第32話 『彼女のいない3日間』
「随分と気落ちした顔だね。ボルド。ブリジットに追い出されたのかい?」
ブリジットの亡き母が眠る部屋を1人後にしたボルドを廊下で待っていたのは、ベテランの女戦士リネットだった。
「リネットさん……先代が」
ボルドの言葉にリネットも沈鬱な面持ちで頷いた。
「ああ……まさかこんなに早いとはね。残念だ」
夜が明けてボルドの護衛任務に就くために別邸を訪れたところで、リネットは先代の訃報を聞かされた。
「アタシが成人して戦士になった時、先代にはよく目をかけてもらったんだ。強くて鋭い刃みたいな目をした人だった。あんなことがある前まではね」
ボルドを控室に案内するべく廊下を歩きながら、リネットは懐かしむようにそう言った。
あんなこととは無論、バイロンの一件だとボルドも分かっている。
「ブリジットは母君を敬愛していたからね。今は何も考えられないだろう。だが、それでもブリジットは一族の長として先代の葬儀を取り仕切らねばならない。人の上に立ち皆をまとめる立場ってのは辛いもんさ。孤独なんだ」
そう言うリネットの目にわずかに寂しげな色が浮かぶ。
彼女の言う通り、引退したブリジットが亡くなると、当代のブリジットが取り仕切り、葬儀が行われる。
親を亡くして失意の中にある中での大仕事は辛いものだ。
ボルドは今のブリジットの胸中を推し量り、己の無力さに歯噛みする。
目の前の仕事に追われているブリジットは人前で泣くことも許されない。
もちろん自分にそんな彼女の心を覆う黒い霧を晴らしてあげられる、などとはとても思えない。
だが今こそ彼女の傍にいて、その心から零れ落ちる感情の欠片を少しでも受け止められたら。
ボルドの口からそんな思いが言葉となって漏れ出る。
「私は……こんな時こそブリジットをお慰めせねばなりませんが、何をどうしたらいいか」
そう言って眉根を寄せるボルドにリネットは穏やかな笑みを浮かべる。
「まあ焦らないことさ。今ボルドに出来ることはとにかく自分の心身を整えてブリジットの指示を待つしかないよ。ブリジットが要望してきたことにすぐに答えられるように準備をしておくんだ。それに……すぐにボルドには大役が回ってくることになる」
リネットの言葉にボルドは思わず足を止めた。
「大役……とは?」
「それはブリジットから正式に指示されれば分かるよ。昔からダニアには先代のブリジットが亡くなった際に当代のブリジットの情夫が務める仕来りがあるんだ。バイロン殿もしたことさ」
リネットはそれが何なのか明言はしなかった。
そして先代の死はこの日のうちに奥の里に正式に通知され、里に住む者たちや滞在中の本隊の者たちは全員、喪に服していることを示す黒い腕章を身に着けた。
ブリジットは葬儀を3日後に決定し、その日から奥の里はその準備に明け暮れる者たちで忙しくなった。
この日から葬儀までの3日間。
ブリジットは多忙を極め、一度もボルドの元に戻って来なかった。
その間、昼はリネットが、夜はベラとソニアが交代でボルドの護衛についた。
分家の手の者が、この機に乗じてボルドを誘拐しようと画策するかもしれないからだ。
しかし昼の間はともかく、夜眠る時までベラとソニアがすぐ傍で見張っているというのはボルドにとって落ち着かないものだった。
ベラはとにかく喋り続け、逆にソニアはムスッとした顔でじっとボルドを見ているため、心休まらないというのもあったが、ブリジットが今どのような気持ちでいるのか気になって仕方ないというのが、自分が落ち着かない一番の理由だとボルドも自覚していた。
ブリジットのいない3日間、主の戻らぬベッドでボルドは眠れぬ夜を過ごし続けた。
たった3日がひどく長く感じられる。
寝室の外に足音が聞こえるたび、彼女が戻ってきたのかと心が沸き立つの感じては肩透かしを食うばかりだった。
そしてブリジットが戻ってこないまま、いよいよ葬儀を夕刻に控えた日の朝を迎えた。
この日は朝から滋養食が出され、ボルドを驚かせた。
「あの……これは?」
通常、滋養食は夕飯の時のみに供される。
朝からそれを食べることは今まで一度もなかったことだ。
配膳をする小姓は戸惑うボルドに淡々と答えた。
「ブリジットからの通達です。今日の朝と昼は滋養食を食していただきます。見たところ寝不足気味の御様子ですので、食後は軽く仮眠をお取り下さい」
「何か理由があるのですね?」
ボルドの問いに小姓は静かに頷いた。
「夕刻の葬儀を終えた後、黄泉送りの伽を行っていただきます」
「黄泉送りの……伽?」
聞いたことのない話にボルドは眉を潜めた。
「ダニアに伝わる葬送の儀式です。先代の御遺体がご安置された寝室で、ブリジットとボルド様には伽を行っていただきます」
小姓の言葉にボルドは声を失い、息を飲む。
この日の夜、ボルドは驚愕の儀式に臨むこととなったのだ。




