第66話 『無謀な突撃』
「ブリジットは……おそらくあの穴の中です!」
アデラがそう叫ぶのを聞くと、ソニアが目の色を変えて起き上がろうとした。
それを見越し、ベラはソニアの肩に手を置く。
「ソニア。おまえは動くなっつったろ。アタシが穴に飛び込んでブリジットを引き上げる。ナタリーとナタリア、アデラはアタシが穴に飛び込んで5秒したらこの縄を引っ張って引き上げろ」
そう言うとベラは荷台の上の巨大石弓の台座に括りつけられた長い縄を自分の胴に巻きつける。
そんなベラを見上げ、ソニアは厳しい顔つきで言った。
「ベラ。あの銀色の髪の奴はおそらくヤバイ奴だ。おまえ1人では太刀打ち出来ない」
ソニアもベラも知らない。
銀髪の女がベアトリスの娘であるバーサだと。
だがそれでも赤毛の女たちの中で1人だけ銀色の髪を持つ者が只者であるはずがないと感じ取っていた。
下手をすれば分家の女王クローディアである可能性もある、と。
「分かってるさ。あいつに構うことはしねえ。おい。頼もしい後輩ども」
そう言うとベラはナタリーとナタリアに自分の槍を手渡した。
「こいつをその馬鹿デカイ石弓で射出しろ。あの銀髪女を狙え。出来るな?」
それを聞いた双子はわずかに肩をすくめるが、平然と頷いた。
「ま、出来なくはないですよ。本当は専用に作られた巨大矢しか使いたくないけど」
「そんなこと言ってる場合じゃないですしね。何とかしましょう。頼もしい後輩として」
その言葉にベラはニッと笑みを浮かべた。
「少しでもあの銀髪女の気を逸らしてくれ。その隙にアタシがブリジットを連れ戻す」
「ベラさん。丸腰で飛び出すのは危険じゃ……」
不安げにそう言うアデラだが、ベラはあっけらかんとして縄の締まり具合を確かめる。
「どうせあの穴に飛び込むのに槍は邪魔だからな」
馬車の上に残されている武器はもうほとんどない。
ベラは普段はあまり使わずに腰に下げているだけの短剣を鞘から抜き放って右手に持ち、構えた。
馬車はグングンと加速し、巨大石弓にナタリーとナタリアがベラの槍を番える。
長さと太さが巨大矢とは異なる槍は使い勝手が違うようだが、それでも双子はそれを調整して弓弦を引く。
穴のある場所まで200メートルほどだ。
「そんじゃ行きますよ。ぶっつけ本番なんで命中率は期待しないで下さいね」
「上等だ。とにかくあの銀髪女の度肝を抜いてやれ」
そう言うとベラは馬車の縁に手をかける。
敵の真っ只中に突っ込んで行く馬車の中でボルドは頭を低くした。
ギリギリと双子が弓弦を引き絞る音が止まった。
「いけぇ!」
双子の叫びと共にバシュッという轟音が鳴り響き、ベラの槍がとてつもない速度で前方に打ち出された。
同時にベラは馬車から飛び降りて地面を転がるが、すぐに起き上がると全速力で穴へ向かって駆けていく。
槍は一直線に銀髪のバーサの元へ向かった。
それに気付いたバーサは身を捻って槍を避けようとする。
だが、その速度が予想以上に速かった。
「うおっ!」
バーサはそれをギリギリのところで避けたが、手に持っていた松明を吹き飛ばされ、自らも背後に倒れ込んだ。
胴に縄を巻きつけたベラはその隙に一気に穴まで残り20メートルのところまで駆け抜ける。
だが、バーサは即座に立ち上がると、駆けてきたベラを見咎めて鋭く声を発すると同時に、ものすごい勢いで短剣を投げつけた。
「その穴に近付くなっ!」
「ぐうっ!」
穴に向かって頭から飛び込んだベラの体を、バーサの投げた短剣が掠める。
大きな傷にはならなかったが、それは不幸中の幸いではなかった。
その刃はベラの胴体に巻かれた縄を断ち切ってしまい、体勢を崩したベラは穴の手前で倒れ込んでしまったのだ。
それを見た御者の女たちは馬の手綱を引いて馬車を急停車させる。
その衝撃でボルドやソニア、アデラは荷台の上に転倒した。
巨大石弓の台座に捕まって転倒を免れた双子が焦って声を上げる。
「やばいっ!」
「ベラ先輩がしくじった!」
その声にボルドはすぐに起き上がると目を見開いた。
穴の手前で倒れているベラ。
断ち切られた縄。
ベラに今にも襲いかかろうとするバーサ。
絶望的な状況を前にしてボルトは思わず立ち上がっていた。
(だめだ……このままじゃダメだ! ブリジット!)
ボルドの頭の中で危機感が爆発し、思考が吹っ飛んだ。
ソニアやアデラが止める間もなく、ボルドは停車した馬車から飛び降りて駆け出していた。
ブリジットが囚われている穴に向かって。
彼女を助けたいという思いだけが、彼を無謀な突撃に駆り立てていた。




