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第38話 『裏切者』

「やれやれ……見られたか」


 そう言って顔をしかめたのは、ボルドの護衛をしていたはずのリネットだった。 

 

 彼女が……どうしてここに?

 なぜ自分を?

 ボルドは目の前の状況に理解が追い付かず、目を白黒させる。

 そんなボルドを見下ろし、リネットは苦笑を浮かべた。


「何でアタシがこんなことを? って思ってるんだろうね。そりゃそうだろうさ。だけどボルド。出来れば騒がずおとなしくついて来てくれないか。命を取ったりはしない」


 彼女のその言葉でボルドは否応いやおうなしに知った。

 自分を気絶させ、縛り上げてこんな場所に連れてきたのはリネットなのだと。

 だが、なぜ彼女がそんなことをするのか彼はまだ理解できない。

 リネットはブリジットからボルドの護衛を命じられていた。


 だが、これはどう見ても護衛の一環とは思えない。 

 連れ去りだ。

 リネットはブリジットの命令に背いたということだろうか。

 その理由が分からず目を白黒させるボルドを見てリネットは困ったようにため息をついた。


「ふぅ。まあ、すぐには理解できないと思うけど、アタシはこの時を待っていたんだ。アンタをこうして連れ去ることが出来る時をね」


 そう言うとリネットは立ち上がり、頭巾ずきんを被って再び荷車を引いて歩き出す。

 一体どこに行こうというのか。

 ボルドはそう思ったが、このままだまって連れていかれるわけにはいかない。


「むぐぅぅぅ!」


 ボルドは必死に声を上げ、身をよじって何とか物音を立てようとする。

 誰かが気付いてくれたら。

 そう考えてのことだったが、リネットはそんなボルドに冷然と声をかける。


無駄むださ。今、ブリジットを含めた里の連中は襲撃への対処で手いっぱいだからね。アンタがここでそうしてか細い音を立てたって、誰にも聞こえやしない。さっきの2人はたまたま近くにいたが、この状況なら襲撃の苛烈かれつな里の中心部に人員は集まるから、この辺りは手薄なんだよ」


 そう言うとリネットは林の中を進み続け、ほどなくして奥の里の敷地の終わりを示す防壁が見えてきた。

 防壁は難燃剤を塗り込んだ硬いかしの木で作られていて、その高さは4~5メートルにはなる。


 その防壁の前では……もう1人の人物が待ち受けていた。

 その人物もリネットと同じように外套がいとうに身を包み、頭巾ずきんを被っていて、リネットに声をかけてくる。


「予定通りだな」


 それは女の声だった。

 その声を発した人物の体格はリネットよりも大きく、ブリジットと同じくらいに見えた。

 リネットは荷台にボルドを縛りつけていたなわを手際よく解きながら、その女に言葉を返す。

  

「本家の女たちを甘く見るな。そちらの手勢も何人か死ぬぞ」

「おまえこそこちらを甘く見るな。死は元より覚悟の上だ。襲撃班には全員、毒を持たせてある。捕虜ほりょになるくらいなら死ねとな」


 そう言うと女はチラリと荷台の上のボルドを見た。

 荷台からは解放されたボルドだが、その両手両足はまだなわで縛られたままであり、体の自由は利かない。


「そいつがブリジットの情夫か。なるほど。良く手入れされた美しい黒髪だ。かなり大事にされているようだな」

「忠告しておくが、この坊やの取り扱い方を間違えると、女王の激しい怒りを買うことになるぞ」


 リネットの言葉に相手の女はのどを鳴らし、わずかに肩を揺らして笑った。

 

「ククッ。そしてワタシの母のように腕を斬り落とされるということか」


 その言葉にリネットは何も答えなかったが、ボルドは思わず息を飲んだ。

 ワタシの母……?

 かつて情夫バイロンを奪われた先代のブリジットは怒りに燃え、分家から派遣されていた盟友だったはずのベアトリスの片腕を斬り落とした。

 そしてそのベアトリスは分家の女王クローディアの実妹だったという。

 ということはこの人物は……。 


 ボルドは荷台の上で懸命に顔を上げ、女の姿を見ようとする。

 だが女はボルドを軽々と荷台の上から肩に担ぎ上げた。


「こいつをこうして誘拐ゆうかいした時点ですでにブリジットの怒りは止められはしないさ。リネット。その怒りは無論、裏切者のおまえにも向くぞ」

「覚悟の上だ。だが、ダニアは変わらねばならん。今のままでは滅びの道を突き進むだけだからな」


 迷いなくそう言うリネットに女はうなづいた。


「ならばいい。我らの利害は一致している。ちなみにこの情夫の名は?」

「……ボルドだ。元はボールドウィンという名だったらしい」

「なるほど。公国風の名だな。ではリネット。こいつは預かっていくぞ。安心しろ。大事な客人だからな。丁重にもてなしてやる」


 そう言うと女はその場にグッとかがみ込んだ。

 そして信じられないことにボルドをその肩に抱えたまま、大きく跳躍ちょうやくして5メートルはある防壁をひとっ飛びに越えてしまったのだ。

 防壁の向こう側に着地すると女はボルドを抱えたまま、急斜面を勢いよく駆け下り始める。

 その速さと身軽さはまるで鹿のようで、足場の悪い急斜面だというのにまったく危なげない足取りで女はあっという間に斜面を谷底まで駆け降りていった。

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