第19話 『分家からの刺客』
「今後もここに来るだろうし、何も知らねばおまえも振る舞いに困るだろうからな。我が母がなぜあれほどまでに愛する父を処刑せざるを得なかったのか。それを話しておこう」
そう言うとブリジットは静かに目を閉じ、かつて自分が経験した出来事について話し始めた。
「父は元はこの奥の里に出入りする商人だった。それを母が見初めてな。半ば強引に連れ去るようにして情夫にしたのだ。だが、父もそれを強くは拒まなかったということは、少なからず母に好意を寄せていたんだろう。まあ娘のアタシから見ても仲の良い2人だった」
そう言うブリジットの口元にはほのかな笑みが浮かんでいた。
閉じた目の向こうに在りし日の両親の姿を見ているのだろう。
だが、そこでその表情が曇り、彼女は再び口を開く。
「先代の時代にダニアにはベアトリスという女がいたんだ。彼女はアタシのような金髪でもなければ、ベラたちのような赤毛でもなく、銀色の髪を持つ女だった」
ボルドが知る限り、ダニアの中で金髪なのはブリジットのみで、それ以外の女たちは全員が赤毛だった。
「ベアトリスは分家から来た女だ」
分家という言葉に、ここに来る途中で襲撃してきた赤毛の女戦士の顔をボルドは思い返した。
今、その遺体は奥の里の調査員によって検分されているところだ。
分家とは数百年前にこのダニアと枝分かれした同族の集団だった。
「分家の者らはこの先の山脈を超えた海側にある王国の端に領地を許され、そこに住んでいる。実は先代の時代までは我ら本家と分家には交流があってな。互いに人員や物資を送り合っていたんだ。アタシも子供だったがよく覚えている」
そう言うとブリジットは窓辺を離れ、再びボルドの隣に腰を下ろす。
「その分家から派遣されたベアトリスは当時の分家の主である先代女王クローディアの妹で、こちらに来てからは母の右腕としてよく働いた。アタシも幾度か話したことがあるが、豪気な性格の女だった。剣の腕前も母と互角に渡り合うほどだったな」
「先代と互角ということは、その女性も……」
「そうだ。分家の女王の家系も我らと同じ異常筋力がある」
ブリジットは椅子の背もたれに身を深く預けると天井を見上げた。
「母とベアトリス。途中までは協力し合ってうまくいっていたんだが……それは破綻した。ベアトリスは分家からある密命を受けてダニアに入ってきていたんだ」
「密命?」
思わずそう聞き返すボルドをチラリと見てブリジットは頷く。
「ああ。母を女王の座から引きずり落とし、ダニアの本家を分家に吸収させ、統合を図ろうとしていた。もちろん分家の女王クローディアを頂点にした体制でな。そのためにベアトリスは積極的に本家の中に溶け込み、仲間たちの信頼を勝ち得ていった。ダニアの女どもは強い女を慕うからな」
そう言って苦い笑みを浮かべるブリジットの口調はどこか自嘲気味だった。
「だが、その途中で分家の計画は露呈した。おそらく分家の密使とのやり取りでも目撃されたのだろう。即座にベアトリスは罪に問われ、大勢の目の前で母から詰問を受けた。だがその場であの女は分家の考えを聴衆に説き、逆に母を糾弾したんだ」
分家はいち早く王国に取り入り、領地と安寧な暮らしを手に入れた。
もちろんそこには代償が存在する。
「分家の奴らは王国が有事の際は前線で矢面に立って戦う使命を受けた。だが、それでも奴らがそれを受け入れたのは王国の後ろ盾によって得られるものが多かったからだ」
分家の女戦士に襲撃された際にベラが言っていたことをボルドは思い出した。
王国の子飼い、とはそういうことだったのだ。
「本家の者たちもこれに合流すれば恩恵を享受できる。いつまでも掠奪者として不安定な流浪の暮らしをすることはない。ベアトリスはそう説いてみせたのだ」
定住の地を持たぬ流浪の暮らしへの嫌気からか、本家の中でもこの話に賛同する者が少なからずいたという。
それだけ魅力的な話であることと、ベアトリスが時間をかけて仲間たちを懐柔してきた成果もあったのだろう。
ダニア本家は分裂した。
「母に付く7割の者とベアトリスに付く3割の者が争うことになった。情けない話だ」
しかし7割と3割ではどちらが優位かは自明の理だ。
不利となったベアトリスが考えたのが、先代がこよなく愛する情夫バイロンの誘拐だった。
ブリジットは苦虫を噛み潰したような表情を見せる。
「父は拉致された。父を人質に取られた際の母の激怒と苦悩ぶり今でも忘れられぬ。ベアトリスは父を引き渡す条件として、母に1人で指定場所に来るように告げたのだ。だが、母はダニアを率いるブリジットだ。情夫1人のためにそんな危険を冒すべきではないと側近らもそろって反対した。当然の道理だ」
ボルドにもその道理は理解できた。
そういう状況ならば情夫は切り捨てられる。
情夫とはそういう存在なのだ。
「しかし母は父を失うことを恐れるあまり、仲間の誰にも告げず、たった1人で指定の場所へと馬を走らせた。……そこで忌まわしい事件が起きたのだ」




