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第69話 『帰路にて』

 ノルドの丘を脱出してから一時間。

 分家の女たちが公国軍の標的となってくれたおかげで、ブリジット一行は無事に逃げ延びることが出来たのだった。


 奥の里を目指す帰路の馬車の上でブリジットはまず、ソニアやベラの傷をた。

 特にソニアが重傷で、一刻も早く奥の里に戻り治療をほどこす必要があった。

 そのためアデラに高速伝書用のしぎを用意させ、ブリジットが事の次第を書いた手紙を奥の里に送った。

 奥の里から救護班をこちらに向かわせ、少しでも早くソニアの治療をするためだ。

 

 それからブリジットはアデラの鳥を多数死なせてしまったことに遺憾いかんの気持ちを伝えた。

 女王であるブリジットの言葉にアデラは恐縮したが、アデラにとって鳥は家族のようなものだ。

 今回の作戦で一定数の鳥を失ったその気持ちをブリジットがおもんぱかったことに、アデラは感謝の面持おももちで頭を下げた。


 彼女は鳥に思い入れが強過ぎるため、鳶隊とびたいの中でも少し浮いた存在だった。

 鳶隊とびたいにとって鳥はあくまでも使役するための道具だ。

 だがアデラはそういう考え方をどうしても受け入れることが出来なかった。

 そんな彼女の存在を知り、アデラの気持ちを尊重してその考え方を肯定こうていしたのはブリジットだ。

 それゆえアデラはブリジットに並々ならぬ感謝の気持ちを抱いていた。


 さらにブリジットは今回の作戦のかなめとなった双子の働きと、彼女たちが開発した巨大石弓をたたえた。

 この武器を改良して量産し、弓隊の装備とするべく早急に検討することを約束し、双子を大いに喜ばせた。

 そうして部下たちをねぎらうブリジットだが、ボルトに対しては多くを語らず、ただそばに彼を置いていた。

 

 ブリジットは部下たちの前では情夫に必要以上に触れることはない。

 女王の威厳いげんを保つためだ。

 それはボルドにも分かっていた。

 少しさびしい気持ちもあったが、ボルドはあらためてブリジットのことが誇らしく思えた。

 彼女は良き女王となろうとしている。

 ベラやソニアが命をかけて彼女を守ろうとするその気持ちが、今はボルドにも良く分かった。


 しかしボルドには同時に不安な気持ちが芽生めばえていた。

 一時的とはいえボルドは敵の手に落ちた。

 そして華隊はなたいの女たちからはずかしめを受けたのだ。

 

 最後の一線は越えていないとはいえ、それを証明するすべは無く、女王の情夫としては決定的な汚点だ。

 自分の存在がブリジットの品格にも悪い影響をおよぼしてしまう。

 そのことでブリジットが憂慮ゆうりょの念に駆られ、自分にどう声をかけていいのか分からず困惑しているのではないかとボルドは危惧きぐし、重苦しい自責の念にうつむいた。


 そんなボルドを静かに見つめている人物がいた。

 ソニアだ。

 ボルドはそのことに気付かなかったが、ソニアは痛みをこらえて静かに呼吸を整えながらボルドの様子をうかがっていた。

 そうこうするうちに馬車の速度が徐々に落ちてきて、御者の女戦士が振り返ってブリジットに上申する。


「ブリジット。そろそろ馬たちが限界です。こんな時ですが一時間ほど休憩を。ちょうど川もありますし、馬たちに水とえさを与えて休ませねばなりません」


 御者の言葉にブリジットは心配そうにソニアを見やる。

 ソニアの傷を考えれば休んでいる時間は惜しい。

 ソニアはそんな彼女の気持ちを察し、いつもの淡々とした口調で言った。


「ブリジット。馬だけじゃない。ボルドもかなり弱っている。川で体を洗わせてやってくれ」 


 そう言うソニアにおどろき、その真意に気付いたブリジットは少しばかりバツが悪そうに口をとがらせる。


「一時間だけだぞ。馬の休息が終わったら、すぐに出立する。各自休憩しておけ。ただしソニアからは目を放すなよ。放っておくとそんな体でもおのの素振りを始めかねないからな。ボルド。来い」


 ソニアに逆襲するようにそう言うと、ブリジットは馬車を降りて川の方に歩いていく。

 ボルドは思わぬ指名におどろき、あわてて馬車を降り、ブリジットの後について川原へと向かった。

 川幅は広く、水面みなもは穏やかだ。

 川辺には背の高いあしが生えそろっている。


 ブリジットは浅瀬にザブザブと踏み入れるとそのあしの向こう側に歩いていった。

 ボルドも急ぎその後を追ってあしかげに入ると、いきなりブリジットが振り返ってボルドをガバッと抱き寄せた。


「ブ、ブリジット……」

「ボルド。まったく無茶をする奴だ。だが、おまえのおかげで助かったぞ。感謝する」


 そう言うとブリジットはボルドを抱く手にわずかに力を込めた。


「あのあなの中でおまえの顔を見られた時、嬉しかったぞ。必ずおまえを取り戻すと心にちかって奥の里を出たが、もう二度と会えぬのではないかと不安だったのだ」


 彼女の言葉にボルドは思わず胸が熱くなる。 

 だがブリジットが自分の顔を見ていると知り、ボルドは思わず目をらした。

 彼の胸にき上がるのは重苦しい罪悪感だ。

 

 ボルドの耳や首元の肌には、華隊はなたいの女たちになぶられた赤いあとが多数残されている。

 それをブリジットに見られたくなかった。

 ボルドはまともにブリジットの目を見つめられずに口ごもる。

 

「ブリジット。私は……っ?」


 そう言いかけたボルドのあごつかみ、ブリジットは自らのくちびるでボルドの口をふさいだ。

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