第86話 『そして投票へ』
ユーフェミアは意外な証人の出現に正直、驚いていた。
ブリジットらがボルドを奪還して里に戻ってきた時、捕虜の姿は無かった。
ということは百対一裁判の血判を押してから3日間の間に、あのタビサとかいう女をどこかで捕らえてきたことになる。
(そうか……ベラだな)
この3日間の間に里でベラの姿を見なかったことから、おそらく彼女が何かしらの手段で華隊のタビサを捕らえてきたのだろう。
ブリジットはボルドの無垢を主張することばかりに終始するとユーフェミアは思っていたが、これはおそらく彼女たちにとっては切り札となる証人だ。
だが、ユーフェミアは動じなかった。
そして証言台に立つタビサを見据え、効果的な質問の内容を頭の中ですばやくまとめる。
ここで事細かにタビサらがボルドをどう辱しめたのかを問うことは簡単だが、そんなことをしてこの場でブリジットに恥をかかせるのはユーフェミアにとっても得策ではない。
ブリジットの女王としての権威を失墜させるわけにかいかないのだ。
それゆえユーフェミアはこの裁判を泥仕合にするつもりは毛頭なかった。
出来る限り迅速かつ手際よくボルドの処刑を決める。
「ではタビサ。聞かれたことに素直に答えてくれ。ボルドはどんな男だった?」
思いもよらぬ質問にタビサは虚を突かれてしばし黙り込む。
それは彼女だけでなくブリジットや議長、この場にいる皆が同じ様に呆気に取られていた。
しかしユーフェミアは構わずに続ける。
「覚えているだろう? ボルドのことを」
タビサはユーフェミアの迫力に押されるように頷き、ポツリポツリと話し始める。
「若く……美しい男でした」
「そうか。華隊の他の女たちはボルドを見てどんな反応だった?」
「え? め、珍しい黒髪の男だったので、皆、興奮していた様子でした」
「なるほど。ボルドを見た女たちは皆、色めき立っていたということか」
ユーフェミアの言葉にタビサは戸惑いながら頷く。
場の空気が奇妙に変化したのを感じたようで、ブリジットがたまらずに挙手をしようとするが、ユーフェミアはそのタイミングを見抜いていた。
機先を制して挙手をするとユーフェミアは言う。
「ブリジット。申し訳ありません。まだ質問の途中ですので、しばしお待ちを」
そう言うとユーフェミアは議長を見た。
議長は頷き、ブリジットに目を向ける。
「ブリジット。恐れながらユーフェミアの質問が終わるまでお待ち下さい」
ブリジットは仕方なく挙げかけた手を下ろす。
彼女とてこの裁きの場においては流儀に従わねばならない。
ユーフェミアはブリジットに一礼し、質問を続けた。
「ボルドの肌に手を触れたか?」
「は、はい……」
「それはおまえだけか?」
「いえ、5人とも……華隊の皆で触れました」
その言葉で議場が静かなざわめきに包まれる。
聴衆から非難めいた視線がタビサに浴びせられ、場の雰囲気が剣呑なものへと変わった。
ユーフェミアはブリジットが唇を噛むのを見た。
聴衆の非難の目はタビサに向けられているが、それはそのまま、この場にいないボルドに向けられているも同然だ。
ユーフェミアの策は的中した。
ボルドがブリジットに救出されてこの里に戻ってきた時、その全身はスッポリと外套で覆われていた。
まるでその肌を隠すかのような姿に、里では様々な憶測が飛び交った。
ボルドが分家の女たちに嫐られ、慰みものにされたのではないかといった類のものだ。
実際、外套の隙間からボルドの顔を見た者は、その頬や首に赤い痕がついているのを目ざとく見つけていた。
肌を手や唇で強く愛撫された痕だ。
そうした話が耳に入ってきた時にユーフェミアは思った。
おそらくボルドが他の女と交わっていなかったとしても、その全身を女たちの指や唇、舌が這い回ったのだろうと。
下衆な勘繰りのために口にこそ出さなかったが、それは間違いないだろう。
そしてそれはこの場にいる聴衆の多くが同じことを思っただろう。
これで場の雰囲気が完全に固まった。
ユーフェミアは聴衆の顔やその雰囲気からもそれを感じ取り、もうこれで十分だと悟った。
これ以上の質問をするとブリジットの権威に傷をつけることになる。
そのためユーフェミアは議長のほうを見た。
「議長。これで質問を終わります」
奇妙な質疑応答の突然の終了に議長も思わず面食らって表情を変えるが、すぐに気を取り直して頷いた。
ブリジットはすぐに挙手をするが、その表情にはすでに余裕がなかった。
そこからは劣勢を取り戻すべく、誰一人としてボルドと交わっていないということを強調し、ボルドがブリジットに操を立てて必死に女たちを拒否していたことをタビサに殊更に証言させたブリジットだが、最後まで議場の雰囲気を変えることは出来なかった。
そして……。
「これにて質疑応答を終わるものとする。これより情夫ボルドの処刑について賛否の投票を行う」
不安や不満がない交ぜになった異様な空気の中、ブリジットとボルドの運命を賭した投票が始まろうとしていた。




