第72話 『十刃長ユーフェミア』
奥の里に戻ったブリジットを待っていたのはさっそくの軍議と、部下である十刃長ユーフェミアの棘のある視線だった。
ブリジットより10歳年上のユーフェミアはこのダニア本家のナンバー2だった。
ブリジットが不在の間は彼女が本家の指揮を執る。
ダニア本家は女王であるブリジットの下に十刃会という評議会が存在する。
ブリジットの政治を補佐するために、本家の有力な血すじの中から選ばれた10人の女で構成され、その10人の代表となるのが十刃長だった。
十刃長は一族の意見をまとめ上げ、ブリジットに上申する役目を持つ。
もちろん全ての決定権はブリジットにあるが、歴代のブリジットたちは十刃長の意見を時に重く受け止め、時に柔軟に聞き入れてきた。
ブリジットとはいえ、一族の者たちの人心を無視するわけにはいかないからだ。
スラッと背の高いユーフェミアは長い赤毛を丁寧に編み込み、十刃長の証である漆黒の髪飾りを髪に差していた。
「おかえりなさいませ。ブリジット」
ユーフェミアの声とともに、軍議の場にそろっている十刃会の面々がブリジットに頭を下げる。
「ああ。留守の間ご苦労だった。手を焼かせたな」
「いえ。無事にお戻りになられて安心いたしました。お疲れのところ誠に恐れ入りますが、ご報告をお願い出来ますでしょうか」
ユーフェミアは冷然とそう言う。
ブリジットは幼い頃から彼女が苦手だった。
武術の手ほどきは母である先代やリネットから受けていたブリジットだが、学問についてはこのユーフェミアが教師役を務めていた。
問題を解けずに彼女の教鞭を手の甲に浴びた時の痛みは今も忘れない。
十刃会に名を連ねる者はダニアの流儀でそれぞれが腕に自信を持つツワモノどもだったが、それだけではこの職責は務まらない。
一言で言えば政治的な知見を持つ者でなければならないのだ。
ユーフェミアは十刃長だが武術の腕前でブリジットに次ぐ実力者、というわけではなかった。
腕前だけならば彼女の同期であるリネットのほうが強い。
だが、ユーフェミアの学と政治的な手腕は他に並び立つ者がないほどで、そうした理由から彼女は十刃長に選ばれていた。
「まずはリネットだ。すでに聞き及んでいることと思うが、あいつが死んだ。討ったのはベラとソニアだ」
リネットの死に十刃会の面々は多様な表情を見せた。
今ここにいる者たちは皆、リネットをよく知る者ばかりだ。
彼女が裏切ったことをすぐには信じられない者もいただろう。
だがユーフェミアはピクリとも表情を変えずに冷然と言う。
「リネットは裏切者ですから。当然の報いです。ベラとソニアには褒賞を与えねば」
ベラもソニアも今は治療中だ。
特にソニアは難しい状態であり、命にかかわる恐れがある。
ブリジットは友の容体を心配する気持ちを表に出さず、静かに頷いた。
「無論だ。だが、なぜあのリネットが裏切り行為に走ったのか、我々はそこを考えねばならん」
そう言うとブリジットは今回の一件について語った。
奥の里を襲撃し、情夫ボルドを誘拐したのは、クローディアの従姉妹であるバーサであること。
そしてバーサの目的について。
それを聞いた十刃会の面々は皆、険しい顔つきとなる。
ユーフェミアはわずかに嘆息すると言った。
「なるほど。あのベアトリスの娘らしいですね。母親の遺志を継いでいるというわけですか。クローディアとの一騎打ちで負けたら本家をまるまる差し出せ、と。馬鹿馬鹿しい。そんなもの受ける道理はありません」
「ああ。確かに分家は焦っている。それに付き合ってやるつもりは毛頭ない。だが、我らとて悠長に構えている暇はないぞ。ユーフェミア。先刻のノルドの丘への襲撃は公国軍の本気度を十分に感じさせた。あの軍勢にこの奥の里を攻められたら、我らは甚大な被害を受ける。そしてその日はそう遠くない」
ブリジットの言葉に十刃会の面々は一様に苦い表情を浮かべる。
今までのように諸国同士が牽制程度で微妙な均衡を保っている時代は終わりを迎えようとしている。
仮に王国と公国が開戦すれば、それを対岸の火事として高みの見物できると思うほど楽観的な者はこの場にいない。
王国や公国はダニア本家に身の振り方を求めるだろう。
味方となって共に戦うか、敵として殲滅されることを選ぶか。
「簡単に答えの出る問題ではない。だが、この件に関してはすでに公国の傘の下に入っている分家は向かう方向性が決まっている。我らも近々のうちに決断せねばなるまい。里からの出立期日は遅れてしまうが、次回の軍議から本格的にこの件を論じねばならん。各自、考えをまとめておいてくれ」
そう言うとブリジットは席を立つ。
治療中のソニアの容体が心配だったし、ボルドを自室に残して来たことも心配だった。
再びボルドが狙われる可能性もある。
だが、そんなブリジットをユーフェミアが呼び止める。
「お待ち下さい。話はまだ終わっていませんよ」
「なに?」
「情夫ボルドの処遇についてブリジットのお考えをお聞かせいただけませんか?」
「処遇だと?」
ユーフェミアのその言葉にブリジットは非難めいた視線を送る。
十刃会の面々の間に剣呑な雰囲気が漂い始めた。
だがユーフェミアは臆せずに言う。
「情夫ボルドは一度敵の手に落ちました。敵の女の手垢だらけとなった汚れた情夫を、処分せぬまま侍らせることはまかりなりません。ブリジットの品格に関わります」
そこで一度言葉を切ると、ユーフェミアはブリジットが何かを口にする前に機先を制して己が意思を明確に告げた。
「ブリジット。他の者が言いにくいことをあなたに上申するのが我が役目なればこそハッキリ申し上げます。情夫ボルドは……処刑すべきです」




