第7話 『情夫の一日』
宣言の儀から一夜明け、夜明けに帰ってきたブリジットはひとしきり眠ると、ボルドにこれといって声をかけることもなく正午前には政務に戻っていった。
主たるブリジットが留守にしている居室では、側付きである2人の小姓たちが室内の掃除や洗濯を粛々と行っている。
ボルドは手持無沙汰に耐え切れず彼らの仕事を手伝おうとしたが、小姓たちはそれを厳に断った。
「これは我らの仕事。あなたにそれを手伝わせたとあっては我らがブリジットより厳しくお叱りを受けます。我らのことを思って下さるなら手出し無用でお願いします」
昨夜、ブリジットが不在の間、小姓たちは情夫としての一日の過ごし方についてボルドに話して聞かせた。
ボルドにとって唯一の仕事は、ブリジットの夜伽の相手をすることである。
そのため夜の間は起きていることが必須となり、朝食をとった後にブリジットの出立を見送ってから昼過ぎまで眠ることになる。
そして日が天頂を過ぎて午後になる頃に起床した後は遅めの昼食を取り、そこから夕刻にブリジットが戻るまでは待機時間となる。
要するに昼の間は彼にやることはないのだ。
これはボルドを大いに戸惑わせた。
これまで人生の大半を奴隷として昼夜を問わず働き続けてきた彼にとって、何もしないでいい時間など夜眠っている間くらいだったのだ。
働かなくてよい時間を過ごすということは彼には難解なことであったが、小姓たちは決して彼に雑務をさせなかった。
「あなたのお仕事はブリジットのために心身の健やかさ、美しさを保つことです。雑務などで肌を荒らすことは厳に戒め下さい」
ボルドが眠っている午前中のうちに掃除や洗濯を済ませた小姓たちは、午後になると起床したボルドの世話をあれこれと焼いた。
ボルドのためにダニアの歴史や一族内の情勢などを理解しやすく話して聞かせる。
そして彼の肌艶など健康状態を常に観察し、肌に良い馬油や果汁などをボルドの全身に塗る。
特にボルドの黒髪は念入りに手入れされ、艶やかさを絶えず保ち、伸び過ぎた毛先などは丁寧に散髪された。
「ブリジットからは特にこの黒髪は大事になさるよう命じられております。ボルド様もそのことをお忘れなく」
小姓の言葉にボルドは今朝のブリジットの様子を思い浮かべた。
宴で疲れて眠り、起きてからもすぐに出かけて行くという忙しさの中、ブリジットと話をする機会もほぼなかったが、彼女はそれでも彼の黒髪を二度三度と触っていた。
初めて彼女と結ばれた昨夜も、ブリジットはボルドの黒髪を指で幾度となく梳いては愛でていたのだ。
「黒髪は珍しいのです。ブリジットの御父上も黒髪でいらっしゃいました」
そう言う小姓にボルドはふと尋ねた。
「彼女の父君とはどのような御方なのですか?」
「先代ブリジットの情夫であらせられました。先代よりこよなく愛され、当代のブリジットも御父上を慕っていらっしゃいましたよ」
その話にボルドは思わず言葉を失った。
一族の長たる女王が情夫の子を産む。
その事実に頭を打たれたような気がしたからだ。
当然、男と女が交われば子が生まれる可能性はおおいにある。
そのことはボルドとて分かっていたが、まさかブリジット自身も情夫を父に持っているとは思わなかった。
そんなボルドの顔色を見た小姓は、彼の心情を推し量って言った。
「情夫はひとときの戯れの相手であることもあります。しかしダニアの女たちは時に情夫を深く愛し、その子を産むこともあるのです。それは我が一族にとって自然の摂理」
そう言うと小姓は静かに話を続けた。
「ボルド様。時が来ればあなたもブリジットとの間に子を成すことになるやもしれません」
その言葉にボルドは息を飲む。
奴隷として使い捨てられるはずの自分が、子孫を残すことなど欠片も考えたことはなかった。
運命がこれほど大きく変わっていこうとすることに激しく戸惑い、ボルドは戦慄すら覚えた。
「と、時とは……いつのことなのですか?」
「さて。ブリジットがあなたの子を産みたいと心の底から思われた時です。その日が来るかどうかは……今はまだ分かりません」
日の暮れかけた居室の中で小姓がその話をしてからほどなくして、政務を終えたブリジットが早めの帰宅を果たした。
ボルドにとって二度目となる情夫の夜が始まろうとしていた。




