第51話 『リネットの懸念』
「母の無念はワタシが晴らす」
そのバーサの言葉でリネットは追憶の中から引き戻された。
目の前ではバーサが懐から手のひらに収まるほどの小さな巾着袋を取り出している。
その中には一房の銀髪が収められていた。
4年前のあの日、ベアトリスの死に立ち会ったリネットは、彼女の遺体をどうするべきかと逡巡した。
当初の考えであれば先代ブリジットの元へ運ぶつもりだったが、ベアトリスの話を聞いたリネットはそういう気にはなれなかったのだ。
その結果、リネットはベアトリスの遺体をその池のほとりに埋葬した。
その際、彼女はベアトリスの銀色の髪を一房切り取った。
そしてリネットはその足で国境を越え、王国内の分家の領地へと出向いたのだ。
そこでリネットと面会したバーサは、母の形見として一房の髪を受け取っていた。
そしてそれを今も肌身離さず持ち歩いている。
2人の付き合いはその時から始まっていた。
「意気込みは分かるが……ブリジットは強いぞ。1対1でやり合えば、おまえとて返り討ちにあうかもしれん。おまえのことだから勝算を描いているのだろうがな」
リネットの言葉にバーサは母の髪を巾着袋にしまいながら笑みを浮かべる。
「分かっている。先日の単騎襲撃時に奴の身のこなしを見た。だいぶ距離があったが、その腕前は見事だったさ。ワタシの部下の中でも腕利きの奴があっという間に腕を斬り裂かれて無力化された。すさまじい戦闘能力だ」
ブリジットらが少人数の先行隊として馬車で奥の里へ向かっている際に、部下に襲撃を命じたのはバーサだった。
そしてブリジットにやられて捕虜になりそうになったその部下の頭を遠方から矢で射て沈黙させたのも彼女だった。
「リネット。1対1でワタシがブリジットに勝てたら、さっきの言葉は撤回してもらうぞ。だが勝負はやってみなければ分からん。もしもの時に備えて準備はしてあるさ」
そう言うバーサの顔には好戦的な笑みが浮かんでいた。
バーサはダニアの女らしく自分の腕に自信を持っていて己が負けるとは微塵も思っていないが、その一方で冷静な思考の出来る女だとリネットは知っている。
彼女のことだからブリジットが優勢となった場合でも何らかの策を準備しているのだろう。
だが、バーサは実際にブリジットと刃を交わし合ったことはない。
戦場において敵を知っていることはそれだけで相当な優位性だ。
そしてリネットはブリジットの強さをよく知っている。
彼女がその気になれば、十数人のダニアの女戦士が束になってかかっても相手にならないだろう。
なにしろブリジットの動きを目で追うのは常人には不可能だからだ。
もちろんブリジットにも体力の限界というものがあるため、1人で数百人も相手に出来るわけではない。
だが、ボルドを奪還して分家の女戦士らを蹴散らし、この場から離脱することくらいはブリジットにとっては造作もないことだろう。
そうなればバーサの計画は頓挫する。
リネットはバーサに申し出た。
「アタシも残ろう。おそらくブリジットは10人以下の少人数で来るだろうが、側近の女たちを連れてくるはずだ。奴らは手練れだ。アタシがいたほうが何かと対処しやすいだろうからな」
奥の里からここまでの距離を考えれば、もうブリジットはすぐ近くまで来ているだろう。
そして奥の里が襲撃されたばかりのため、二次的な襲撃に備えて本隊のほとんどを里の防衛に残してくるはずだ。
それでもブリジットがベラとソニアを連れてくることは間違いない。
気心の知れたあの2人がそろってブリジットの傍にいるのは厄介だった。
2人との連携によってブリジットがより動きやすくなるためだ。
「いいのか? リネット。裏切者としてブリジットの手で斬り殺されるかもしれんぞ」
「ならばそれがアタシの運命だったというまでのこと」
「ほう。しかしブリジットの側近2人はおまえの教え子なのだろう? かつてのかわいい愛弟子たちを斬れるのか?」
そう言うとバーサはじっとリネットの目を見据える。
その視線をリネットは真正面から受けた。
「愚問だな。必要とあらば老若男女問わず殺してきた悪鬼羅刹だぞ。手塩にかけた弟子を一切の躊躇なく殺せる女なんだよ。アタシは」
「そうだったな。これは失言だった」
バーサは悪びれる様子もなくカラカラと笑った。
だが、すぐにその目に鋭い眼光が宿る。
バーサは椅子の脇の小机に置かれた2本の短剣をすばやく手に取った。
2本とも刃渡り30センチ程度であり、湾曲した刀身を持つ異国の短剣だ。
「来るぞ!」
そう叫ぶとバーサは即座に天幕の外へ飛び出す。
すぐにその後に続いて外に出たリネットは目を見開いた。
すぐ近くで鍋を囲んで食事中だった戦士たちの真上から、巨大な杭のような物が降ってきたのだ。
それは屈強なダニアの女戦士の胸をいとも簡単に貫いて地面に突き立った。
ドガッという音を立てて地面を抉ったそれは、人の背丈ほどもある巨大な矢だった。




