第11話 『父の香り』
「ハッ……ハッ……」
声を殺すようなボルドの吐息が褥の空気を震わせる。
鳶狩りに出かけた日の夜、夕食を終えるとブリジットは早々にボルドをベッドに押し倒した。
昨夜一晩、伽をしなかった分を取り戻すかのように、ブリジットは熱のこもった愛撫でボルドの肌を赤く染める。
数日前までは体を刺激するブリジットの指や唇に戸惑い、流されるまま必死に堪えるだけだったボルドだが、ここにきて徐々にブリジットと呼吸を合わせられるようになってきた。
それを感じたのか、ブリジットはその目にほのかな悦びの色を滲ませて、より情熱的にボルドを抱いた。
体だけでなく心まで抱かれる。
ブリジットに言われたその感覚はボルドにはまだ分からない。
だが、彼女の情熱に応えたいという思いがボルドの胸にわずかに宿り始めていた。
それが自分の立場の安泰のためなのか、それとも別の感情であるかまでは分からない。
だが、ボルドを見つめるブリジットの目は彼の奥底まで見通そうとするかのような深い色をたたえている。
その目を見るとボルドは彼女に嘘をつくことは出来ないと思った。
とにかく正直にいなければすぐに見透かされる。
だからボルドは必死だった。
自分を偽ることなく、ありのままの感情でこの夜、幾度となく繰り返される男女の営みに真摯に向き合った。
「ボルド……少し変わり始めたな」
激しい情事の時が過ぎ、夜の漆黒の闇が徐々に薄青く変化していく頃、体を休めてベッドに横たわっていたブリジットはそう言った。
「そう……でしょうか」
そう答えるボルドの黒髪をしきりに撫でながら、ブリジットは目を細める。
「まだアタシが怖いか?」
それは問い詰めるような口調ではなく、どこかからかうようなそれだった。
怖いかと問われれば怖い。
ほんの一週間前は奴隷だったボルドが、一族の長である女王を怖がらぬ道理はない。
ボルドは何と答えてよいのか分からずに口ごもる。
「フン。素直な奴だ。まあ少しずつ慣れていけばいい」
そう言うとブリジットは彼の額に口づけをした。
それから彼の黒髪に鼻を埋めて目を見開く。
「ん? 香油を変えたか? これは……父と同じ香りだ」
小姓から珍しい花で作られた香油が手に入ったのでと言われ、ボルドはこの日からそれを髪につけられるようになった。
ブリジットはその香りを堪能するようにボルドの顔を抱き寄せた。
自然とボルドは彼女の豊かな乳房に顔を埋めることになる。
甘い香水の香りと、ほのかな汗の匂い。
その刺激と羞恥心にボルドは思わず身を縮める。
決して自分からブリジットに触れてはならないボルドだが、こうも密着していると両手や下半身が否応なしに彼女の体に触れてしまう。
「い、いけません。触れてしまっています」
「アタシが抱き寄せたのだから構うことはない。今さら恥ずかしがるな」
そう言うとブリジットはグッと力を込めて彼の顔に双丘を押し付け、黒髪の匂いを静かに吸い込む。
成すがままにされながら、ボルドはブリジットの声を聞いた。
「昔を思い出す香りだ。父上と同じ髪色、よく似た手触り。この辺りでは黒髪は珍しいというが……」
ブリジットは決して彼の出自のことを聞かなかった。
子供の頃から奴隷だった者の生まれや親のことなど、聞いても決して愉快な話にはならないからだ。
「……お父上のことを愛されていたのですね」
「ん? さては小姓どもから聞いたか」
「も、申し訳ありません。余計なことを……」
そう言って恐縮するボルドだが、ブリジットは穏やかな声で笑った。
「ふふ。構わん。我が父上はおまえと同じ情夫だった。先代である母にかわいがられていたよ。アタシも父が好きだった。穏やかで優しいだけでなく、物事の先を見通す賢い人だった。会えるものならもう一度会ってみたい」
そう言うとブリジットはボルドの頭を放し、天井を静かに見つめた。
その言葉で、すでに彼女の父がこの世の人ではないのだとボルドにも分かった。
「母もこのように父を抱いたのだろうな」
ブリジットは少しだけ寂しそうに笑う。
そんな彼女の顔を見たボルドは不思議な気持ちになった。
身分も違う。
つまらない男に過ぎない自分には過ぎた感情かもしれない。
それでもブリジットを元気付けたい。
そんな気持ちが胸に湧くのをボルドは感じた。
だが、そんな彼の心を知らずにブリジットはふいに悲しみに襲われたような顔を一瞬だけ見せた。
「ちょうどこのくらいの季節だった。父はあっさりと逝ってしまったよ」
「……ご病気だったのですか?」
恐る恐るそう尋ねるボルドにブリジットは首を横に振った。
「いや……処刑されたのだ。嫉妬に狂った母の手によってな」
そう言うブリジットの声には怒りも憎しみも感じられなかった。
ただただ諦めたような虚しい響きが滲んでいるだけだった。




