第30話 『黒い髪』
「よう。ボルド。先代はどうだった?」
ブリジット母娘を残して部屋を出たボルドが別邸の控室に戻ると、そこには眠そうな顔をしたベラとソニアが待っていた。
ボルドが部屋での様子を伝えるとベラは肩をすくめる。
「そうか。しかし娘の夜伽を覗くってのは、ちょっと信じられねえな。ソニア。おまえ、男とヤッてるところを母親に覗かれたらどうするよ」
そう言って話を振って来るベラの脇腹をソニアがドスッと拳で突いた。
「いってぇ! て、てめえ! 何しやがる!」
「デカイ声でくだらないことを。その調子で外でペラペラ喋るなよ。おまえの口はダンデライオンの綿毛より軽いんだからな」
そう言うソニアにベラは不服そうに口を尖らせる。
そこでボルドはふと思ったことを尋ねた。
「あの……黒髪というのはそんなに珍しいのでしょうか?」
そんなことを口にするボルドにベラもソニアも怪訝な表情を見せる。
「うん? いきなり何の話だ?」
そこでブリジットが部屋に入って来たため、話は中断した。
ブリジットは入口近くに置かれているテーブルの上の水差しを手に取ると、それをグッと一息に飲み干した。
少し疲れた表情を見せる彼女にベラが声をかける。
「ブリジット。先代は?」
「……眠った。だいぶお疲れだったようだな」
そこでブリジットは旧友の2人に神妙な面持ちで声をかけた。
「ベラ。ソニア。おまえたちには知っておいてもらいたいが、先日の覗き犯はボルドを狙っていた可能性が高い」
ブリジットは長椅子に腰をかけると、母である先代から聞かされた話を対面の2人に聞かせた。
ソニアは眉を潜めてムッツリと黙り込んでいるが、口を閉じてはいられない性分のベラはブリジットとボルドを交互に見ながらまくし立てた。
「ちょっと信じられねえな。ボルドを狙うのはブリジットの情夫だから人質としての価値があるって理屈なら分かる。けどよ、分家の奴らが黒髪の男を集める理由は何だ? 部族の女たちに番わせる? 黒髪の赤子でも増やそうってのか?」
もしもそうだと仮定して、分家の者たちも同じダニアの血族であるため、生まれる赤子のほとんどは女児であり、その髪も赤毛になる。
だが、後に小姓となる運命の一部の男児たちは黒髪になる可能性が高い。
「その理由については聞けなかった。母上がお疲れになってしまったのでな」
そう言うブリジットのやや悄然とした表情を見て取ったのか、ソニアがベラの脇腹を肘で小突き、ベラもそこで口を閉じた。
2人とも、ブリジットが母親の心身の不安定さを憂いていることを知っていて、それを慮る気持ちがあるのだとボルドにも分かった。
そこでベラは気を取り直してボルドに目を向けると先ほどの問いに答えて言う。
「だからいきなり黒髪のことを聞いてきたのか。確かに黒髪は珍しい。少なくとも先代の情夫だったバイロンさん以外にアタシが見たのはボルドだけだ。おまえの親はどうだったんだよ」
ベラに唐突にそう話を向けられたボルドはやや面食らった顔を見せるが、ベラだけでなくソニアもブリジットも自分の返答に注目しているのを見て、彼は記憶の中を探りながら答えた。
「……私は3歳で死に別れ、両親の顔はおぼろげにしか覚えていないのですが、黒髪ではなかったような気がします。それに両親の死後、身寄りのなくなった私を奴隷商に売り渡した農夫が言っていました。私は拾われ子で両親と血はつながっていないと」
血を分けた親を知らぬことはボルドにとって当たり前のことだったが、ブリジットはそんな彼を気遣うようにその黒髪を撫でた。
「……かつて父が言っていた。この大陸の西端を領土とする王国には、数は多くないが黒髪の一族の末裔が存在していると。今この大陸にいる黒髪の者は皆、その血を引く者たちだそうだ。ボルドの血脈もそこから来ているのだろう。そして分家の奴らが領地を貸与されているのがその王国だ。その辺に何かしらの事情があるのだろうな」
そう言うとブリジットは椅子から腰を上げる。
「ベラとソニアはもう戻っていいぞ。夜中にご苦労だったな。分家の奴らの話については明日以降、母上が落ち着かれた時に詳しく聞いてみることにする」
ブリジットはそう言った。
だが、彼女が母からその話を聞くことは永遠になかった。
翌日の朝、ベッドで目を覚ますはずの先代が……息を引き取っていたからだ。




