第94話 『黒熊狼』
天命の頂が燃えている。
燃え盛る炎から立ち上る黒煙と、そこかしこに立ちこめる白煙で視界がひどく悪くなっていた。
さらにはどこからか侵入した獣の群れが襲いかかって来る中、一族の者たちの悲鳴が響き渡っていた。
「落ち着け! その場に留まり獣どもを迎え撃て! 自ら打って出るな! 同士討ちになるぞ!」
そう叫びながらユーフェミアは自らも剣を抜く。
先ほど投げ込まれた煙幕弾と火炎弾。
そしてそのタイミングで襲いかかってきた獣の群れ。
これは明らかに襲撃だ。
おかげで仲間たちは浮足立ち、十分な反撃態勢に入れずにいた。
(くそっ! こんなタイミングで……)
ユーフェミアは内心で悪態をつく。
狼のような黒い獣はそんな彼女の喉笛を狙って飛びかかって来た。
「ハアッ!」
ユーフェミアは一刀のもとに狼を斬り捨てた。
仲間たちも各自、すぐ近くにいる同胞と協力して自衛の体勢に入っている。
だが、色濃く漂う煙に視界を遮られ、煙を吸い込まぬように呼吸を制限しているせいか皆、思うようには動けずにいる。
目の前で倒れて首から血を流しながら痙攣する狼を見て、ユーフェミアは眉を潜めた。
この辺りでは見慣れない種類の狼だったが、以前に南に遠征に行った時に一度だけ見たことがある。
「黒熊狼か? なぜこのような場所に……」
大陸の南で捕獲した群れを、こちらに連れてきたとしか説明はつかない。
だが黒熊狼は野生の獣であり、人を襲うことこそあれ、人にはなつかない。
犬を飼い慣らすのとはワケが違う。
「一体何が……」
ユーフェミアがそう言って口元を布で押さえながら辺りに目を凝らしたその時、白煙を突き破って2つの人影が飛び出して来た。
それはブリジットともう1人……銀髪の女だった。
2人は激しく剣を打ち合い、地面を蹴って猛烈な速度で移動し続けている。
「あれは……分家の女か!」
ユーフェミアがすぐにそれを悟ったのは、ブリジットと争っている女の面影に見覚えがあったからだ。
かつて本家と交流があった頃、分家から派遣されてきたベアトリスによく似ている。
銀色の髪ということは、おそらく娘のバーサだろう。
ユーフェミアは煙を吸い込まぬよう注意しながら声を張り上げた。
「分家の襲撃だ! 全員、警戒を怠るな!」
ユーフェミアの号令に戦士たちは皆、いきり立つ。
二度目の襲撃ともなればもう黙っていられない。
ダニアの女たちは売られた喧嘩は喜んで買うのだから。
だがユーフェミアはすぐに気が付いた。
一族の女たちが戦っているのは数十頭の黒熊狼のみであり、分家の女戦士の姿はバーサ以外には見当たらない。
(まさか……単身で乗り込んできたというのか?)
ブリジットの報告ではバーサはノルドの丘で失態を演じた。
ボルドを奪還されたのみならず、自らは右腕を切り落とされて敗走するという憂き目にあった。
それが相当の屈辱であることはユーフェミアにも想像に難くない。
バーサが怒りに燃えて復讐に走るには十分な理由だったが、兵隊を1人も連れて来ていないということはバーサの独断による玉砕覚悟の特攻の可能性が高い。
(クローディアには復讐の意思がないということか。それにしても……)
ユーフェミアにはこの襲撃の他に懸念があった。
この混乱に乗じてブリジットがボルドを逃がそうとするのではないかということだ。
まさかブリジットがそのような暴挙に出るとは信じたくなかったが、念には念を入れておく必要がある。
ユーフェミアは剣を手に黒熊狼を斬り倒しながら、白煙の中を進んで行った。




