第4話 『夜明け』
嵐のような夜が明けた。
ボルドは柔らかなベッドの上で呆然と天幕を見つめていた。
昨日の朝、荷台の上の粗末な藁の上で目覚めたはずの彼の人生は、たった一日で激変してしまった。
本当は昨日の襲撃で自分は殺され、今のこれは天に召される前のほんのわずかな夢なのではないかと思うほどだ。
ボルドはそんなことを思いながら自分の体を見つめる。
彼の肌には昨夜の情事の跡が赤く点々と残されていた。
契りの夜。
女性と肌を重ねるなど昨日まで奴隷の身だった彼の人生では考えられないことだった。
しかも相手は蛮族とはいえ女王だ。
ボルドは信じられない思いで体を起こす。
昨夜、行為が終わるとブリジットはすぐに眠ってしまった。
その後ほどなくして小姓たちが寝室を訪れ、ボルドの手から麻縄を解いて解放したが、寝室を去るのは許されなかった。
情夫はブリジットが寝室を去るまでそこに控えていなければならない。
その後ボルドはとても眠ることが出来ず、ようやくウトウトし始めたのは明け方になってからだ。
鳥のさえずりで目を覚ますと、すでにブリジットはいなくなっていた。
「綺麗だけど……怖い人だったな」
ふとそんな呟きを漏らし、ボルドはすぐに口を閉じる。
余計なことを言って誰かに聞かれたら恐ろしい。
それから数分と経たないうちに寝室に2人の小姓らが入ってきた。
昨晩からこの寝室であれこれと仕事をしていた2人だ。
1人は手にボルドの着替えを持ち、もう1人は手に洗面用具と桶を携えていた。
「食事のご用意が整っております。身支度を済ませてお召し上がり下さい」
ボルドは初めて彼らの声を聞いたが、抑揚のない無感情な喋り方だった。
彼らに従いベッドを降りると、小姓らは掛け布団やシーツを取り替え始めた。
白いシーツには赤い染みがポツンとついている。
それが何を意味するのかボルドには分からなかった。
彼の肌のあちこちにはブリジットがつけた赤い跡が残っているが出血はしていない。
ブリジットがケガでもしていたのだろうか。
そんなことを思いながら身支度を済ませ、ボルドは寝室を出て居室の隅に置かれた食事の席につく。
昨夜のこともあるので食べるのが恐ろしかったが、不思議な匂いのする茶は出されなかった。
「滋養食は夜のみ、ブリジットの指示で出されます。朝と昼には出されません」
小姓の1人はそう言い、ボルドに食べるよう勧めた。
「本日は午前中にお披露目の儀があります。食事を終えたらそちらに着替えていただきます」
「お披露目の儀?」
「はい。ブリジットが正式に情夫を迎えたことを一族に周知する儀式です。それを経てあなたの一族の中でのお立場が明確になります」
昨日の女戦士もそうだったが、小姓も女王をブリジットと呼び捨てにすることに違和感を覚え、ボルドはすぐに恐る恐る尋ねた。
「あの……女王……さまのことを何とお呼びすれば?」
「ブリジットとお呼び下さい。我らは女王という敬称は使いません。ブリジットという名が一族を治める長としての正式な敬称なのです」
「えっ?」
驚くボルドに小姓は粛々と説明した。
このダニアでは一族の長たる女性は必ずブリジットと呼ばれる。
部族を興した初代の長がブリジットという名の女性であり、以降代々、長は代替わりしても必ずブリジットの名を名乗ることになった。
ボルドもその名で彼女を呼ぶことを求められる。
彼は小声で呼び慣れぬその名を何度も呟いた。
「今のブリジットは7代目となります」
そうした説明を受けているうちに食事が終わり、小姓たちはボルドを正装に着替えさせていく。
「あの……僕はこの先どうなるのでしょうか」
着慣れぬ衣装を着せられ、これまでまったく縁がなかった政治的な儀式に参加する。
そのことで極度の緊張を覚えたボルドは不安で思わずそう尋ねる。
小姓は相変わらず無表情だが、彼の意を汲み取ったようで静かに答えた。
「分かりませぬ。ブリジットのご寵愛を受けられれば、この先も安泰な暮らしが出来るやもしれませぬ。しかしそうでなければ解任され、その後はこのダニアを追放されることとなりましょう」
「今までのブリジットの情夫はどうされたのですか?」
追放されてしまったのだろうか。
前任者の行く末が気になりそう尋ねたボルドだが、それに答えたのは小姓ではなく女性の声だった。
「おまえはブリジットの初めての情夫だ」
そう言ったのは天幕に入ってきた女戦士だった。
昨日、彼の体を洗い、性器を指でつまんで嘲笑した女戦士の予期せぬ登場に、ボルドは思わず身を強張らせる。
そんな彼を見て女戦士はニヤリと笑った。
「ダニアのブリジットは18歳になるまで男知らず。処女なのが鉄の掟だからな」