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第27話 『この世に生まれる命』

「はあっ……はっ……ブ、ブリジット」

「どうした? 今夜はよく鳴くな。ボルド。滋養食をいつも以上に食べたわけでもあるまい?」


 夕食を終えたブリジットはその足でボルドを寝室に連れ込んだ。

 そして彼の素肌を荒々しく堪能たんのうし、ベッドを激しくきしませる。

 昨夜、何者かにのぞかれていたというのにブリジットはまるで気にすることなく、豪気なことに昨夜よりも熱のこもった愛撫あいぶでボルドを味わった。

 ボルドはたかぶる気持ちを抑えきれず、その口からは嬌声きょうせいあふれ出る。


「あっ……ああっ……」


 ブリジットが激しいのはいつものことだ。

 それをボルドがいつも以上に敏感びんかんに感じてしまっている。

 何者かにのぞかれていた窓には今夜はカーテンがかけられていた。

 それによる安心感というだけではない。

 先ほど、ブリジットとの間に子が宿ることを想像してしまってから、ボルドは気のたかぶりを御し切れずにいた。


 ほんの少し前まで、自分は奴隷どれいとしてどこかであっけなく野垂のたれ死ぬものだと思っていた。

 はるかな昔から引き継がれてきたこの体に流れる血の連鎖れんさは、行き止まりの袋小路ふくろこうじのように自分のところで途切れるものだと。

 必然、自分の子を残すなどと望んだことすらなかった。

 だが、今こうしてブリジットとのとぎにふける自分は、生き物として子孫を残すという本能に突き動かされているのだとボルドは自覚していた。


「ブ、ブリジット……もう」

こらえるな。思うままに吐き出せ。アタシが全部受け止めてやる」


 ブリジットのその言葉が快感の波となってボルドの我慢の堤防を決壊させる。

 彼女が見下ろす下でボルドは快感のいただきに達して果てた。

 ブリジットは一度だけ大きくのけぞって体を震わせると、満足げにボルドの上に体を倒す。

 顔と顔はすぐ近く、しばしの間、2人の荒い息遣いきづかいが寝室の中に響いた。

 ボルドはブリジットに温かく包まれたままゆっくりと天井を見つめた。

 すぐ耳元でブリジットがささやく。


「母は……アタシを身ごもった時、どのような気持ちだったのだろうな」


 それは独り言のようなブリジットの言葉だったが、ふとボルドの心の水面みなもにドボンと重い石が落とされた気がした。  

 ブリジットの体に子が宿るということは、新たな命が生み出されるということだ。

 そして命が生み出されるということは、もう一つの人生がこの世に現れるということだった。

 その人生は次代のブリジットとして重責をになうものとなるだろう。 

 それは……幸せなのだろうか。

 人として生まれてくることが、幸せなのだろうか。


 ボルドは自分もこの世に生み出されたひとつの命であることを振り返る。

 果たして自分は幸せだっただろうか。

 この世に生まれてきた自分は自分が望む人生を生きて来られただろうか。

 今はこうしてブリジットに拾われて十分な食事を与えられ、雨風をしのぐ屋根の下で温かく眠ることが出来ている。

 それはただ、たまたま彼女が自分を見つけてくれたからだ。


 奴隷どれいとして暮らしていた頃の自分を思い返し、それが幸せとは無縁の人生だったとボルドは痛感する。

 粗末な食事すら必ず毎日与えられるものとは限らず、空腹であることが常だった。

 たとえ体の調子が悪くとも思いやってくれる者は誰もなく、容赦ようしゃなく日々の労働は続く。

 自分が死んでも代わりはいくらでもいるからだ。

 それが当たり前すぎて感覚が麻痺まひしていたのは、きっと自分自身の心を守るための防御本能だったのだろう。

 ふとボルドは胸の底からこみ上げる感情に視界が揺らぐのを感じた。


「ボルド……どうかしたか?」


 ブリジットは顔を上げ、ボルドの顔を見て 

 気付くとボルドは声を殺して泣いていた。

 悲しいからなのか、嬉しいからなのか彼自身にも分からなかった。

 だが、感情がどうしようもなく揺さぶられ、ボルドは必死に嗚咽おえつこらえながら言った。 

 

「も……申し訳ありません。ブリジットの御寵愛ごちょうあいたまわっている最中だというのに」


 そう声をしぼり出すボルドを見てブリジットは震える彼のほほをそっとでた。


「……ボルド。おまえは情夫でアタシのとぎの相手が主な仕事だ。だが、アタシはそれだけをおまえに求めているわけではない」

「えっ?」

「おまえを拾ってまだ10日足らずだな。だが、おまえと過ごす時間すべてが今のアタシをやしてくれている。なぐさめや方便で言っているのではないぞ」


 そう言うとブリジットはボルドの体の上から下りてすぐとなりに身を横たえ、ボルドの体を抱きすくめた。


「いいものだな。無防備に眠る時にこうしてぬくもりを感じられるのは。アタシとてこうしたぬくもりに触れることで救われるのだ。ボルド。おまえはそうした喜びをアタシに与えてくれている。それだけはまぎれもない事実だ」


 そう言うとブリジットはボルドの黒髪をでて穏やかに微笑んだ。

 さざ波立っていた心がいで、ようやくボルドは落ち着きを取り戻した。


「……申し訳ありません。私がブリジットを御慰おなぐさめする立場だというのに」

「おまえに……」


 そう言いかけたブリジットはそこでハッとして起き上がると、まくらの裏に隠されている短剣を手に取り、すぐさま窓辺に駆け寄りカーテンを引き開けた。

 すると窓の外に人影がハッキリと浮かぶのがボルドにも見えた。

 昨夜と違うのはその人影が窓の外で立ち尽くし、そこから一歩も動かなかったことだ。


 右手で短剣を構え、左手で窓を開けたブリジットは、そこでおどろきに目を見開いたまま動けなくなってしまう。

 そんな彼女の口からかすれた声がれ聞こえてきた。  


「……は、母上」


 そう。

 寝室をのぞき込むようにして窓の外に呆然ぼうぜんとした表情で立ち尽くしていたのは、ブリジットの母親である先代ブリジットだったのだ。

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