第81話 『戦利品』
夜。
里の者たちが眠り始める頃、ブリジットは本邸内の執務室を訪れた。
そこではベラとアデラが彼女を待っていた。
「ご苦労だった。2人とも。無事に戻って安心したぞ」
労いの言葉をかけるブリジットにベラは快活な笑みを見せ、アデラは深々と頭を下げる。
2人はブリジットの命令を受けて、先日訪れたばかりのノルドの丘を再訪して戻ってきたところだ。
「ひどいもんだったぜ。ノルドの丘はよ。分家の女どもや小姓どもの死体だらけで、武器だの金品だのはあらかた公国軍に奪われてまるで禿山だ」
そう言うとベラは小さな麻袋を掲げ、それをブリジットに手渡した。
「ボルドが囚われていた天幕の辺りで拾った」
それを受け取ったブリジットは中身を検める。
そこには華隊の女たちがボルドに使った媚薬の壺が入っていた。
特徴的な匂いですぐにそれと分かるが、中身はほとんど空なのを見て、ブリジットは怒りに歯を食いしばる。
「こんなになるまで……」
ボルドをいたぶった痕跡が残された壺を握り潰しそうになるブリジットだが、すぐに気を取り直した。
今は感情的になっている場合ではない。
「報告は鴫便で受け取った書にすでに目を通した。例の奴は?」
「裏の納屋に押し込んでおいた」
ベラの言葉に頷くと、ブリジットは2人を連れて本邸裏の納屋へ向かう。
そしてブリジットは扉を開けて納屋に足を踏み入れた。
木材伐採用の器具や本邸で使う薪などが置かれたその納屋は狭く、人が4~5人入るとそれだけで閉塞感がある。
その納屋の中には1人の人物が麻布の袋を顔に被せられ、後ろ手に縄で縛り上げられて座らされていた。
「こいつか。戦利品は」
ブリジットがそう言うと、その人物はビクッと肩を震わせる。
ブリジットは構わずその捕虜の顔の麻袋を剥ぎ取った。
現れたのは女だ。
元は美しかったであろうその女の顔は鼻が折れ曲がり、目の周りは青アザで腫れ上がっている。
見るに堪えないその有り様に顔をしかめるブリジットにベラは苦笑する。
「華隊の生き残りだ。ボルドに跨ろうとしたところをソニアに顔を蹴っ飛ばされた奴さ。このヒョロい体でよく死ななかったもんだ」
ブリジットは女の前に立ってその醜くなった顔を見下ろすと泰然と言った。
「我が名はブリジット。このダニア本家を預かる責任者だ」
言うまでもなくその金髪から相手がブリジットだと分かっていた華隊の女は、その顔を絶望に引きつらせ、声も出せずにブリジットを見上げた。
「おまえの名を教えろ」
ブリジットの口調は冷静だったが、そこに滲む怒りをベラもアデラも感じ取った。
今すぐにでも女の首を刎ねたくなるのを堪えるために、ブリジットは努めて冷静な声を出しているのだ。
それは女にも伝わった。
恐怖に震えて息を詰まらせそうになりながらも、女は必死に乾いた声を絞り出す。
「タ……タビサと申します」
「タビサか。おまえは分家の華隊の女だな」
「は、はい」
すっかり怯え切った声でそう答えるタビサにブリジットは冷然とした目を向ける。
「ボルドが世話になったそうだな。どうだった? アタシの情夫は」
ブリジットの言葉にタビサの顔がさらに恐怖で歪む。
「お、お許し下さい。どうか命だけは……」
「ソニアに蹴り飛ばされても死ななかったということは運がいいのだろう。せっかく拾った命だが、ここでおまえはどんな罰を受けることになると思う?」
「ひっ……」
タビサは短い悲鳴を漏らすと、恐怖で舌をもつれさせながら必死に弁明する。
「ワ、ワタシは……あなたの情夫とは交わっていません。ワタシ以外の……他の女も同じです」
「その話を詳しく聞こうか。真実をありのままに話せ。嘘だと分かったら世にも悲惨な死に方をすることになるぞ」
ブリジットが眼光鋭くそう言うと、タビサは懸命に言葉を絞り出しながら当時の状況を説明した。
ボルドを5人で辱しめたこと。
ボルドのほうから手を出してくるまで絶対に自分からは跨るなとバーサに厳命されていたこと。
ボルドが頑なに拒否して女たちが痺れを切らしてきた頃、リネットが天幕に現れて、今すぐにボルドに跨るようにとのバーサからの命令変更を伝えてきたこと。
そしてタビサがボルドに跨ろうとしたところ、現れたソニアに蹴り飛ばされて気を失ったこと。
「こいつ、倒れた天幕の下で気を失っていたおかげで公国軍に見つからずに済んだらしいぜ。気が付いた時には公国軍もいなくなって無人だったんだとよ。それから丘を降りて1人故郷に帰ろうとしていたところを、まんまとアタシらに見つかったってわけだ」
ベラは得意げにそう言った。
タビサはソニアに蹴り飛ばされた時に足を捻ったらしく、まともに歩くことも出来ず、這うようにして丘の近くを進んでいたという。
「今の話は一言一句、真実と違わぬと誓えるか?」
ブリジットは冷然とした表情のままタビサを見下ろしてそう言う。
タビサが助かりたいばかりに嘘をついている可能性もあるが、それを完全に見抜くことはこの場では不可能だ。
故にブリジットは静かにタビサを見つめた。
必要以上に威圧せず、しかし嘘は許さぬという意思を込めて。
タビサは蛇に睨まれた蛙のように固まり、ようやく震えた声で答えた。
「はい。誓えます。あなたの情夫は……自分はブリジットのものだから他の誰のものにもならないと必死に言い張っていました」
その話にブリジットはわずかに表情を緩める。
目の前の女を苦しめて殺したいという暗い欲望が腹の底を渦巻くが、この女だけが唯一、あの場の真実を知る者だ。
「よかろう。タビサ。おまえの命はこのブリジットが預かる」
そう言うとブリジットはタビサに捕虜としての処遇を与えるようにベラたちに命じ、それからタビサの存在を他の誰にも知られぬよう隠匿しろと2人に告げた。




