来るが、幼児特有の少し舌っ足らずの声だ。電話の声とは随分と様子が違う。

「信じられないのも無理ないと思いますが、私はあなたの娘です。遺伝子の実の娘にあたります」

「心当たりはありませんけれど……」

現に、血のつながった実の娘は、いま足元にいる。

「そうですね。私は、五百年後の今日生まれる予定ですから」

「あの……悪戯なら切りますよ」

荒唐無稽過ぎて笑いも出て来ない。詐欺電話にしては、何がしたいのかよく分からない。

「いきなりそんなことを言われて信じる方がどうかしていますよね。でも、本当に私はあなたの娘です。……あなたが、いま凍結している胚盤胞の一つから生まれました」

「え?」

「私は西暦2525年に生まれました。過去形なのは、電話している私がいるのが西暦2050年だからです」

何を言われているのか分からず、言葉が出て来ない。さりとて、電話を切ることも出来なかった。電話の向こうから聞こえてくる声は、どこか心安い。

「三百五十年ぶりに地球上で生まれた子どもの一人なんですよ」

「三百五十年ぶり?」

訳が分からないが、話に引き込まれていく。これが詐欺電話だとしても、未来からの電話という設定は面白い。それにしても、どうして私が不妊治療をしていたこと、胚盤胞を凍結していることまで知っているのだろうか。クリニックの関係者がわざわざこんな電話をするメリットはないだろうし、詐欺グループにしたって知っていてもどうでもいい情報だろう。

「そうです。いまから約百五十年後、地球は度重なる汚染や環境変動によって人類が住めなくなり、生き残った人々は、月とラグランジュポイントにあるコロニーに移住することになります。その時に、研究機関で保存されていた凍結胚も一緒に宇宙に行くの」

一気にSFアニメのような展開になってきて、私は若干興奮してしまった。SFは、映画も小説もアニメも漫画も大好きだ。

「なんだか、近未来ロボットアニメみたいね」

つい笑い含みに言えば、電話口から笑い声が返された。

「確かに、お母さんの時代からすれば、そうなりますね。でも、これは私にとっては歴史なの」

「それにしても、どうして凍結胚も一緒に宇宙に上がることになるの?」

こうなれば、とことん楽しもうと思った。少しだけでも、迫られた決断を忘れることが出来るのなら、と。

「いつか地球に帰る日のため。……月やコロニーでも人は生きているけれども、そこで生まれ育った者が地球上で生活が出来るかの保証は出来ない。実際、宇宙に適応した人類は、生身で地球に降り立つことは出来なくなってしまった」

「重力のせい?」

月は地球上の六分の一の重力しかない。コロニーの重力がどのようなものかは分からないが、地球と同じようにとはいかない可能性が高い。

「あら、お母さんはSF好きなのね。その通りよ。低重力下で育った人類の身体は、地球の重力には耐えられないの。宇宙に移住してから生まれた世代ではそれが顕著で、地球は研究者が耐重力装備をして行く場所になったわ」

「でも、あなたは地球で生まれたのでしょう?」

設定が破綻してきているわ、とは言わなかった。何となく電話の向こうの彼女の話の続きを聞きたくなった。

「そうよ。地球帰還プロジェクトで生まれた最初の世代なの」

「地球帰還プロジェクト?」

「西暦2400年の後半から、地球環境が回復してきたの。月もコロニーも人で溢れているし、地球への帰還が計画されるようになった。……でも、宇宙に移住した人類は、限られた資源の中での生活に適応して、身体が小さくなっていった。西暦2500年代の平均身長は130センチ前後。それに比例して出生体重も2000グラムくらいになったの。だから、そのままでは、人類が地球で生活していた頃の凍結胚を子宮に移植しても、生まれてくることは難しい」

母胎の大きさに対して胎児が大きすぎると、正常に生まれてくることは難しい。母胎への負担も大きく、危ない。

「私を産んでくれたママは、地球帰還プロジェクトの先遣として西暦2210年代の凍結胚から生まれたのよ。当時の平均身長は145センチ程度だったから、出生体重も2500グラムくらい。平均身長130センチでもどうにか負担なく産める、と判断されてね。……そして、そうやって生まれたママたち先遣隊のお腹に、私たち西暦2000年代の凍結胚が移植されたのよ」

「それは壮大な話だけれども……どうして、私たち夫婦の凍結胚が五百年も保管されていたの?」

ついつい話に引き込まれてしまう。正確には、その話の中にある希望に。

「お母さんは、いま凍結胚の延長可否について悩んでいるでしょう?」

「え……」

どうしてそんなことを知っているのだろう。

「安心して。私や……私のきょうだい達は、廃棄後に研究機関に送られて、『凍結胚の半永久的保存』の名目でずっと冷凍保存されるの。そして、人類が地球を離れる時も、一緒に宇宙に行くのよ」

「……」

頭がついていかない。夢のような話なのは認めるが、とても現実とは思えない。もしかしたら、私は凍結胚という生命の種の処遇について悩み過ぎて、昼間から夢でも見ているのだろうか。

「それにね、すごい偶然もあるのよ。……私のママはね、遺伝子上はアケミお姉ちゃんの曾孫にあたるの。そのせいで私の凍結胚が、地球帰還プロジェクトで戻される胚に選ばれた……というのもあるのよ」

何も言えずにいると、電話の向こうから泣き声が聞こえてきた。それはどこか聞き覚えのある泣き声だった。

(暁美ちゃんの泣き声に似ている……)

息子は静かに泣く子だったが、娘はものすごく大きな声で泣く子だった。その泣き声によく似ていた。

「ああ、泣いちゃったね。ちょっと待ってね、あと少しだけお話してからね」

優しそうな声は、母親の声だった。

「ふふ、聞こえた、お母さん。あなたの孫の声よ。私、プロジェクトの一環として誕生したけれども、ママとパパの娘として生まれて、家族としていられてとても幸せだったわ。遺伝子上の親のことを気にしたこともないくらいにね。……でも、自分自身が親になった時、私は私という存在の『種』を生んでくれた人のことを知りたくなったの。それで、あなたのことを調べて、こうして電話をしたのよ」

「本当に、未来からの電話なの?」

信じられないけれど、電話の向こうの声はふざけているとは思えなかった。もっとも、詐欺電話だったとしてもそうだろうが、いまのところ契約や金銭を要求してきてはいない。

「そうよ。タイムマシンは発明されなかったけど、一時的に声だけを電話として送る技術は西暦2512年に開発されたの。残念ながら、まだ試験段階だけれども、私の夫がその研究に携わっていたから、ちょっとだけ使わせてもらったのよ」

「本当にタイムマシンが発明されたとしても、実際に会うことは出来ないと思うけれども……」

思わず言葉を挟めば、電話口から笑い声がこぼれた。

「あら、お母さんは本当にSFが好きなのね」

「少し考えれば分かることでしょう。五百年も未来なら、いまは当たり前のように存在している病原菌がいない可能性もある。逆に、その時代ではありふれた病原菌も、現在では未知のウィルスの可能性もある」

だから、タイムマシンの実物が完成しても、過去や未来に自在に行くことは難しい。

「その通りよ。でも、2550年時点でも時間を越えられるのは『音』だけなの。もう少ししたら、次は『光』……つまり、映像も可能になるかも知れないけれどもね。『音』を双方で通じ合わせるだけでも大変なの。色々制約があるものだから、今日、この時間にしか電話が出来なくて。本当は、お父さんの声も聞きたかったわ」

「どうして、今日、この時間だったの?」

「今日のこの時間に、お母さんがここにいることが分かっていたからよ」

「え?」

私は、五百年後の未来に一挙手一投足が伝わるほど有名人ではない。どこにでもいる平凡な一般人の行動が、どうして分かるのだろうか。

「ねえ、おかーさん、だれとおはなし、ちてるの?」

タンポポの観察に飽きた幼い娘が、じっと電話する私を見上げてきている。

どうしてそんなことをしたのかは分からないが、気づいた時には、私は電話をスピーカーモードに変えて娘を抱っこしていた。

「暁美ちゃんの妹よ」

真実を確認する術はない。それならば、電話の向こうの相手の言葉が嘘とも言いきれない訳だ。それに、真相はどうであれ、聞こえてくる声には親しみを覚えていた。

「はじめまして、アケミお姉ちゃん」

「うん、あーちゃんはね、おねーちゃんだよ!」

言っている言葉の意味はよく分かっていないだろうが、下の息子が生まれたことによって姉になったことはしっかりと認識している子だ。

「そうだね。お兄ちゃんのお姉ちゃんだね」

「たーくんは、おにーちゃんじゃないよ?」

「うん、そうだね。……お姉ちゃんとお話できて、嬉しいよ」

五百年後の未来に生まれるなら、生きている内に会うことは叶わない。

「お姉ちゃん、この日のことを忘れないでね。お姉ちゃんが将来残してくれる文章が、私たちをここにつないでくれるから」

「わかった!」

満面の笑みと共に元気のいい返事をした娘だが、電話への興味はすぐに失われたらしい。昼寝から目覚めた弟に注意が奪われた。

「ああ、ごめんさない、お母さん。もっと話をしていたけれど、もう時間みたい。子どもも泣いちゃっているしね」

電話の後ろでは、少し声を落としたとはいえ、まだまだ赤ん坊のぐずる声が聞こえてくる。

「一つだけ言わせて、お母さん。……どうか自分の選択を責めないで。お母さんが、氷漬けの私たちきょうだいを『生命』としてとらえていることは分かる。凍結を終わらせることの意味も。でもね、お母さんたちが子どもを望み、その選択をしたからこそ、私は五百年の時を経て生まれることが出来た。そして、新しい生命も生まれた。だから、お願い。遠い未来のための選択なのだととらえて」

懇願するようなその声。もしかして、と横で弟をあやしている幼い娘に目がいく。この電話の声の主は、本当に未来の娘なのかも知れない、と。

(それなら、それでいいかもね)

この電話が、たとえ悪戯電話でも、未来の娘たちのどちらからの電話であっても、私の気持ちの持ちようは確かに変わろうとしているのだから。

「ええ、ありがとう」

「ありがとう、は私の言葉よ。お母さんとお父さんがいたから……お姉ちゃんがいたから、いまの私は生まれたの。私は、生まれてきたことが本当に嬉しい。あのね、私の名前、漢字で書くと、地上を表わす『大地』が名字で、美しい暁と書いて『美暁』が名前なの。ママが、お母さんがお姉ちゃんに贈った名前から取ったのよ」

電話の向こうの声に涙が混じった。

「暁」には「明け方」という意味の他に、「希望」や「知恵」という意味がある。それを知って、私は娘にその字を使った名前にすることを選んだ。長い不妊治療の末に授かった第一子は、まさしく私たち夫婦にとって「希望」だったから。読み方を「アケミ」にしようか「サトミ」にしようか迷って、「明るい」の意味もかけて暁美にした……。

「ありがとう、お母さん」

優しいその声と共に、電話は切れた。無機質な機会音だけが鳴るスマートフォンを手に取り、通話を終了する。

「美暁……ちゃん……」

どう足掻いてもこの腕に抱くことは叶わぬ娘の名を呼び、私は無意識の内にスマートフォンの履歴を見る。

(履歴が……ない……)

かけ直せばつながるかも知れない、という希望は幻に消えたようだ。

ふと気づけば、春に近い陽が暮れかけていた。途端に、足元から冷気を感じる。もう春の色が濃いとはいえ、まだまだ朝晩は冷える。

「暁美ちゃん、帰ろうか」

私は片手で娘の手をつなぎ、もう片方の手で相変わらず眠ったままの息子のベビーカーを押す。

帰ったら、クリニックからの書面に、しなければいけない選択の返事をしよう。「廃棄」の二文字は使わない。

今日かかってきた電話が、本当に未来からの電話なのか、それとも何らかの意図があって誰かがかけてきたものなのかは確かめようがない。けれども、あの電話は、私の気持ちを救ってくれた。「我が子」となる可能性がある生命の種をどうするかという、生命の選択を迫られた私を。

結論は出ていても、心情的に決心出来なかった。だが、いまならその結論にサインすることが出来る。私の選択が、未来に我が子を送り出す希望になる可能性を知れたから。これから私がする選択は、終わりではなく始まり。私たちの子は、時を越えて生まれてくるために眠り続けるのだ。そして、希望と言う名の未来への遺産となる。

茜色に染まった道を子どもたち共に歩きながら、私は「七つの子」を歌っていた。会いに行くことは叶わぬ可愛い我が子のことを思いながら……。


未来の娘視点の話を別途アップ予定です。

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