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第36話 『不穏な雨』

 夜が明ける前に着替えを終えたブリジットとボルドの元にシルビアが訪れた。

 黄泉よみ送りのとぎが無事に終わったことをブリジットが告げると、シルビアは涙をこらえて深々と頭を下げた。


「お務め、お疲れ様でございました。先代もご安心されたことでしょう」


 それから午前中のうちに先代の遺体は再び運び出され、広場で火葬の儀が行われた。

 ダニアの者たちが見守る中、先代ブリジットは荼毘だびに付され、白い煙となって天へとゆっくり上っていったのだ。


「母上。どうか安らかに」


 ブリジットは風に吹かれて消えていく白い煙を見送る。

 それはまるでたましいが天に召されるのを体現しているかのようだった。

 空を見上げるブリジットの横顔は美しくて、そして悲しげだった。

 ボルドはそんな彼女を案じるように見つめていた。


 公の場のためボルドは彼女から遠く離れた場所で見守ることしか出来ない。

 だがブリジットはダニアの者たちの前で毅然きぜんとした態度でその場にのぞみながらも、ほんの一瞬だけボルドに視線を送り、その右手をスッと握る素振りを見せた。

 つかの間のことなので誰もそれを見咎みとがめる者はいなかったが、ボルドはおのれの心に喜びが広がるのを感じながら自ら左手を静かに握る。

 彼女と手をつなぎ、心を通わせているつもりで。

 こうして離れてはいるが、心は常に彼女に寄りっていたかった。


 そして先代ブリジットの遺骨は、その日の昼に先祖代々のブリジットが眠る墓へと納骨された。

 墓前には亡き母をしのぶ白いカーネーションが供えられ、見る者の涙を誘った。

 これにて先代の死にともなう全ての儀式が終了したことになる。


 儀式を終えた午後、奥の里は気だるい雰囲気ふんいきに包まれていた。

 悲しみにしずむ者、儀式の緊張感でくたびれてしまった者などが各々、普段とは異なる落ち着かぬ心持ちで疲れたように過ごしていた。

 おそらく明日になれば皆、気持ちも切り替わるだろうが、この日ばかりはボンヤリと物思いにふけったり疲れた心身を休める者たちがほとんどだろう。


 ブリジットも午後は一切の執務しつむから解き放たれ、静かに母の部屋を整理していた。

 先代が死に、使われなくった物をブリジットはひとつひとつ片付けていく。

 そうすることでゆっくりと亡き母をしのびたいと思ったからだ。

 いずれその部屋はブリジットが年老いた時に使われることになるが、母との思い出がある物だけは残しておこうと思った。


「見ろ。ボルド。これが我が父・バイロンだ」


 そう言ったブリジットの手には彼女の父であるバイロンの生前の姿を描いた肖像画を収めた額があった。

 穏やかな表情を浮かべた顔立ちの美しい黒髪の男。

 顔の造りボルドには似ていないが、どことなく雰囲気が似ていた。

 肖像画はこの部屋にあったものだが、壁に飾られていたのではなく、机の中にしまわれていた。


「壁にかけるといつでも目にしてしまうので母上も辛かったのだろう。時折、机から取り出しては父上のりし日のお顔を見ていたようだ」

 

 肖像画は同じものがいくつかあり、母がさびしくないようひつぎにも一枚入れておいたとブリジットは悲しげに言う。

 ボルドはそんな彼女を見守る様にシルビアと共に遺品の整理を手伝った。

 奥の里はそうして静かな時間が流れていた。


 一連の儀式でさすがにブリジットも心労の色が濃く、この日は夜の数時間だけ、リネットがボルドの護衛任務にくことになった。

 その数時間だけでも仮眠をとってほしいというリネットの申し出だ。

 午後になると次第に天候が悪化し、降り始めた雨は日が暮れてリネットがボルドの護衛任務に訪れる頃には、徐々に強さを増しつつあった。


「だいぶ降ってきたな。夕餉ゆうげの後くらいには大降りになるかもしれん」


 窓の外を見てそう言うと、ブリジットはリネットと入れ替わりに玄関へ向かう。


「リネット。ボルドのことを見ていてくれ。すぐ戻る」


 かさを手に玄関で一度立ち止まったブリジットは、そこで振り返るとボルドに目を向けた。


「母の墓に供えたばかりのカーネーションがどろで汚れてしまうからな。あれは母の好きな花だったんだ。ちょっと行って取ってくる。少し待っていろ。ボルド」


 そう言うとブリジットは降りしきる雨の中を足早に出かけていった。

 それを見送るボルドの背中にリネットが声をかける。


「ボルド。いい情夫になってきたね」

「えっ?」

「ああして自分の気持ちや行動を細かく伝えるってことはブリジットがボルドを信頼しているってことさ。今はボルドが心のり所なんだろうね」


 リネットのその言葉にボルドは胸が温まるのを感じた。

 ブリジットの心の支えとなれるならば何よりも嬉しい。

 そう思ったその時だった。


 本邸ほんていの裏手でふいにゴトンと大きな音がしたのだ。

 本邸ほんていの中にはシルビアや小姓こしょうたちが数人控えていたが、明らかに彼らが立てた物音ではなかった。

 リネットは反射的にボルドの頭を押さえつけ、彼の体にのしかかるようにして床にせさせる。


「リ、リネットさん?」

「シッ! 声を出さないこと」


 そう言いながらリネットは警戒して周囲の気配を探る。

 ボルドは先日の襲撃を思い返して息を飲んだ。

 音はその一度きりだったが、異変に気付いた小姓こしょうたちが建物の中をバタバタとあわただしく走る音が聞こえてくる。

 強まる雨の音も相まって、不穏な雰囲気ふんいきただよいはじめていた。


「ボルド。こっちへ」


 そう言うとリネットは低い姿勢のままボルドを引き連れて廊下ろうかからとなりの部屋へと移っていく。

 そこは窓のない物置だった。

 窓からの襲撃を警戒して安全な部屋に避難したのだとボルドにも分かった。

 しかし……そう思ったその時、いきなりゴンッと首の後ろに強い衝撃を受け、視界が暗転してボルドの意識は断ち切られてしまった。

 遠いどこかで、リネットが何やら自分に呼びかけているのが聞こえたが、それもすぐに消えていった。

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