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第20話 『汚された情夫』

「しかし母は父を失うことを恐れるあまり、仲間の誰にも告げず、たった1人で指定の場所へと馬を走らせた。そして……そこでまわしい事件が起きたのだ」


 そう言ったブリジットの顔はまるで当時の先代の怒りと憎しみが宿っているかのような怒気をはらんでいて、ボルドは思わず息を飲んだ。  

 

「正気の沙汰さたではない。まんまとベアトリスの計画通りとなったわけだが、そこで向こうも計算が狂った。ベアトリスは父を無傷で引き渡すことで母からの譲歩じょうほを引き出そうとしていたのだが……」


 ブリジットを倒したところでベアトリスに敵対する7割が素直すなおに降伏するとは思えなかった。

 次代であるライラをブリジットとして擁立ようりつし、攻めてくることは明白であり、そうなればベアトリスの計画は頓挫とんざする。

 それを防ぐためにもベアトリスはブリジットから正式に本家の長を譲位じょういされ、ブリジットの身柄みがらを分家の女王クローディアの元へと送ることで、本家を自分が手に入れることを目論もくろんでいた。


「だが……父を誘拐ゆうかいした実行犯が先走った」


 そこから先の話はブリジットにとって辛いものだったのだろう。

 彼女は拳を強く握り締めていた。

 ベアトリスの指示でバイロンを誘拐ゆうかいした実行犯の女数名は、ダニア本家の中でも先代ブリジットに強い不満を持つ者たちだった。

 気に入らない自分たちの長を痛い目にあわせたい彼女らにとって、ベアトリスの計画は渡りに船だったのだ。

 その者たちによってたかってバイロンは痛めつけられ、その身をはずかしめられた。


「父はひどくなぐられ全身傷だらけ。その上、精力剤を危険なほど大量に盛られ、実行犯の女たちに無理やり……犯された」


 ボルドはその行為の恐ろしさに慄然りつぜんと身を震わせた。

 ブリジットの情夫は他の女と関係を持つことを禁じられ、その禁を破ればいかなる理由があろうとも死罪はまぬがれない。

 そしてその相手となった女も同罪だった。

 ブリジットの情夫を寝取ることはダニアの女にとって絶対の禁忌きんきであるはずだ。

 それをするというのは反逆行為と同義であり、実行犯の女たちがよほど先代ブリジットに不満を持っていたことになる。

 ブリジットは怒りに握り締めた拳を震わせながら声をしぼり出した。

 

「母は……その瞬間を見てしまった。実行犯の女たちはそれを母に見せつけることで復讐ふくしゅうを果たしたつもりだったんだろう。だが、その場は地獄絵図と化した」


 最愛の情夫であるバイロンが女たちに傷つけられ汚されているのを見た先代は、その場でそこにいる実行犯の女たちを全員、惨殺ざんさつした。

 応戦したベアトリスすら怒り狂った先代の剣を受け止め切れず、利き腕たる右腕を斬り落とされて命からがらその場から逃げ出すのが精いっぱいだった。

 

「母がいなくなったことを知った側近たちがその足跡を追っていくと、血の海となった現場で気絶していた父を抱きしめた母の姿があったという。あまりに凄惨せいさんな様子に側近たちは近付けば自分たちも斬り殺されるのではないかと、迂闊うかつに母に近付けなかったそうだ」


 そしてベアトリスは追われる身となり、そのまま行方ゆくえ知れずとなった。

 切断したベアトリスの腕を持ち帰ると、彼女に付いていた3割の者たちは戦意を失って投降した。


「だが母は彼女らを許さなかった。全員、例外なく斬首ざんしゅしたのだ」


 ボルドはとても信じられなかった。

 生気を失っていたあの中年女性がそのような鬼の所業を働いたなどと。


「だが……その後に待っていたのは父への処罰だ。母は自ら手を下した」

「御父上は……被害者ではないのですか?」


 ボルドが震える声でそう言うと、ブリジットは椅子いすひじかけを拳でドンと叩いた。


「被害者だとも。決して自らの意思で他の女と交わったわけではない。だが……母は許せなかったのだ。最愛の父が他の女と交わったという事実が。それを理性で受け止められぬほど母の心は自らの嫉妬しっとの炎で焼き尽くされていた」

 

 仲間たちが見守る前で、先代ブリジットは最愛の情夫バイロンの首を自らの剣で断ち切った。

 その時、まだ14歳だったライラはシルビアに連れられ奥の里に戻っており、その処刑の場には立ち会わなかったという。

 彼女が父の死を知らされたのはそれから少しってからのことだ。


「父は斬首ざんしゅされる最後の瞬間までおだやかだったという。母の立場をおもんばかってのことだろう。自らの死を前にして母を気遣きづかったのだ」


 何と心の強い人だったのか。

 ボルドにはとてもその心境は想像できない。

 

「一方、母は血の涙を流しながら剣を振り下ろした。そして斬り落とされた父の首を胸に抱くと、そのまま気を失ってしまった。その時に……母の心も死んだのだ」


 以降、先代ブリジットは一切の政務を行うことが出来なくなり、その娘のライラが若干じゃっかん14歳にして成人戴冠(たいかん)前に代理の長を務めることになったのだ。

 彼女が正式にブリジットとなる一年前の出来事だった。

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