第29話 『命ある限り消えぬ憎しみの炎』
まだ真夜中の別邸に煌々と明かりが灯っている。
ボルドはブリジットの後について別邸の奥にある一部屋を訪れた。
そこではベラとソニアに付き添われ、すっかり生気の抜けたような顔で椅子に腰をかけている先代の姿があった。
ブリジットがボルドを連れて入室すると、ベラとソニアはわずかに驚いた顔を見せたが、ブリジットの目配せを受けてすぐに2人は退室していった。
「母上。お加減はいかがですか?」
気遣わしげにそう言いながらブリジットは母の隣に座る。
そばに寄り添うブリジットしか見えていないようで、先代は娘にすがりつくようにして言葉を募らせた。
「ああ、ライラ。あのね、バイロンの声が聞こえたの。あの人、アタシを呼んでいるんだわ。この時期はまだこの里の夜は冷えるから、きっと震えているのよ。かわいそうに。早く温めてあげなくちゃって思ったら、いてもたってもいられなくて」
そう言う先代の目は茫洋としていて、彼女がおぼろげな意識の中にあることを示していた。
それを見たブリジットの目に悲しげな色が滲むのをボルドは見逃さなかった。
だがブリジットはすぐに気を取り直すと、母を安心させるよう穏やかな口調で言う。
「大丈夫です。父上は暖かな場所で穏やかにお眠りいただいております。何もご心配なされぬよう。それより母上、我が情夫のボルドを連れてまいりました」
そう言うと部屋の入口で控えているボルドを呼び寄せる。
そこで初めて先代はボルドが部屋にいることに気が付いたようで、顔を上げてまじまじとボルドを見つめる。
するとそれまで薄く開けられていた先代の目がハッキリとした光を宿した。
そして彼女はわずかに声を震わせて言う。
「ボルド……ああ、そうだった。ライラにも情夫が出来たのですものね」
そう言う先代の前にボルドは片膝をついて頭を下げる。
そんなボルドの姿を間近に見て先代は目を細めた。
「あなた。うちの娘をよく慰めてちょうだいね」
母親らしいその声音にブリジットは悲喜こもごもで複雑な表情を浮かべる。
先ほどまでとは違う理性的な先代の物言いだが、やはりシルビアの言った通り、意識が現実と夢うつつとを行き来しているようにしか見えなかったからだ。
ブリジットはそんな思いを振り払うように先代の手を軽く握って言った。
「母上。アタシは何があってもこのボルドを守り抜きます」
まっすぐな娘の瞳を受け止めた先代の目に、静かだが凛とした色が浮かぶ。
「そうなさい。黒髪の子は分家の者たちから狙われるから気をつけるのよ」
「……何ですって?」
思わぬ母の言葉にブリジットは二度三度と目を瞬かせた。
そんな娘の視線を受けて先代はふと目を閉じる。
「あの憎らしい分家の女王クローディアは、大陸中から黒髪の男を集めて、次々と部族の女たちに番わせては子を産ませているのよ。バイロンもそうして狙われて……」
驚くほど毅然とした口調でそう言った先代は、そこで再び肩を落として泣き始めた。
ブリジットはそんな母の肩をやさしくさすりながらも、真偽の分からぬその話に困惑の表情を浮かべた。
「母上……アタシは初めて聞きました。その話は……」
「あの女が……ベアトリスが言っていたのよ」
ベアトリス。
その名を口にする先代の目に恐ろしいほどの憎悪の色が宿るのを見て、思わずボルドは俯いて視線を逸らした。
ベアトリスの謀略に端を発した事件の果てにバイロンは命を落とした。
その事件があってからもう何年も経っているが、先代にとっては今なお、あの日のまま憎しみが続いているのだとボルドは感じた。
それは深く黒い渦のような、他者にはどうしたって消し去ることの出来ない怨念のように思えてボルドは思わず肩を震わせる。
「ということは少なくとも数年前にそういうことがあったということですか。母上。そのお話、出来れば詳しく……」
そう言うブリジットの腕を先代はいきなり掴んだ。
震えて弱々しい手が必死にブリジットの腕にすがりついている。
「ライラ。バイロンを守って……あんな奴らの汚れた手で触らせないで……うぅぅぅ」
すでに先代の目に理性的な光はなく、記憶と現実が混濁とし始めていた。
ブリジットはゆっくりと母の背を撫でながらボルドを見やる。
今夜はこれ以上の問答は無理だとブリジットが首を横に振るのを見たボルドは、その場を母と娘だけにするべく部屋を後にするのだった。




