第99話 『別れ』
「うぅっ……」
バーサに投げ飛ばされたボルドは処刑台の上で痛みに喘ぎながら立ち上がった。
そして目の前で起きている状況を静かに見つめる。
夜になってから風が強くなり、バーサの煙幕弾も底を尽いたようで、辺りに立ち込めていた白煙はすっかり消え去っていた。
周囲に一定間隔で焚かれている松明のおかげで、山頂の様子がどこからでも明瞭に見えるようになっていた。
処刑台を降りた先の広場では、ブリジットとバーサの死闘が決着を迎えようとしている。
どちらも血だらけ傷だらけの、まさしく死闘だった。
特にバーサは義手を斬り落とされ、残された左腕も血まみれでひどく負傷している。
その状態にありながら彼女は短剣を握りブリジットに襲いかかった。
一方のブリジットも両足を負傷して立つのも辛いはずでありながら、剣を握りしめたままバーサを迎え撃つ。
「うおおおおっ!」
「がああああっ!」
この場にいる全員が固唾を飲んで見守る中、ブリジットの長剣とバーサの短剣が交差して一閃した。
その瞬間にボルドは息を飲む。
バーサの短剣はブリジットの頬を掠めて側頭部の頭髪を斬り裂いた。
そしてブリジットの長剣は……バーサの首を切断した。
バーサの頭部が宙を舞い、地面に落ちる。
同時に頭部を失った胴体がドシャッと地面に崩れ落ちた。
凄惨な結末に天命の頂は一瞬、静まり返る。
だがすぐに大きな歓声が湧き上がった。
自分たちの女王が勝利した。
そのことに一族の女たちが歓喜する中、ブリジットは荒く息をつき、立っていられずにその場に両膝をついた。
そして彼女は剣で体を支えながら振り返り、バーサの亡骸を見やる。
「アタシの勝ちだ。バーサ。天の兵士となり、栄誉ある永劫の時を過ごすがいい」
分家のバーサが死んだ。
ブリジットを倒そうとする執念の果てに散ったのだ。
ブリジットの勝利に一族の者たちが歓喜の声を上げる中、ボルドは彼女の無事にホッと安堵した。
ブリジットは痛みを堪えて立ち上がり、周囲を見回すと声も高らかに告げる。
「皆に告げる。これまでの経緯はともかく、この場においてこのバーサは真正面からアタシに挑んで死んだ。見事な戦いぶりだった。敵ではあるが誇り高き戦士バーサに敬意を捧げ、天の兵士として遺体を分家に送り届けることをここに宣言する」
その言葉に一族の者たちは皆、異論ないといった顔で次々と賛同の声を上げる。
敵であっても同じダニアの血を引く戦士がブリジットを相手に鬼気迫る戦いぶりを見せた。
そのことが皆を高揚させていたのだ。
ブリジットは足の痛みが限界のようで、再度その場に膝を着く。
すぐに小姓らが彼女の応急処置に駆けつけるが、それを手で制し、ブリジットは振り返ってボルドを見る。
その姿にボルドは息を飲んだ。
立ち上がれないほどに傷ついていても、彼女は凛として美しかった。
そして敵であるバーサにも死後の名誉を与えるその潔さが、一族の者たちを惹きつけてやまないのだと知った。
(これが……ダニアの女王の姿なんだ)
女王然たるその姿にボルドは感銘を受けていた。
それと同時に思ったのだ。
この人の情夫は、この人にふさわしい人物でなければならないのだと。
自分ではダメなのだ。
そう思ったボルドは身の内に強い使命感が湧き上がるのを覚えた。
そこで場の空気に冷水を浴びせるように声が響く。
「情夫ボルドを再び拘束せよ。邪魔が入ったが、処刑の続行を!」
ユーフェミアだった。
その言葉を聞いたブリジットがハッと表情を歪め、ベラがユーフェミアに食い下がろうとする。
それを見たボルドは立ち上がる。
今、自分が動かなければブリジットは再び情夫の処刑をその手で下すことを強いられる。
これ以上、ブリジットに心身の負担をかけるわけにはいかない。
そう思い、ボルドは声を張り上げた。
「お待ち下さい!」
これまで聞いたことが無いようなボルドの大きな声に、その場にいた皆一様に怪訝な表情を見せる。
皆の注目が自分に集まり、ボルドは緊張で身が強張るが、拳を握り締めて必死に言葉を絞り出す。
「私はブリジットによる治世が長く続くことを望みます。そして強く高潔な統治者であるブリジットの情夫はふさわしい者であるべきです。私がそうありたかった。ですが……」
そう言うとボルドは一歩二歩と後ろに下がる。
処刑台の最も奥は丸太を崖際に打ち込んで作られた柵が設けられているが、それはそれほど高くなく、ボルドでも乗り越えられる。
ボルドはそこに手をかけた。
それを見たブリジットが驚愕に目を見開く。
「ボルド……何を……」
ボルドはサッとその丸太の上に身を乗せて立ち上がった。
すぐ背後は深い谷底だ。
落ちればまず助からない。
処刑を待つ情夫の突然の奇行に天命の頂が騒然としたどよめきで包まれる中、ボルドは声を張り上げる。
「口惜しいですが私ではブリジットの情夫としてそういう者にはなれません。ここで処刑されるのが運命ならば最後くらいは自分で決断させて下さい」
そう言うとボルドはブリジットをまっすぐに見つめた。
「奴隷上がりの私ですが、ブリジットの情夫にしていただき幸せでした。ダニアで多くの人に良くしていただいたことは決して忘れません」
「よ、よせ……ボルド」
「ブリジット。私は至らぬ情夫でしたが、あなたへの気持ちに嘘偽りはありません。この世を離れてもこの気持ちは永遠に変わることはないでしょう。あなたを……愛しています」
そう言うとボルドは最後に微笑み、そして後方へと飛んだ。
その体が宙を舞い、虚空の闇へと消えていく。
「うわああああああっ!」
ブリジットは堪え切れずに、谷へと身を投げたボルドを追って走り出した。
痛む足のせいで全力では走れないブリジットを押しとどめようと、ユーフェミアが立ちはだかる。
「ブリジット! お待ち下さい!」
「どけっ!」
ユーフェミアを跳ね飛ばしてブリジットはボルドを追うように処刑台に駆け上がり、奥の柵に足をかけた。
だがそこで横から大柄な人影が飛び込んで来てブリジットを押さえ込む。
「ブリジット!」
それはいつの間にかこの場に駆けつけていたソニアだった。
ソニアはそのまま全体重をかけてブリジットを押さえ込む
必死にもがくブリジットだが、両足を負傷して体に力が入らず、ソニアを押しのけることが出来ずに叫んだ。
「ソ、ソニア! 放せ! ボルドが!」
「堪えてくれ! ブリジット! もうボルドは助からん! ブリジットまで死なせるわけにはいかないんだ!」
ソニアは彼女らしからぬ感情的な声で叫ぶ。
ブリジットは柵の向こうに広がる虚空の闇を信じられない思いで見つめて体を震わせる。
彼女が愛する男は……自らその身を谷底へと投げたのだ。
「ボルド……ボルドォォォォ!」
喉が張り裂けんばかりのブリジットの慟哭が、暗い谷底に響いて消えていった。




