非日常の始まり(2)
「お前・・・・・・・神月咲夜、だナ?」
「・・・・・そうだけど、何か・・・・?」
返事をしながら、俺は何か嫌な予感に襲われていた。
棒立ちの男からは身の毛がよだつような気味の悪い気配が感じられ、冷や汗が止まらないし呼吸は浅くなって息苦しい。
気を抜けば押し潰されてしまいそうな圧力さえも感じる。
明らかに普通じゃないよな・・・・・・・。
万が一の事があった時のために身構えていると、男がのそっと動いて着ていたコートを脱ぎ始めた。
うん、やっぱり夏にそれは暑かったのかな────────────。
「ぬわっ!?」
馬鹿なことを考えている最中に危険を感じて反射的にしゃがむと、次の瞬間、さっきまで俺の頭があった場所を鋭い刃物のようなものが貫いていた。
んなっ!?
黒い刃は五本の指それぞれから伸びていて、よく見るとそれは爪だった。
四十センチ程まで伸びた鋭利な爪。
あの、いつから人間はそんな事出来るようになったんですかねぇ!?
ここはファンタジー世界でも能力者のいる大海賊時代でもないんだけど。
なのに急に爪が伸びるなんてことある?
ははぁ〜ん、さてはこの人手品師かな!?
なんの前触れもなくいきなり攻撃され、戸惑っている俺をよそに、男は無言で斬りかかってくる。
「うわわっ!?」
連続で繰り出される爪攻撃をかろうじで避けながら、転がるように車道に出た。
たぶん広いからこっちの方が動きやすいでしょ。
俺が攻撃を避けるたび、捉えるものを失った爪によってコンクリートがスパスパ切られていく。
いや、こわいこわい!
ごめんなさい調子乗りました、勘弁してください!?
こんなの避け続けられる訳ないし、絶対に逃げきれないじゃん。
今当たってないのだって奇跡だからね?
明らかに一般人には荷が重いどころの話じゃないぞこれ。
悪態をつきながら路上を走っていると、ボッと言う音がして、ものすごい勢いで腕が突き出されてきた。
あと数ミリずれていたら俺の頭を貫通していただろう。
うーん、なにそれ。
普通腕突き出すだけじゃそんな音でなくない!?
かすったせいで浅く切られたほおから血が流れるが、お構い無しに身体を反転させて突き出された男の腕を掴み、渾身の一本背負いで投げ飛ばす。
「せぇぇぇいっ!」
『ぬゥッ!?』
少々雑な投げ方だったが、逆にその方が受け身が取りにくかったらしく、男は地面に叩きつけられ、坂を数メートルゴロゴロと転がり落ちていった。
よしナイス俺、今のうちに逃げよっ!
後ろを振り返らず全速力で残り半分程の坂を駆け上がり、十字路になっている交差点を左に──────────────。
ドゴォンッッ!!
曲がろうとした途端、突然飛来した何かによって交差点の中心が砕かれ、土煙がもうもうと立ち上がる。
俺は思わず顔を引き攣らせた。
「うそん・・・・・・・・」
土煙の中から大きな影がこちらに向かってくる。
出てきたのは先程の男。
驚いたことに額からは捻れた角、背中からは禍々しい模様が入った蝙蝠のような翼が生えていた。
・・・・・・・・・・・・・ふむ。
なんともまぁ、オタク心をくすぐる見た目してるじゃないの(そんなこと言ってる場合じゃない)。
この見た目、悪魔か?
創作物では悪の象徴として登場する悪魔。
よくある設定として、魔法(魔術)を使ったり契約を大切にしたり、総じて人間より強かったりするのだが、まぁ今はそういうのは分からないので置いておくとして。
見た目だけなら完全に悪魔。
こんな状況じゃなければ歓喜したんだけど、今は絶望感しかないわ。
『ナゼ、何もしナイ?』
「え?」
不意にそう聞かれ、思わず間抜けな声が漏れる。
なんか最初に聞いた声より野太くなってるし、それに随分とカタコトだね・・・・・・。
『キサマには我々魔ノ者を滅スル力があるハズダ。ナゼ力を使わズ、無様ニ逃げ回ル』
無様で悪かったな。
こちとら必死に逃げとるんじゃい!
あと一つ言わせてくれるかな、俺は普通の人間だから魔の者を滅する力なんて無いわ!
て言うか魔の者って、やっぱりこいつ悪魔的な何かなのか?
「何を言ってるか分からないな。人違いじゃないの?」
『・・・・・・フン、あくまでもシラを切ルつもりカ』
いや、シラを切るとか言われても、そもそも話についていけてないんだけど。
まずお茶でも飲みながら普通にお話しません?
あら、無理ですかですよね〜・・・・・・・。
『キサマが無抵抗ナラバ余計ナ手出しはしナイ予定だったガ、大人しくついてクル気ハ無いンだろウ?ならバ、少々手荒な手段でイク。最悪の場合ハ死体でも構わないと仰せつかってイルのでナ!』
「いや、何でお前の主君が俺を狙うんおぅあっ!?」
一瞬で間合いをつめた男が、心臓を貫かんと爪を突き出すが、咄嗟の横っ飛びでそれをかろうじで避ける。
しかし、完全に避け切ることができず、ワイシャツの左脇がバッサリ切り裂かれてしまった。
あっぶな!?
ゴロゴロと転がってすぐに起き上がり、バックステップで距離を取ろうとするが、すぐさま男が反応して近づいてくるので、なかなか間合いが広がらない。
続け様に振り下ろされ、薙ぎ払われ、突き出される爪攻撃と、時々織り交ぜられる蹴りをなんとか回避し続けるが、時間が経つごとに傷が増えていく。
動きすぎて息も切れ、動きが鈍くなってきた。
やべぇ、最近運動してなかったせいですでに体力の限界!
こんな事なら週一でもいいからランニングしとけば良かった。
このままではジリ貧だ。
・・・・・・・・・・・・・・・・・ん?
何で"ジリ貧"なんだ?
こいつは、死体でも構わないと言っていたから、おそらく手加減はしていないはずだ。
手荒な手段でいくとも言ってたしな。
いや、もう十分手荒か・・・・・・・・。
うんまあ、とりあえずそれはいいや。
それなのに、未だに致命傷になるような攻撃は受けておらず、そもそも攻撃はある程度避けていられる。
最初は無理だったが、段々とこの男の攻撃が見えるようになってきたのだ。
それにこいつが悪魔だとしたら、魔法で攻撃してこないのも謎。
単純に悪魔じゃないと言うのも考えられるが、この見た目でそれはないだろう。
身体からなんか魔力的なやつが漏れ出てるしね。
いったいどう言うことなんだろうか。
『隙アリ!』
「うわっ!?」
俺が思考していた一瞬の隙をつき振り下ろされた鋭利な爪が、左の二の腕から胸部、腹部にかけてをざくりと切り裂く。
いっっっっったぁぁぁ!!?
焼けるような痛みに、思わずその場で悶絶しそうになる。
バカか俺は!
殺されかけてるのに、なに呑気に考察してんだよ!
『シネェェェッッ!!』
男は反対の腕にドス黒い赤紫色の燐光を纏わせ、痛みで動けない俺目掛けてトドメの一撃とばかりに繰り出す。
やばっ、これは避けられない・・・・・!
魔法 (たぶん)によって強化された爪が風を切り、ドス黒い赤紫色の軌跡を描きながら俺の喉元に突き刺さる・・・・・・・・・・・・・・・・・・・直前。
「だっっめぇぇぇぇぇぇっっっ!」
どこからかそんな悲鳴のような叫び声が響いてきた。




