第68話 『バーサの悔恨』
切断された腕がひどく痛む。
出血を止めるために腕を縄できつく縛り、切断面を厚手の布で何重にも覆った。
その布もすでに血で真っ赤に染まっている。
バーサは朦朧とする意識の中、少人数の部下たちに付き添われて丘の上を馬車で移動していた。
すでに丘の上まで公国軍の騎馬兵たちが上がって来ていて、逃げ遅れた分家の女戦士らは応戦するも、数では遥かに勝る敵相手に次々と殺されていく。
公国軍の騎馬兵たちは敵が憎きダニアだと知ると、嵩にかかって馬上から刃を振り下ろす。
それはもう戦いとは呼べぬ一方的な狩りだった。
バーサにとって悪夢のような状況だ。
（くっ！ とにかく少しでも兵力を生存させねば）
そう思い、進む先に見つけた仲間たちにはとにかく敵に応戦せずに丘の反対側へ逃げるよう指示を出す。
幸いにして丘の北側から現れた公国軍は、丘の反対側にまでは回り込んでいなかった。
おそらく彼らは最初からこの丘を目指していたのではなく、不定期の巡回行軍中に丘の上の集団を発見して攻めてきたのだろう。
バーサはそれがこのタイミングとなってしまった己の運の無さを恨めしく思った。
ブリジットを穴に落としたところまでは上手くいっていたはずだった。
しかしまさか囚われの情夫を乗せた馬車があの場に現れるとは思わなかった。
最善の立ち振る舞いが出来なかったことに湧き上がる悔恨をバーサは吐き捨てた。
「ボルド……あのガキめ！」
吐き捨てるようにそう言ったバーサは、前方にそのボルドを捕らえていたはずの天幕が崩れ落ちているのを見て馬車を止めさせる。
天幕の近くには、華隊の者と思しき女の死体がいくつも転がっていた。
分家にとって華隊は貴重な人材だ。
バーサは唇を噛み、自らの失態に拳を握り締める。
だが、すぐにそれ以上の衝撃がバーサを襲った。
華隊の死体が倒れているそのすぐ傍に、血だまりの中で横たわる戦士の死体があった。
それを見たバーサは思わず息を飲む。
「……リネット」
血だまりの中で息絶えていたのはリネットだった。
バーサは自分の傷の痛みも忘れて馬車から飛び降り、リネットの死体の傍に駆け寄った。
リネットは腹部を貫かれて死んでいた。
「志半ばで逝ったか……我が母と同じだな」
ボルドがブリジットの元に駆けつけたのを見たバーサは、リネットがしくじったのだと悟った。
しかし狡猾なリネットのことだから、どうにかして逃げ延びているだろうとも思っていた。
だが、リネットは死んだ。
「母と一緒なのはワタシもだ。リネット。見ろ。この無様な腕を……」
自嘲気味に笑いながらそう言うと、バーサはすでに光を失ったままのリネットの目の前に、切断されて短くなった己の腕を差し出した。
絶え間ない痛みに苛まれる傷が熱くなってきた。
バーサの中にフツフツと湧き上がる怒りと憎しみは、その痛みすら忘れさせるほどの炎となって燃え上がる。
バーサは残された左手でリネットの目を閉じた。
リネットは本家の女だったが、バーサにとっては亡き母の遺体を埋葬し、その志を受け継いだ同志でもあった。
その死にバーサは自分でも驚くほどの怒りを覚えていた。
「このままでは済まさんぞ……ブリジット」
悔恨は怒りとなり、怒りは憎悪へと転じる。
バーサは歯が割れてしまうのではないかと思うほど強く食いしばった。
そんなバーサの背後から部下がおずおずと声をかける。
「バーサ様。もう公国軍はすぐそこです。即座にここから離れなくては……」
「こいつを馬車に乗せろ。今すぐだ」
そう言って振り向いたバーサの表情に、部下の戦士は本能的に怯えた。
時折バーサが見せる、悪鬼羅刹のごとき怨念じみた表情がその顔に深く色濃く刻みつけられていた。
女戦士は言われた通りすぐさまリネットの遺体を抱え上げて荷台に乗せる。
矢の飛び交う中で、御者が必死に馬に鞭を打った。
「ハアッ！」
隻腕のバーサとリネットの遺体を乗せた馬車は、矢と怒号の飛び交う丘から東の荒野に向けて猛然と走り出すのだった。
