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第67話 『命がけの激走』

 馬車から飛び降りたボルドは無我夢中で走っていた。

 周囲は分家の女たちが取り囲んでいたが、まさかひ弱な情夫がブリジットを助けるために自ら駆け寄って来るなどとはつゆとも思わなかったのだろう。

 誰もが数秒の間、呆気あっけに取られて初動が遅れた。

 弾かれたように声が上がったその時には、ボルドはベラのすぐそばに切れて落ちているなわはしを拾い上げていた。


「じょ、情夫が降りてきたぞ!」

「捕まえろ!」


 ボルドは拾い上げたなわはしを腕に何重にも巻きつけると、一気にあなの前まで駆け寄った。

 だが、それをバーサがだまって見過ごすはずがない。


「待てボルド!」


 ボルドに飛びかかろうとしたバーサだが、そんな彼女を目がけて上空から猛烈な勢いで数羽のとびが急降下してきた。

 アデラの指示だ。


邪魔じゃまだっ!」


 バーサはそのとびを次々と短剣で斬り裂いて殺す。

 あわれなとびたちは血を流して地面に激突した。

 だがバーサが再び振り返ったその時には、ボルドはすでにあなの中に飛び込んでいた。

 躊躇ちゅうちょなく飛び込んだあなの中で、ボルドは確かにその目で見た。


 そこに金色の髪の女性がいる。

 その顔を、その姿を見間違えようはずがない。

 切実に願い続けた彼女との再会に、あふれんばかりの歓喜が身の内からき上がり、ボルドは我知らず叫んでいた。


「ブリジット!」

「ボルド!」


 外がさわがしくなったのを聞きつけてあなの底で頭上を見上げていたブリジットは我が目を疑った。

 ボルドがあなの中へ飛び込んできたのだ。

 ブリジットは両手を広げて彼の体を受け止める。

 ボルドはブリジットにきつく抱きつくと震えるように声をらした。


「よくぞ……よくぞご無事で」

「ボルド……おまえこそ無事だったか。なぜここに……」


 ブリジットがそう言いかけたところでボルドは再び彼女に強く抱きついた。


「今から上に引き上げられます! つかまって下さい!」


 ブリジットは彼の腕に巻き付いているなわを見るとすぐに言われた通りにした。

 左手でボルドを強く抱き寄せ、右手でなわを握る。

 するとボルドの言った通り、すぐになわが上へ上へと引き上げられていく。

 そしてブリジットとボルドは一気にあなの外へと飛び出した。

 そこではまとわりついてくるとびたちを斬り殺したバーサが、自分に向かって来るベラを迎え撃っていた。

 

鬱陶うっとうしい!」


 苛立いらだったバーサは短剣でベラの首をねらう。

 だがそこでブリジットが疾風はやてのように動いた。

 剣をさやから抜き放ったブリジットはそのままバーサに真横から斬りかかる。


「ハアッ!」 

「くっ! ブリジット!」


 バーサは咄嗟とっさに方向転換してこれを短剣2本で受け止めた。

 しかしブリジットへの対応で手いっぱいのバーサの脇腹をベラが思い切りり飛ばした。

 

「オラァ!」

「ぐっ!」


 たまらずに転倒するバーサを見たブリジットは即座にきびすを返す。

 そしてボルドを抱え上げて馬車へと走り出した。


「ベラ! 来い!」

「おうっ!」


 ベラはこれに呼応こおうして全力で走り出す。

 バーサはそうはさせじと起き上がり、声高に叫んで部下たちに指示を送った。


「そいつらを逃がすな!」


 バーサに命じられた女戦士たちがブリジットらや馬車に群がってくる。


「ベラ! ボルドを頼む!」



 そう言うとブリジットはベラにボルドを投げ渡す。

 そしてブリジットは目にも止まらぬ速度で、向かい来る戦士たちを7人、8人と斬り伏せて、あっという間に死体の山を作っていく。

 そんなブリジットをバーサは必死の形相ぎょうそうで追った。


(あそこまで追い詰めたってのに、このまま逃がしてたまるか!)


 ブリジットを逃すまいとするバーサだったが、その思いが強過ぎた。

 それゆえバーサは、一度は馬車に辿たどり着いたかに見えたブリジットがいきなりきびすを返して反転し、猛烈な速度で自分へ向かってくることへの反応が遅れてしまった。


「ハァァァッ!」


 ブリジットはすさまじい勢いで上段から剣を振り下ろす。

 それはバーサの脳天をねらった必殺の一撃だった。

 バーサは咄嗟とっさに真横に飛んでこれを避けようとした。

 だが……間に合わなかった。


「うぐぅっ!」


 頭部をねらってブリジットが振り下ろした剣は、バーサの体の位置が横にずれたことで、その右腕を……ヒジの下辺りから斬り落とした。

 断ち切られたバーサの腕から鮮血が噴き出す。


「ぐああああっ!」


 バーサは悲鳴を上げながらも生存本能から全力で後方へ走り去っていく。

 それを追撃してトドメを刺そうとしたブリジットだが、そこでベラの声が響き渡った。 


「ブリジット! 公国軍の奴らがここに向かっている! 大群がもう丘を登り始めた! 撤退するぞ!」


 その言葉にブリジットはハッとして足を止め、前方をすがめ見た。

 確かに丘を登ってくるであろう軍勢がかかげるはたが見える。

 公国軍のはただ。

 もう数分もしないうちにここまで辿たどり着くだろう。


 ブリジットは逃げていくバーサを見据みすえて舌打ちをしたが、すぐに気持ちを切り替えて馬車に乗り込んだ。

 全員が乗り込んだことを確認すると御者はむちを打って馬を急がせる。

 後方では同じように撤退するため分家の女たちが散り散りに逃げていく様子が見えた。

 公国の大群が押し寄せる中で、彼女たちももはやブリジットらを追う余裕はないようだった。


 アデラが口笛くちぶえを響かせると、丘の上に大量に飛んでいた鳥たちは全て西の空へと飛び去っていく。

 一行を乗せた馬車は鳥の死骸しがいや戦士の死体が転がるまわしい丘から猛然と走り去って行くのだった。

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